路上の、怯える庶民を押しのけながら、侍姿の男たちは乱暴な手さばきで馬を走らせた。目的の者はまだそう遠く離れてはいないはずだ。 やがて街道の途中から分かれた径を見つけた。径は樹が覆い茂る中に入っていっており、地元の者が狩りか何かに使う用路のようだった。男たちは馬足を緩め、互いに目配せをし合う。追われる者の心理から言えば、人目につく大通りより、隠れるところのあるほうを選ぶだろう。 幸い、径は馬がぎりぎり二頭並んで抜けられるほどの幅がある。 彼らは一つ頷くと、「行くぞ」と声をかけて再び馬の腹を蹴った。 所詮人間の足ではそう遠くまで行けはしない。すぐに追いつくと楽観していた一行は、すぐに苛立った表情になった。予想していたことではあったが、径には障害物が多く、人一人が隠れてやり過ごすには絶好の場所だった。 「どうする?」 「どこかに隠れているに違いない、こうなったら虱潰しに探すまでだ」 「だが俺たち五人だけではとても手が回らぬぞ」 「さりとて御前様直々のご命令だからな。何、まだそう遠くへは行っておらぬ。おまけに今は動けんはずさ。ゆっくり兎狩りと行こうじゃないか」 忌々しげに顰められていた侍の頬が、残虐に歪んだ。ほかの四人も同意を示したらしく、思い思いの方角へゆっくりと馬を歩かせはじめる。 枯れ草と腐りかけた落ち葉を踏みしめる音が、静かな森の中に響く。 不意にその中の一人が、藪の向こうに気配を感じた。同時に、おもむろに念仏めいた低い呟きのようなものが耳朶を打つ。 パキン、と小枝の折れる音。 「そこか!!」 手柄という字を目の上にちらつかせながら、刀を抜き、騎乗したまま藪を超えた。 すぐに異変に気づいた四人も後を追ってくる。すでに全員抜刀していた。 一番乗りを果たした侍は、しかし目前の対象物が思い描いていたものとは違い、一瞬唖然とした。 追いついてきた仲間の声ではたと我に返り、一転目元を険しく吊り上げる。 「いたか!」 「獲り逃がすな!」 「貴様、何奴だ!!」 バラバラと後ろからやってくる仲間の怒号を覆すように、男が怒鳴った。 五人が囲んだのは、貧相な藍衣の藁細工売りではなく、華奢な墨衣の法師だった。旅僧らしい身なりであったが、剃っていない髪を一つに束ね、おまけに見たところまだ十七、八ほどの少年。ともすれば少女めいて見える面立ちだったが、だからと言って女性的というのでもなく、よくよく目を凝らせば優顔なだけで男子とわかる。背中には琵琶と思われる大きな荷を背負い、地面に膝をついて何かを覗き込んでいた。視線の先、草の上に、茶とも灰にも見える色合いの何かが置かれている。突然現れた五人の侍に驚く様子もなく、一瞥も向けずにじっと物体へその目を注いでいる。 「何者だ!」 再度の誰何が静寂を振るわせる。 ようやく法師の顔が持ち上がった。おや、とばかりににこりと屈託無く笑う。 「お方々お揃いで。何か御用ですかな?」 見た目のわりに随分年寄りめいた言い草だった。年齢に合わぬ落ち着き払った態度に、男たちはわずかに狼狽しながらも、すぐに目的と自分たちの身分を思い出し、威を取り戻す。 「坊主、こんなところで何をしている」 侍の一人が脅かしつける風にギロリと見やった。坊主というのが職業を呼んだものなのかそれとも年齢を指して言ったものなのかは分からない。 この侍の中では、目前の法師もその他の庶民と大差ない弱者だった。どうせ一睨みもすれば、見るからに軟弱そうな小坊主、すぐに竦みあがって震え始めるだろう。自分よりも遥かに年下のくせに訳の分からない余裕を持った若法師が、男は気に食わなかった。今に顔を蒼白にして地に平伏し、情けを請うだろう。その様を想像して、ほくそ笑む。 しかし法師の反応は彼の予想を大きく裏切った。