3.知るも知らぬも出逢いの辻



 古来より辻には様々なモノが集うと言われる。
 四方から流れ込み、そして行き場をなくして十字の中央で溜まり滞ったそれらが、よくないことを引き起こすということで、昔から人々の忌憚の対象となってきた。
 また、四辻は百鬼夜行の通り道でもある。
 そもそも辻という字は、漢字の源流である唐土には存在しない。純粋な倭字だ。この字形は、そのとおり『十』字に交わる『(みち)』を現し、大和人独特の境界という観念を象徴する。
 遠き異朝において、まだそこが唐という名で呼ばれるよりもずっと以前、『道』という字は、外から来た人が城内に足を踏み入れる際、悪しモノが同時に入り込まぬよう、魔よけの意味合いをこめて城門の道の下に人間の生首を埋めたことからできたと言われる。
 そして本朝においては、魔が集う場所、人間と魔物の境界として辻という字が生まれた。
 それゆえか、辻には異形のほかにも、そこにある何らかの力に惹かれるようにして、多種多様な人々が集う。
 市を開く商人、旅の大道芸人、春を売る舞姫たち、怪しげな歩き巫女や傀儡子、祈祷師に法師陰陽師などといった類。そしてそれらを見物する民衆。
 境界。
 昼と夜。
 此岸と彼岸。
 決して犯してはならない、禁忌の線。 
 そんな、諸人のにぎわう町の大辻の片隅で、雷蔵は地に胡坐をかき、膝に乗せた楽器を奏でていた。
 ささやかながらも清冽な音色が行き交う人々とともに四方へ流れてゆく。
 琵琶によく似たそれは、今は指で直に弾いて奏されている。
 主なる二奏法とはまた別の、特殊奏法―――といえば聞こえはいいが、『爪弾(つまび)き』はいってみればつまるところ手抜きだ。しかし浄化の対象が、専用の“撥弓”で弾くほどのものでなければ、この奏法で十分役割を果たす。
 手軽なため、面倒なときは雷蔵は専らこれで済ますことにしていた。
 しかし『爪弾き』であっても、その弦の奏でる音は玄妙で、通常の琵琶とはまた違う趣と深みを醸している。奏でる腕も巧みさも相まって、独特の旋律に合わせて流れる唄声は、人を引き込む力を秘めていた。


   夫れ神代(かみよ)男女(おめ)ありせば

   ()まれし(こう) 雲裂き葦穂地(あしほち)(わか)

   しかして此方(こなた)(あめ)彼方(かなた)を根と(なづ)


 耳に留めた人がひとり、またひとりと足を止め、その唄に聞き入る。


   然れど人世は人世の(みち)あらんや

   天に朝夕、地に雌雄、時に盛衰、穀に種実

   移ろいありて不変なし

   すなわち(かげ)ありて()あり、

   陽ありて陰あるとは是無常の理なり

   何人(なんびと)()を侵さんや 何人()を侵さんや

   (いん)は陰に (よう)は陽に

   踊れ 踊れ いざ いざ

   踊り狂いて いざ帰せん


 滔々と流れる唄に合わせ、蠢くものがあった。
 目の好いものならあるいはそれが視えたかもしれない。
 よく目を凝らせば、人々に紛れる様にしてそこここに在る大小人型異形様々なモノたちが、少しずつ歌に惹かれるようにして集い、そして楽に合わせるようにして踊りながら、四方の道の向こうへと去っていく。
 けれど人々はその異様な光景に全く反応を示さない。
 そこにいるのに、気づかない。見えているのに、見えない。そこに存在するものを、無意識に視覚から排除している。そんな矛盾が、どこか頭の奥で曖昧な違和感を与えつつも、しかし不思議と疑問に思わず感受している。

(これが本来のあり方なのかもしれない)

 弦を操りつつ、雷蔵は道を楽しげに踊り行く異形たちと、気づく気配のない人の群れを眺め、心中でつぶやいた。
 確実に其処にありながら人間と接触しない妖と、見えないがどこかでその存在を感じている人間。
 ごく偶に勘の良い者や目利きの者だけが、彼らに気づく。
 すべての人間に彼らの姿が見えないからこそ、この一見危うげな均衡が保たれるのかもしれない。
 そしてそれこそが、あちらとこちらの境界なのだ。

 ちなみに、雷蔵の目に映る光景では、少しずつ集ってきた異形が、相当な数に膨れながら徐々に散開していっている。
 辻にはもともと妖の類が多いが、楽の音に反応するのは、どちらかといえば外部より流れ込んできた悪いモノや念が鬼の形をとったもの。
 それですらこれほどの量なのだから、この辻にはかなりのモノたちが溜まり込んでいたらしい。
 いくら境界が曖昧になりやすい場とは言え、あまり疫鬼の気が溜まりすぎると、在住している人間にも影響を及ぼしてくる。
 普通ならば定期的な年中の祭礼神事で、ある程度は散るものなのだが。

