4.行き当たりばったり勘違い 墨染め袖を引っ張られ誘われた所は、華やかな辻界隈から少し離れ、閑散とした住宅街の真ん中に位置する、寺だった。 思いのほか広さのある境内に踏み入れると、何かに気づいた少年がぱっと表情を明るくし、駆け出した。 「ねぇちゃーん!」 叫び手を振りながら少年が走っていく先には、箒を手に境内の掃除をする少女の姿があった。 少年の声に反応して、顔を上げる。年のころは十八、九。少女とは言っても、十二、三ごろの少年に比べ、一回り大人びた容姿を持っている。 そこそこに整った顔立ちをしているが、勝気そうな吊り目がちの双眸が、落ち着いた美麗さよりも闊達とした愛嬌を際立たせていた。 腕に纏わりついてくる少年を見下ろしながら、少女は笑みを浮かべる。 「今朝からずっと姿が見えないと思えば……一体どこで道草食ってたの」 「へへ、ちょっとね」 歯切れ悪そうに少年が頭を掻くのに、何か隠しているな、と少女は訝しげに眉を寄せる。と、そこで先ほどから境内の入り口際に立つ気配に、はたと気づいた。 目が合い、そのまましばらくじっと見つめあう。数秒の沈黙。 きょとんと目を瞬く雷蔵に対し、少女は目つきも険しく睨んでいる。 「あ、あのね―――」 慌てて説明しようと口を開きかけた少年をさえぎり、唐突に少女が地を蹴った。 そして。 「こんのくそハゲがぁあ―――!! まぁた性懲りもせずやってきたんかいっ!!」 猛然とした勢いで、何の前置きもなく箒を振り下ろしてきた。 「おや? あれ―――うわ」 何がなんだか分からず、いきなり襲い掛かってきた竹の柄に、とっさの条件反射で雷蔵は避けてしまう。それがいけなかった。 少女の目の色が変わる。 「はああ……今度は“玄人”を連れてきたってわけ。だからって私が引くと思う? 何度来たって、絶っ対にアンタらの言いなりになんてなるもんか! 子供達にだって、この私が指一本触れさせやしないよ―――!!」 そう叫んで箒をむちゃくちゃに振り回してくる。 何か甚だ誤解しているようだ。おまけに皆してハゲハゲというが、法衣を見るとそう詰りたくなるものなのだろうか。口には出さないながらも雷蔵は小首をかしげる。 なるほど、少年のあの罵詈はこの姉と思わしき少女の影響というわけか。 繰り出される箒を、雷蔵は妙なところで納得しつつ難なく掴む。少女の顔がハッとした。さほど力を入れているわけではない風情なのに、びくともしないことに焦っている。しかしすぐさま気持ちを切り替えて手を離すと、帯に挟んでいたはたきを握って向けてきた。武器としての有用性はともかくとして、なかなか感心な機転と剛毅である。 そのあたりで、姉の言動に茫然自失していた少年が我に返り、慌てて止めに入った。 「ね、ねぇちゃんっ 違うって! 違うよ―――」 「慶太、ここはねぇちゃんに任しとき!」 「いや、だから違うんだって! その人は俺が連れてきたんだよ!!」 めげずにはたきを構える腕に掴みかかり、少年は必死に訴えた。 その言葉に、はた、となびきと呼ばれた少女の乱行が止まる。 「……え?」 「だからっ その人はあいつらの仲間じゃないよ! 俺が連れてきたんだ! さあらを診てもらうために」 「さあらの?」 「そうだよ!!」 ここぞとばかりに少年―――慶太が声を上げる。 なびきは箒を振り上げた格好のまま、腕にすがりつく少年を見下ろした。それからゆっくりと箒を見上げ、防御の体勢の雷蔵を見る。 再び沈黙。ぱっと後ろを向き、何事もなかったかのようにはたきを回しながら口笛を吹き始めた。 三度の沈黙。 「ねぇちゃん……」 少年の冷たい眼差しと声音に、少女は何か大きな塊でも呑み込むみたいな顔をし、それから一転身を返すと猛然と頭を下げた。 「本っ当にごめんなさい! あたしったら勘違いしちゃって、ホントお客様になんてことを―――」 「まぁ、別にいいけど」 怪我もないし―――と特に気を害した風もなく、雷蔵はケロリとした調子で箒を差し出す。 それでもなお謝り続けるなびきに、微笑を向けながら「気にしないで」と言う。 なびきは半ば申し訳なさそうにしながら、上目遣いにおずおずと箒を受け取り、問いかけてきた。 