依然として泰然としたまま、男に加え残り四人の眼光にもどこ吹く風とばかり、首を傾げる。彼らの威圧など、蚊に刺されるほどにも感じていない様子で「さて」とのんびり言った。 「何をしていると言われるとさして言うほどでもありませんが、今ここで哀れな小兎の死体を見つけましたので」 瞼を伏せるようにして地に視線を移す。唄うような話しぶりに、侍たちがつられてそちらを見やれば、確かに法師の膝元に、ぐったりと身を横たえ息絶えている兎の姿があった。先ほど見つめていたのはこれか、と彼らは得心する。 「こんな 法師らしからぬ姿で尤もらしいことを語る口調は、場違いなほどのほほんとしている。 その余裕綽々ぶりが、ただでさえささくれ立っている男たちの神経を逆撫でした。加えて、力に屈せず、思い通りにならない相手の存在がひどく目障りでたまらなかった。そのような存在があってはならないのだ。 「ふざけやがって」 歯の隙間から漏れた台詞は、一同の心理を代表していた。 「この餓鬼、武士をおちょくる気か」 「大人をからかうとどんな目に合うか思い知らせてやる」 武士と口にしながら、伴うべき気高さはなく、最早その辺のごろつきと相変わらぬということに気づかぬまま、男たちは己の得物を構えた。 これまでなら誰もがこうされただけで悲鳴を上げ、泣いて許しを乞うたが、しかし法師はこの段になってさえも飄然たる面持ちのまま、そこにいた。ギラリと光る凶器を突きつけられても、全く恐れる様子もない。それどころか、 「無闇な殺生は良くない。どんなものにも尊い命がある」 などと説法を始める始末。男たちはすっかり法師の調子に巻き込まれていることに気づき、更に色をなした。それからここで随分と時間を浪費していることにも思い至る。さすがに命令には忠実である。早くしなければ対象が遠くへ逃げてしまう。侍たちの目線が交わった。といってこの、人を小馬鹿にした法師を捨て置くには腹の虫が収まらない。やってしまうか。 「命は大切に」 漂いはじめた物騒な空気に気づいているのかないのか、法師はなおも続ける。 そして不意に頭を垂れる。笠に顔が隠れた。 「でないと、祟られてしまうよ」 にわかに声の様子が変わった。 次の瞬間、もたげられた顔を見た男たちの表情が、硬く強張った。 袷から覗く首から上は、巨大な兎のもの。 ゆっくりと立ち上がる動作に、五人の身体がビクッと跳ねる。 首から下が人間なのが、余計に不気味さを煽った。 「それとも、その身を以って味わってみるかい?」 兎がしゃべった。本来ならつぶらなはずの真っ赤な目が、ありえない大きさでじっと見つめてくる。 これにはさすがの強面の侍たちも恐怖に引きつった悲鳴を上げた。武士の魂を捨て、互いに縺れ合うようにして大慌てで背を向ける。 蜘蛛の子が散るように逃げて出した彼らに、その場に残って佇んでいた雷蔵は、やれやれと息をつき、軽く笠を押さえた。もちろん顔は普通に人間である。 ドタバタとした騒々しさが完全に消えたのを確認してから、雷蔵は体勢はそのまま己の背後へと声をなげうつ。 「出てきたら?」 やがてガサガサと草が鳴り、藪の中から男が一人這い出してきた。恐る恐る侍たちの去った方を見て、それから戸惑い気味に側に立つ墨染めを見上げた。 「一体何だったんで?」 彼には、気色ばんだ侍たちが、非力そうな法師を前にいきなり怯えだし、勝手に逃げだしたようにしか見えなかった。まるで真昼間から化け物を見たかのごとく。ちなみに雷蔵の足元には、土に汚れたただの大きな石ころが転がっているだけで、兎の死骸などどこにもありはしない。男は雷蔵と侍たちの会話を一部始終聞いていたが、てっきり雷蔵が咄嗟に出まかせを口にしたのだと思った。 呆気にとられている男へ、雷蔵は肩を竦めて見せた。 「さあ。大方、己の前世の業にでも気づいたんだろう」 「は?」 