誰もが夢を見ていたか、狐に化かされたかのような顔で座敷から出ていく。 「これにて一件落着ってね」 相変わらずぼんやりしていた春季は、傍らで上がった声音に吃驚した。 「空蝉!」 いつもながら人を驚かせてくれると、春季はぎょっとしてやや身を引いた。 雷蔵は惣之助に肩を貸しながら立っている。何故だか惣之助は相当疲弊しているようだった。謡いとはそれほど体力を使うものなのだろうか、と頓珍漢な疑問を思い浮かべる春季には、真実は永遠に分からぬだろう。 座敷では平野や葛城など、主だった重臣たちが残り実治が今後の段取りについて話し合っている。 「もうこれで頭を悩ますこともないね」 「……ああ、そうみたい、だけど」 いまいちついていけていない調子で春季は応じる。ひとまず丸く収まったのならよしとすべき所なのだろうか。雷蔵の態度の変化といい、釈然といかぬ違和感に戸惑いつつも、ひとまず肯く。 「まぁ、これから君の方は別件で色々と面倒なことになるだろうけど、未承認の上すでに他家に『養子に出された』庶子の家督相続権なんてたかが知れてるから、そのつもりで堂々としていればいいよ」 「え?」 はたと瞬きをした春季に、雷蔵はさらりと言った。 「実際の養子縁組状がなくとも、証文の偽造なんて案外簡単にできるからね。腕のいい職人を知っているから、必要なら教えてあげようか」 それは偽装というものなのでは、と春季は思ったが、口にはしないでおいた。犯罪だが悪徳ではない。 訊きたいのはそんなことではない。 「いや、ていうかさ……その恰好はなんだい。まるで男みたいじゃないか。まさか髪まで切ったの?」 この問いかけに、側の惣之助が明らかに固まったが、生憎そんなことに気づく男ではなかった。 一方雷蔵は数拍ほど沈黙していたが、やがて小首を傾げながら、にっこり笑った。 「まるでも何も、だって俺、男だし」 「え?」 「まさか本気で気づかなかったのかい? 「え?」 春季は何のことかさっぱり理解できていない。科白の文字だけが上滑り、脳がそれを解読するまでにかなり時を要した。 豆鉄砲を食らったように目を丸くしている。それから声を上げて笑った。 「まぁた、大人をからかうもんじゃ―――」 「あと俺、一応君より年上だから」 「え?」 春季の頬の笑みが硬くなる。 それからはっとして惣之助を見る。 「え?」 惣之助は申し訳なくかつ実に気の毒そうに双眸を伏せた。 そこでようやく春季のすべてが凍結した。 「ま、まさか……嘘だろ」 声音を震えさせながら、法衣に向き直る。しかしその必死さも無情な現実に一刀両断される。 「俺の名は雷蔵だよ。『空蝉』は始めからどこにもいない」 雷蔵はからりと笑い、謡うように嘯いた。 「『空蝉』は変わり身。現に顕れる幻。手を伸ばしても残るは衣一枚の抜け殻のみ―――さ」 春季はその名を聞いた時に思わせぶりだと表現した。それは『源氏物語』の一幕を連想したからにすぎなかったが――― 雷蔵としてはその意図ではなかったが、変わり身の術の別名であるその呼称を借りることで、暗に仮身であることを示唆していたわけだ。 「そ、そんな……」 ふらりと春季は後ずさり、やがて真っ青な顔でひっくり返った。 |