「それで、ええっと失礼だけど、あなたは?」 「俺? 俺は―――」 「坊主様ー! こっちこっち!」 名乗りかけたところで、いつの間にか先に寺の堂に上がった慶太が、遠くから雷蔵を呼んだ。 雷蔵はそちらへ顔を向け、「坊主様ってのはやめて欲しいかも」と苦笑を噛み締めて、呼ばれるままに足を向ける。 なびきは先ほどの続きを促したいのを堪え、無言で後ろに付いて行った。 「こっちだよ」 少年が腕を引きながら、誘う。 堂内に消えた墨衣を追うように、なびきも草鞋を脱いで階段を登り中へ踏み入れる。 すると、すでに法師は、堂内の中央に敷いた筵の上に横たわる幼い女児の上体を抱き上げ、診ているところだった。 「どう?」 「―――大丈夫。ただの風邪だね」 心配そうに横から覗き込んでいた慶太の目が、ふっと安堵に和らいだ。 雷蔵は女児の額に浮かぶ汗をぬぐってやりながら、筵の上にそっと下ろす。 「このまま暖かくして、薬を飲ませてゆっくり休めば、すぐに良くなるよ」 そう言いながら、荷から何かしらの道具を出して順に床に置く。ほんの小さな陶器の瓶を十本と、二色の薄様。甕の蓋を取ると、中の小さな匙を使って薄様の上に順々に盛っていく。紙の色それぞれで調合される薬の種類と量が全く違う。迷いのない素早い手際に見惚れてる少年へ、包み終えた薬包を渡す。 「緑は一日三回。白は一日朝晩二回。なるべく何か食べさせてからね」 「うん!」 慶太は顔を輝かせ、大きく頷いた。 さあら良かったなーと、女児に声をかける少年をその場に、雷蔵は裾を叩きながら立ち上がった。 そこへ、いつのまにか近寄っていたなびきが、遠慮がちに声をかけた。 「あなたは、そのう……お医者様?」 「ちょっと違うけど、まぁそんなところ」 「?」 説明するのも面倒なので、雷蔵は適当に流す。実際医者のように専門的な治療知識はないが、薬を扱う以上、ある程度症状を診て処方しなければならないので、診断することはできる。 「季節の変わり目だから、体調崩してしまったんだろうね。とりあえず暖かくして、汗をたくさんかかせることだよ。ただし脱水症状にならないよう、適度に塩白湯も飲ませた方がいい。塩の量は大体涙くらいの鹹さで」 塩を入れるのは体水に合わせるためだ。同時に水分の吸収率もよくなる。 「そうそうそれから、さっきの彼に渡した薬、緑色の包み紙は熱を下げるもので、白い方は病の因に効くものだから。解熱薬は大体熱が下がってきたら飲まなくて良いけど、白い方は三日間は欠かさないように。風邪で怖いのは拗らせることとぶり返しだからね」 なびきは頭にそれを刻み込み、頷いた。そして心からの笑顔を浮かべる。 「ありがとう」 双眸を、二人の年下の子供達に向ける。 「良かった……」 そう呟き、不意にぽつりと告げた。 「私達、本当の姉弟じゃなくて」 道具を纏めていた雷蔵が、ちらりとなびきの方を一瞥した。 ありふれたことではないが、珍しいことでもない。 なびきは依然睦まじい弟妹の光景を、どこか遠そうに眺め、 「みんな両親を失くした孤児。このお寺の和尚様が親もなく行き先もなかった私達を拾ってくれたの。でも血はつながっていないけど、本当の家族だと思ってるんだ」 「いいことだね」 無難さのみに気を使った相槌だったが、なびきはもう一度「ありがとう」と微笑む。 「でも、やっぱり私らみたいなのには生きにくい世の中だよ。和尚様は色々してくれるけど、お金だってあまりないし、いつも明日を食いつなぐのでいっぱいいっぱい。ましてやお医者様に診てもらうことなんて……だから、本当に感謝しているの。あの子を―――さゆらを診てもらえて」 呟かれたその一言に、しかし次の瞬間雷蔵は凍りついた。 それまでの長閑な雰囲気に、じわりと硬さが生まれる。 薬入れの紐を締めかけた手が止まった。 「『さゆら』?」 呟く自分の声が遠くに響く。 「ああ、あの子の名前だよ。さあらはあだ名で、本当はさゆらという名前なの」 ドクン、と心臓が脈打つ。 “サユラ” ―――狭由良 「あの、どうか…?」 突如身近に迫った声音に、ハッとして、現実に返った。 気がつけば、なびきが心配そうにこちらをのぞきこんでいる。 