(このあたりは祭祀をサボり気味だな)

 こんなことが分かってしまうのは、果たして得なのか損なのか。
 最後の一鬼が去るのを見届けてから、雷蔵は弾く手を止めた。
 呼応するようにして人垣も少しずつ薄れ、滞っていた道の流れが再開する。
 やれやれ、と軽く肩を叩き、気まぐれに聴衆が残していったなけなしの銭(いや、この場合は布施か)を拾い上げる。別に路銀稼ぎをするつもりであったわけではないのだが、まぁ折角くれると言うのだから遠慮なく懐に入れさせてもらおう。

 「いさ祓い給い、清め給う! 神の幸わえのあらんことを!」

 楽器の首部を持って立ち上がりかけたところで、にわかに大音声が響き渡った。
 何事かとそちらへ視線をやれば、辻の角の荘厳な構えの門の階段先から、一見神主風の男が、左右に常滑の大甕を従えて口上文句を叫んでいる。群衆があっという間にそちらの方へ集っていくのが目に入った。

「おい、始まったぞ」
「急げ!」
「待って」
「早く早く!」

 皆口々に言っているところを見ると、どうやら毎度恒例の何からしい。よく見ると、我先にと走ってゆく衆のうち幾人は、同じ物を手に持っている。それが微かに気に止まった。

 ―――紅い、朱塗りの小盃。

 声を張り上げる商人らしき男の周りに見る間に人だかりができるが、その中でその盃を持っている者だけが、大きな甕の中から液状の何かをもらっている。それ以外の者達は、端のかけたかわらけや別の盃を掲げているが、一向に貰える気配なく、それでもお零れに預かろうと必死に腕を伸ばす。またある者は、はした金とはとてもいえない額の銭を掲げ、代わりに同じような朱漆の盃を得ていた。
 しばらく尋常でないその喧騒を眺めていたが、すぐに雷蔵は興味がうせて、ふい、と目を外した。どうせ自分に関係あることではない。
 琵琶似の楽器を仕舞うべく、畳んで置いておいた袋に手を伸ばす。
 そこでふと、人垣より外れたところで、他の者達の流れに乗るのでもなく、ひとりの子供がぽつんと残ってこちらを見ているのに気がついた。
 薄汚れた粗麻の服と、やせ細ったむき出しの両手足。土や垢に塗れた相貌は、おそらく少年だろうと見る。
 ただ、双眸だけが印象的だった。
 眼力で焦げ穴でもつくる気かと思わせるほど、強烈に睨んでいる。

―――……?)

 とりあえずにこりと笑顔を返してみる。子供はハッとして顔を反らし、サッと踵を返した。何故だか怒ったような、泣きそうな顔だった。
 雷蔵は小首をかしげたが、しかしこれまたすぐに興味を失ったように視線を外した。
 弦を緩めることもコマを外すこともなくそのまま琵琶を布袋に突っ込み、立ち上がる。
 そうして、ようよう身を翻したところで―――
 どんっ、とやにわに背後から何かが重い勢いをもってぶつかって来た。

「う―――わ、と」

 さほど強い衝撃でもなかったのだが、一瞬の不意をついたものだったので、思わず踏鞴を踏む。そこで走った違和感に雷蔵は軽く瞠目し、間髪入れずに手を伸ばした。振り向かぬまま、それを掴む。
 後方から伸びる小さな手は、懐に忍び込む直前で、当の獲物本人に掴み取られていた。少年が驚愕に大きく目を見開いた。正面を向いたままの相手に感づかれたことが予想外だったのだ。
 彼は先ほど法師から目を背けたのち、幾度か迷った挙句、対象が背を見せた瞬間にすぐさま駆け出していた。だが、思わぬ展開に、自分の致命的な失態を悟る。
 年も自分と殆ど変わらないような、一見のほほんと平和呆けして見える法師が、まさかこのような行動に出るとは思いもよらなかったようだ。実際は齢すでに二十歳も八つを超えていて、おまけに元忍びの者なのだが、そのようなこと少年は知る由もない。
 逃げようと思って必死に身を捩るも、そんなに強く掴まれているわけじゃないのに、掴む手はびくともしない。

「クソ―――!! 放せ―――!! このクソッタレ!!」

 少年はとうとうヤケクソになって、むちゃくちゃに暴れ始めた。
 正面を向いたまま、雷蔵は呆れ風に肩を竦めた。

「全く」

 肩越しに振り返り、今だ暴れる子供を見下ろす。

「近頃は童子といえど油断も隙もないね―――で、どうしたい?」

 少年はビクッと肩を跳ね上げさせた。雷蔵はひとつ嘆息すると、懐に手を入れた。

「目的はこれかな」

 掲げた片手が掴む藍色の袋に、少年の表情が変わる。ぐっと下唇を噛んで、睨み上げてきた。
 明らかな反応にやれやれと再び息をつきつつ、雷蔵は掴んでいた手を放した。あまりにあっさりとした対応に、むしろ少年はきょとんとして、自分の手首と法師の顔を交互に見比べる。