訳が分からない男は、それでも危機を脱した安心感から、その場にへたり込んだ。 「はぁ~それにしても助かった。どちら様かは存じ上げぬが、お礼申し上げる」 気の抜けた声音で礼を言われ、何の何の、たまたま通りすがっただけだしと雷蔵は軽く応じた。 「それにしても、どうしてこんなところに? 見たところ旅の御坊のようだが……」 不思議そうに問う男。確かに通りすがりと言いながら、旅僧が通りかかるには少々おかしな場所だった。何せこの先には道がない。当然民家もなく、ただの林のみだ。 「さしずめ御仏のお導きかな」 煙に巻くような返答に、しかし男もそのようなものかと深く考えず素直に仏に感謝した。 「何にしても助かったことには変わりない。本当にかたじけない」 その場で正座し、膝に手をついて再度頭を下げる。 その後頭部を見下ろしながら、雷蔵は「それよりも」と続ける。 「物騒な知り合いを持っているね」 「……実は私もよく分からないんだ」 途方に暮れたように男は言う。 「面識がないのに、追いかけられている?」 「はぁ」 「思い当たる節は?」 「皆目……」 話す間、雷蔵はずっと笠の下から男の顔を伺っていた。彼は顔をそむけ、地へ視線を落としながら話している。その横顔は淡々としていたが、しかし雷蔵の長年の訓練と経験は騙せない。男の僅かな目の動きが、彼の口から出るものが偽りであることを物語っていた。 「それにしてはずいぶんと熱烈なご様子だったけど。君も、本当に心当たりがないという口ぶりじゃないしね」 雷蔵は錫杖に引っかかった蔓を取りながら、世間話でもするような調子で言った。男はどきりとした反応を見せたものの、じっと地面の枯草と視線を結んでいた。膝に置かれた手が拳に変わっている。 「別に無理に事情を問いただそうって気はないよ。それよりも……」 枯れた蔓をくるくると指先で回しながら、瞼を少し伏せる。 「何故歌うことをやめてしまったのかな、と思って」 今度こそ、男の身体に動揺が走った。 「いや、戒めているというのかな」 ハッとして顔を上げ、信じられぬものを見るみたいに雷蔵を見据える。瞠った目には狼狽と―――何故か恐怖が揺らめいていた。その理由は分からなかったが、雷蔵は淡く笑いかけた。 「分るよ。“同業”だからね」 「同業?」 その時はじめて男の目が法師の背負っている大きすぎる荷を捉えた。 「それは……もしや琵琶?」 「まぁ似たようなものかな」 説明することでもないので雷蔵は曖昧に流した。 「はは、なるほど琵琶法師殿か」 何だか平家に祟られそうな呼称だったが、これもあえて訂正しなかった。男の顔にどこか安堵と悲しさが滲む。 「耳なし芳一は、その琵琶の音と歌語りで浮かばれぬ魂を慰めたというけど、生者の浮かばれぬ心も救ってくれるのかな」 「さて、それは直接本人に訊いてもらわないと。聞こえるかどうかは知らないけどね」 男がかすかに笑ったようだった。諦めの混じった乾いた笑い。 「それはどちらでもいいけど、でも」 雷蔵は未だ枯草の上に坐している男へ手を差し伸べた。 「歌謡いが歌を捨てては駄目だよ」 男は呆然と顎を上げた。虚ろな表情だった。やがてその手を借りながらのろのろと膝をあげる。 間近で立たれると、思いのほか高身長であることが分かる。雷蔵よりも頭一つ抜き出ていた。ただ雷蔵も標準よりやや低めなので、男がとりわけ高い方に入るかどうかはよくわからない。しかし細身のせいか全体的にひょろりと伸びた痩木を思わせた。 「捨てたわけじゃないんだ」 不意に男が呟いた。 「歌えなくなってしまったんだ」 彼はやはり俯きがちに項垂れたまま、どこか遠くへ向けるように呻く。 「謡い方を、忘れてしまったんだ」 今にも泣きそうな、悲しげな響きだった。 |