「いや……なんでもないよ。ちょっと考え事していただけ」 すぐさま表情を切り替えて、流す。だがそれでも口調はどこか上の空だった。 背にはびっしりと冷たい汗をかいていた。 (少しばかり“響き”に引きずられたか……随分昔のことだというのに) まだ微かに動悸する胸元をさり気なく掴み、根強い慣習はそうそう簡単には消えぬものか、と胸中でごちる。 それからさりげなさを装うように、目線をなびきにもどした。 「それで、何の話だっけ?」 とぼけたようにそう尋ねれば、みるみるなびきの勝気な雰囲気が萎えていく。 「ええっと、折角薬をくれたのにとても言いにくいのだけれども、私達にはその……」 尻すぼみになる声に、意図を察した雷蔵は笑みを浮かべた。 「薬代を期待してたらはじめから来てないよ」 なびきの顔が上がる。 「え、ってことは……」 「弟君に感謝することだね」 「慶太が何か?」 「財布を掏られかけた」 「すっ!?」 なびきは絶句して眉を吊り上げた。雷蔵は、今だ妹の枕元に侍る少年を見やりつつ、唇に人差し指を当ててなだめた。 「内密にね。彼も必死だったんだろうから」 「でも、だからって人様のお金を盗むなんて……」 「そうだね、あの子にそういうのは向いていない。だからまたそんなことしないように、姉上殿がちゃんと見ていてあげるといい」 「……分かったよ」 いまいち釈然としないまでも、なびきはしぶしぶ頷く。 「それにしても本当、大違いだね」 「?」 「あなたくらいの人にまでそう言われるなんて、全くあの子はいつまでも子供でしょうがないったら……」 「でも、まだ十三かそこらだろ?」 目をやれば丁度こちらを向いた少年と目が合い、自分のことを話しているのかと察したのか笑みを浮かべてこちらに寄って来た。その無垢な笑顔を見ても、まだ十分子供だ。 「何? 俺の話?」 低めの位置からにこにこと訊いてくる少年に対し、なびきはその頭を撫でてやりながら嘆息する。 「あんたはいつまでたっても手がかかる子だって話だよ」 むっとした慶太が反論に出る。 「子供じゃねぇよ!」 「いーや、まだまだ甘ったれだね」 「何おう!」 「あんたもう十四でしょう。武士の子ならあと一年で元服って年頃だよ。もっとしっかりしてもらわなくちゃ」 「ねぇちゃんだって、十八にもなってこんなところでずっと行かず後家してないでさっさと嫁に行けよ。ババアになって貰い手がなくなるぞ!」 ああ、それとも男の方が逃げちまうのか?とニヤリと笑う。これは手痛い一撃。 最近の子はませたことをいうもんだなぁと雷蔵はどこか的外れな感想を抱き、ふとなびきを見れば、彼女は身体の底からふつふつと湧き上がる怒りに震えながら、不気味な笑いを漏らし始めた。正直ちょっと怖い。 「お~ま~え~は~」 「なんだ、やるか!?」 いきなり勃発した姉弟喧嘩に、間挟まれる形でいた雷蔵は、とりあえず両側を手で押さえた。 明るく笑いながらずばりと一言、 「安心しなよ、どっちも子供だから」 間髪入れず「他人のこと言えるか」と声を揃えて反駁された。 あれ、と雷蔵はちょっと考え込むように頭を僅かに傾けた。 「これでも一応君らより一回りは多く歳神を迎えてるんだけど」 「……えっ?」 刹那、二人が呆けた顔を向ける。 あまりの衝撃的な事実に、怒りが瞬時に消え去ってしまった。 雷蔵は二人の顔を見回し、にっこりと言った。 「俺から見れば二人とも十分“子供”だよ。だから、別に今からそんな気張ることもない」 とくに誰かの庇護がある内はね、と付け加えれば、とたんに炎の勢いが萎むように二人はしゅんとした。 慶太はくるっと身を翻すと、逃げるように妹の傍へ戻っていってしまった。 それを見送りながら、なびきが気まずさげに雷蔵を見上げる。 「……てっきり同い年くらいだと思ってた」 気安い口調で話しかけてしまったことを後悔しながらも、今更改めるのもまた気まずくて、なびきは渋面をつくった。責めるような口ぶりになってしまうのが止められない。こちらが勝手に勘違いしただけなのだが、でもやはり騙された気がする。 「よく間違われるよ」 雷蔵は軽い調子で言い、屈託ない笑顔を向ける。