「君は掏りには向いてないよ。悪いことは言わないから、別の方法を考えなさい」

 誰しもが、自分のように知らん顔してくれるわけではない。そう言い置いて、雷蔵はひらひらと手を振り背を向ける。
 少年の腕は全くの素人だった。恐らく金がほしい一心で、見よう見真似にやってみただけだろう。だがそれは、いつか悪い方に転ぶ。かといって道徳者のように諭そうとする気はない。綺麗事だけで生きていけるような時代ではないのだ。幼い頃より忍びとして訓練され、世の裏を見続けてきた雷蔵にはそのことをよく分かっていた。
 極限の条件下で、本当に生きたいと思うのなら、非力な人間は人を欺き自らを貶めるしか道はない。その他の方法で生き抜くなど、よほど運が良いか稀な場合だ。
 そうまでして生にしがみ付きたくないと思うのをよしとするか、たとえ堕ちようとも我武者羅に生きようとするのをよしとするかは、人それぞれだろう。
 ふと、では何故自分は今生き続けているのだろう、と思った。
 特に何の執着もなく、際立った喜怒哀楽も感じず、生きる目的もなく、ただ漫然と日々を過ごしている自分。
 敵に襲われれば殺すこともあるし、食べるために様々な手段で生活費を稼ぐこともある。
 〈秘伝〉を守るという義務を理解してはいるが、生き甲斐とするほどのものではない。
 別に生きる意義や理由の有無に何らかの意味合いを感じているわけでもないし、必要性も感じないが、考えてみれば不思議だった。

(何かを……)

 何かを探していたような気がする。ずっと、それだけを―――
 そこではたと物思いから覚める。雷蔵は苦く笑った。最近こんなことをよく考えている。己を知る者が聞けば「らしくない」と言うだろう。
 そう、人の運命など、所詮なるようにしかならぬもの。
 だから雷蔵は別に少年に「掏りをやめろ」とは言わないし、代わりに慈悲も与えない。人生は当人のものだ。好きにすればいいし、その結果どうなろうとも知ったことではない。
 去り行くその背後では、子供は悔しさに両目に涙を滲ませながら、顔を真っ赤にしていた。

「うるせいやい、この生臭坊主!! クソハゲ!!」

 上がった凄まじい罵倒が、雷蔵の後ろ首を叩いた。更に容赦ない罵詈雑言に、下品な俗語の羅列が続く。さすがに足を止め、困った面持ちで後ろを見やった。別に実際殴打されたわけではないのに、何となく後頭部の辺りをさすってしまうのは、気分の問題か。
 幸いなことに辺りの群衆は別の方に熱中しているので、少年の剣幕に意識を向ける者はいなかった。

「ほかにどうしろていうんだ! どうやって金を手に入れりゃいいんだよ!! 誰も見向きもしやしない、どんなに病気の妹を助けてって叫んだって、誰も助けちゃくれないじゃねぇか! 薬が欲しけりゃ金を出せって……みんな俺達孤児なんか、家畜以下だと思ってるやつらばかりだ!! そんなやつらから俺が金を盗って何が悪いんだ!!」

 一気にまくしたて、子供は肩で息をした。力尽きたようにうな垂れる。
 雷蔵は錫杖片手に佇み、無言で少年を見ていた。誰もが面倒ごとを避けたいと思うこの時世、誰も彼も自分や家族のことで精一杯で、赤の他人にまで回せるほど気の余裕はなかった。それを責めることは誰にもできないが、生きにくい者にとってそういう世の中はいったいどう映っているのだろう。
 妙な感慨めいた疑問が頭を過ぎり、雷蔵はやがて疲れたような表情で目を伏せた。
 足先を向けなおし、子供の前に近づく。
 少年は顔を上げ、きっと睨みつけた。
 その顔の前に、銭をいくらか差し出す。
 すると少年は、更に憤慨したように、顔面を紅潮させた。

「今更クソ坊主の施しなんかいるもんか!!」
「違うよ。これは案内料」
「……え?」

 耳朶を打った静かな声音に、息巻くほどの勢いが急速にしぼんでゆく。

「病気の妹がいるんだろ? どこ?」

 予想だにしなかったことに、少年が豆鉄砲でもくらったかのごとくぱちくりと目をしばたたく。そこに微かな期待と、訝りが混ざる。こんなにあっさりと、何の見返りもなさそうな孤児に手を貸そうとする人間が果たしているものかどうか、怪しんでいるのだろう。そういうところは妙に現実主義である。
 雷蔵としては掏られそうになった挙句、見も蓋もない罵倒を浴びせされるよりはまだマシという程度の判断なのだが。
 少年はしばらくまじまじと法師の顔を見つめ、それからたった今聞いた言葉が真実なのだと理解すると、慌てて半身を返して指差した。

「こっち、こっちだよ!」
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