念 おもいとこえ



 どこにでもよくある長閑な街道沿いの茶屋に、男が一人。
 僧形に髪を伸ばし放題の若い男は、ハラハラと散る花びらを、団子串を口に加えたまま締まりのない顔で眺める。
 丁度路銀が底をついてきたので、治療用の鍼のついでに縫物針や庖丁を造り、裏の仲介屋―――彼の鍛冶師としての銘は通の者たちの間では有名すぎて、表だって売るのは憚られるのだ―――に売ったところだった。

 本来であれば医師業で生計を立てたいところなのだが、近頃の戦乱続きで、深刻に医者の手を必要としている人々は総じて困窮しており、とても代金を請求する気になれない。
 結局は“副業”である鍛冶業で収入を得ることになるのだが、皮肉なことにこちらの方がよく金になる。否、よくどころではなく、かなり儲かる。たった針一本でさえとんでもない値がつき、飛ぶように売れるのだ。それだけ彼の作に価値があるということなのだが、あまりに高額で取り引きされるため、仲介屋には格段に買い取り値を下げてもらっている。そんなに大量の金は持ち歩けないからだ。

 かといって銘無しにすれば、生活用品ではそれこそ何をいくつ売っても端金にしかならない。品の質は上等だから、目利きならば相応の価格をつけてくれるが、それでもマメに造っては売り続けなければならず、正直いってそれも面倒臭い。
 このため、銘入りにして売る量と物を限定し、仲介屋に格安で売りさばくのだが(彼の凄いところは、針一本にさえ器用に銘を彫れることだ)、更にそれは表の問屋に売られるわけだから、仲介屋は彼のおかげで相当美味い汁を吸わせてもらっていることだろう。

 そうしてさえ、彼が手にするのは庶民からすれば多額の部類だ。おかげで一度売った後は大抵はしばらく食べていける。
 定期的にそうして稼ぎ、再び懐淋しくなったころにまた造って売るということを繰り返している日々だった。
 そんなこんなで纏まった金が手に入ったので、久々に茶屋で花見団子としけこんでいたのだが―――

(願わくば望月の夜桜の下で死なんとは、まあよく言ったもんだな)

 古の詩僧を揶揄し、静かに瞬きをするその瞳に、桜の花弁の影が写り込む。団子を咀嚼し嚥下した。その左目には、小さな翁が枝に腰かけ、楽しそうに粉を撒いている姿が見えていた。桜の木の精が花を咲かせているのだ。
 実に平和そのものな光景を見るともなしに見つめながら、彼―――美吉は、二つ目の団子を無造作に口へ運んだ。
 歯ごたえのある感触を味わいつつも、その頭にあることは花でも団子でもなかった。
 脳裏で繰り返しなぞるのは、以前、相棒に別れ際に言われた言葉だ。
 身の内に宿る神を無に還す方法。

(俺が天目一箇と折り合いをつける。そんなこと、本当にできるのか?)

 ありえない。
 そのようなこと、叶うはずがない。
 左目を覆うように手を触れる。

(だってこいつは、人間をこんなにも憎悪しているんだぞ)

 その憎しみの深さを思い出し、美吉は身震いをする。
 対話など到底無理だと思った。端から聞く耳など持たないだろう。
 しかし、それ以外に方法がないのもまた現実だった。
 かの神の心を変えられなければ、美吉は死ぬまでその影に怯え苦しみ続けなければならないし、死んだあと解放された神によってどうなるかも分からない。
 限りなく可能性が低い賭けでも、試してみなければそれですべて終わりなのだ。
 それに、もしこれが巧く行けば、もう一つ〈秘伝〉という一種の呪いも、解くことができるかもしれない。

(でも、対話ってどうすればいいんだ? 普段奴は奥深くで眠っている。封印を解くわけにもいかない……それとも、呼びかければ答えるのか)

 感覚でやり方は何となく分かりそうだが、何の備えもなく試すのは怖いような気がした。万が一意識を乗っ取られでもしたら―――

(やっぱり雷蔵がいるときに……いや、これは俺自身の問題だ。いつまでもあいつに頼ってばかりでいるわけにはいかない)

 首をゆるやかに振り、かといって試す勇気も効果的な対策もなく、悶々として途方に暮れる。
 そうして物憂げに大きな溜息をつき、団子の最後の三つめに齧りついた。






 その丁度道を挟んで斜め向かいで、同様に大きな溜息を吐いた少女がいた。

「見つからない……」

 茶屋に背を向け、道端の休み石に腰かけた彼女は、膝に平たい円板のようなものを乗せ、頬杖をついて憂鬱気にそれを覗きこんでいる。

「本当に“いる”のかしら。それともまさか、壊れているとか……」

 しばらく矯めつ眇めつ円板をいじくり回し、ふと両手で持ち上げ上にかざすようにした。
 その後ろで、一服済んだ法師が勘定をして、茶屋を出て街道を歩き去る。
 その瞬間、まるで雷にでも打たれたように、彼女はビクリと硬直した。
 バッと降り向き、たった今、後ろを過ぎ去った影を探す。
 だらだらとした墨染の背を認めるや、取るも取り敢えず荷物を抱えて駆け出した。






 突如後方から迫り来た気配に、美吉は歩みを止めることなく、気怠げに警戒した。

「もし、そこの旅のお坊様!」

 かかったのは予想外に若い娘の切羽詰まった声で、つい肩越しに振り向く。
 全力疾走してきたのか、両腕に荷を抱え、肩で大きく息をする少女は、思いつめた真剣な目をひたと向けていた。
 年の頃はようやく15といったところだろうか。地味な色合いの小袖の裾を捲って脚絆をあて、手には籠手、首には笠が引っかかっている。土埃に薄く汚れた出で立ちは明らかに旅装束だった。黒髪に縁取られた面輪はふっくらと白く、柔らかく整っている。このような年頃の若い娘が一人旅とは、相当な世間知らずなのか、それとも相当な豪の胆の持ち主なのか。

「もしかして、俺?」

 閑散とした街道に人は少ない。間違いなくそうだろうと思いながらも、美吉は自分を指して確認してしまう。
 何となく、あまり良い予感がしない。
 走ったためか薄っすら汗を浮かべる面や、身のこなしからして、娘はどこぞから放たれた刺客だとか怪しげな手の者ではなさそうだったが(その道の人間はどれだけ外見を取り繕っていようと細かな仕草や醸し出す気配などで分かるものである)、その縋りつくような鮮烈な眼差しに、美吉は逃げたいような思いにかられた。腰が引けたわけではなくて、どうにも面倒臭そうな空気を感じたのだ。
 果たして、少女はこっくりと深く頷いた。
 そしてじっと美吉から目を離さずに、

「見つけた……」
「は?」
「貴方様のような御方を探しておりました。どうかお願いを聞いては貰えますまいか!」

 唐突に、必死の形相で頼み込んできた。
 美吉はしばらく瞬きをして、やる気なさげに見つめ返した後、

「悪いけど先を急いでるんで、他を当たってくれ」

 全く急いでいるとは思えぬもったりした動作で身を返してのんびり歩きだした。
 思わぬ展開に慌てた少女が、「お待ちください!」と足を踏み出した瞬間、
 その身体が沈んだ。
 派手な音にぎょっとして、美吉は思わず足を止めて再び振り返った。
 少女が地面にうつ伏せで伸びている。明らかに転んだとかではない倒れ方だ。一人二人通りすがる旅人が怪訝そうに見やっている。
 腐っても医者のはしくれ。美吉は悩んだ末、小さく舌打ちをして少女の側へ大股で寄った。
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