そうすると輪をかけて幼く見えた。しかしその無頓着ともいえる態度は、その実すべてを許容する寛弘さを湛えているようで、やはりそこは年ならではの功なのかもしれない。 朗らかな笑みの中のそれに気づいた瞬間、なびきの心臓が不意にドキ、と脈打つ。 なぜか少女の頬が僅かに染まった理由にも気づかず、雷蔵は用は済んだとばかりに背を向けた。 それどころか、突然の自身を襲った現象になびきが混乱している間に、さっさと草鞋を履き寺の門を目指している。 「あ! 待って!」 早々と帰る気配を見せる背を、我に返ったなびきは慌てて追いかけた。 咄嗟に袖を掴んで引き止める。思いもよらず大胆な行動に、己自身で驚いた。 「ん?」 いきなり袖が重くなり、雷蔵は後ろのめりになる。肩越しに振り返り、不思議そうになびきを見やった。 なびきは慌てていた言うことがうまく纏まらず、何度か口を開閉したのち、ようやく音を出す。 「名前―――あなたの名前、まだ聞いてなかった」 「ああ」 そういや名乗ってなかったっけ、と上を仰ぐ。 「雷蔵だよ」 なびきはその名を胸に刻み込むように、口の中で唱える。 そしてややためらった後、意を決したようにじっと目を見据えて、言った。 「……あなたはさあらを助けてくれた。悪い人じゃない。だから言うよ。早くこの街を出て」 「?」 「あいつ等が気づく前に、早く―――」 なびきが重ねて忠告しかけた時。 雷蔵が何かに反応したのに僅か遅れて、寺の境内に僧衣を纏った集団が押し寄せてきた。 見る間に、雷蔵となびきを囲む。よく見れば、皆墨染めの僧衣の上から、軽く防着をとりつけている。 見るからに、ただの僧侶ではない雰囲気。それを言うなら雷蔵もただの僧侶ではないのだが、彼らは明らかに通常の僧職とは異質だった。 その音に気づいた慶太も、顔色を変えて堂内から駆け出てきた。 「あんたら―――」 「静粛に!!」 怒鳴り声を上げそうになるなびきをさえぎり、頭領格と思しき僧侶が声を張り上げる。 しん……と水を打ったように静まり返った境内で、その僧侶はよく通る声で述べた。 「ここに、外より流れてきた怪しき者がいると聞いた」 言いながら、切れ長の一重は、中央に立つ雷蔵を射る。 「お前だな」 注がれる眼光などまるでそよ風の如く、雷蔵は左右に顔を巡らし、しばらく考え込んだ後、 「ここにいる中で俺以外当てはまらないってことは、そうなんだろうね」 「お前はどこの寺の者だ」 「比叡は延暦寺だよ」 臆した風もなく、淡々と雷蔵は答える。その間、噛み付きそうな体勢のなびきを、それとなく手で制している。 あまりに著名すぎる大寺の名に、頭格の僧は鋭い眼光を更に研ぎ澄ませた。 「天台か?」 「山門のね」 「怪しいな」 そうかな、と雷蔵は首を傾げてみせる。 実際は、本当に比叡山延暦寺で修行していた覚えもないし、そもそも僧籍に名を連ねた覚えもない。しかし行脚僧という立場は隠密活動にうってつけであり、京里忍城はそのためにいくつか僧籍を確保していた。いわば偽造身分だ。 京里忍城が堕ちて以来、かつて用いたことのあるうちの一つを勝手に名乗って、いままで身を潜めてきている。 だから次の質問がされようと、雷蔵は別段焦らなかった。 「法名と俗名を言え」 「法名は円澄、俗名はないよ」 この一言になびきが、え?と言わんばかりの顔を向けた。先ほど名前を聞いたばかりではないか。 だが、雷蔵の様子に感じるものがあったのか、あえて何も問わない。 しかし訝ったのは、僧侶の方もであった。 「俗名が無い?」 「物心ついたときはもう御山にいたもので。ああ幼名ならあるけど。豆丸って。ちびだったからね」 ということになっている。―――『円澄』はだが。 淀みのない答えに、頭格の僧は双眸を眇める。 「何か不満なところでも?」 「ああ―――あまりにも明瞭としすぎてて、匂うんだよ」 「伽羅の香じゃない?」 実ににこやかに雷蔵は言う。本気なのか相手を嘗めているのかそれともただたんにすっとぼけているのか、分からない。 「出家の身でありながら何故剃髪しない」 至極尤もな質問だ。そういえば、となびきもその理由は先程から気になっている。行脚僧であればまめに剃れないこともあろうとはいえ、雷蔵の場合は明らかに最初からその気がないとしか思えない。僧侶としては珍しい。 「御仏の姿にあやかって、ね」 「?」 「御髪のない御仏がいるかい?」 皆虚をつかれたように、その場の間が一瞬静まった。 しかし雷蔵はそんな空気などなんのその、敬虔な僧を演出するかのように片手合掌して、神妙な口調で告げた。 「いつか悟りの境地が開けたら、きっとかの釈迦のように、一本一本巻くようになるんじゃないかなと思って、今のうちに伸ばしてるんだ。でもあれってどれぐらい伸ばせばいいんだろうね。誰か知らない?」 確かに、仏像の姿は大体渦貝状の螺髪だったり髷を結っていたりする。 だがそんな事を口にする人間はおろか、実践しようとする人間も珍しい。 一挙に場が白ける。 雷蔵の前に対峙する僧侶はといえば、「戯けた事を」と秀麗な顔を僅かに顰めさせた。 「ところでそういう君たちこそ何なのかな。その物々しい姿、とてもお寺さんとは思えないけど」 相手の気を殺いだ隙を逃さず、雷蔵はすかさず話題を相手側の探りへと持っていった。 「……我々は、この界隈を監視し、民の安寧なる生活を脅かす存在を排除している」 「排除とはまた、聖職らしからず物騒なことだ。そんなことしなきゃいけないほど、この辺りは治安が悪いわけ?」 「このところ不審人物が多くてな、正直困っている」 「そんなこと、衛士や番役にでも任せればいいのでは? 何もわざわざ寺僧が自ら俗世に手を出して、検非違使の真似事をする必要はないだろうに」 ざわ、と周りが殺気立つ。俗世、とくに穢れに近しい検非違使にたとえることは、僧侶にとっては侮辱にも等しい。 だがむしろ、隠そうともしないその殺気自体に、雷蔵はこっそり嘆息する。―――本当に、僧侶とは思えない。まぁ、自分だって他人のことを言えた身ではないが。 「まあそんなに俺の身元が怪しいと言うならば、直接延暦寺へ問い合わせて調べればいいよ」 紙の上だけの籍ならある筈だから。と心内で付け足す。 「生憎、そんな暇は無いのでな。その隙に逃げられでもしたら元も子もない」 「なるほど。それで俺をどうしようと?」 「他国より送り込まれた間者の疑いがある者は、早急に獲り立てて連行することになっている」 言うなり、雷蔵たちを取り囲んでいた僧兵達がわっと群がってきた。忽ち二人は拘束される。雷蔵は特に抵抗することもなく、あっさり捕らえられた。もとから下手に抗う気などない。一方なびきはといえば、甚だしく抵抗し僧兵達を梃子摺らせたが、所詮は少女。すぐさま縛り上げられた。 「彼女は関係ないんじゃないかな」 ちらりと横を見て、雷蔵はちょっと言ってみる。頭領格の僧は嘲笑を返した。 「間者の手引き及び匿った疑いがある。一緒についてきてもらおうと思ってな」 なびきは叫んだ。 「ちょっと、こんな横暴が許されると思ってるの!? ここは悠泉寺の敷地だよ! 襄偕和尚の断りもなく、こんなこと―――」 「残念ながら、襄偕和尚はすでにご了承済みだ」 「なんだって―――?」 思いがけない言葉に、なびきの顔色が変わる。 「あんたたち、和尚様に一体何を」 「何も。今当寺院で丁重に御持て成ししているところだ」 それ以上は無用とばかりに、配下の僧兵へ「連れて行け」と命じる。 わめき続けるなびきには、もはや一瞥もくれない。 「ねぇちゃん!」 だが別のところであがった声に、そちらへと視線を向ける。慶太は怯えた表情で戸口の端を掴んでいた。 なびきはハッとして、僧兵達が行動を起こす前に叫ぶ。 「あの子たちは関係ないよ! 何も知りやしない。それに妹は病なんだ、手を出さないで!」 必死な訴えに、頭領格はふんと鼻を鳴らした。 「別にあんな餓鬼までも連れていこうなどとはせん。厄介事はなるべく避けたいのでな」 全く真実味のない科白を吐いて踵を返す。僧兵達がざっと脇へ退いて、先頭への道を開いた。すでに一僧というよりは、武士の惣領のような様だ。 彼は拘束されている二人の横をすりぬけ、先へ行く。 横を通りざま、雷蔵は尋ねた。 「君、名前は?」 「―――行尊だ」 こうして二人は、彼らの『寺院』へと連行されたのだった。 |