磨きこまれた鏡面にぼんやりと色が映りこむ。

「先に神人を連れてきた方を村神子とする―――そう長老に告げられたのが、半年前のことでした」

 神鏡を覗き込む面には少し血の気が戻っては来たが、相変わらず顔色は白い。
 目覚めた紫は、上体だけを起こし、まずは付き添っていた美吉に礼を述べた。今室内には二人の他には誰もいない。外で待つ二人を呼ぼうとした美吉を紫が引き止め、話しておきたいことがあると告げたためだった。

「お前たちの言ってた使命ってのはそれか」

 本当は最初に出会った時に透視していたことだが、美吉はあえて知らぬふりで確認をする。紫は小さく頷いた。

「従姉弟同士の私たちは、小さい頃はそれは仲良しでした。特に浅葱は立て続けに両親を亡くし、そして私の両親もほどなく呪いの病に倒れたので、村のほかの大人たちに世話になりながら、頼れるのはお互いだけでした。でもその関係が変わったのは、浅葱が神隠しに遭いかけてから少ししてからのことです。それは今は亡き村長が、私を次の村神子に指名したからでした」

 村神子というのはその名の通り、村の神に仕える(みこ)のことだ。神隠しに攫われた浅葱を探しにいく時、紫はご神宝の鈴を社から勝手に持ち出して使った。そのことが要因となって彼女は村神子候補に目されたのだという。

「前にもお話した通り、ご神宝は神通力がなければ使えません。村神子は神と交信して村を豊かにするための存在ですから、通力が不可欠なのです。けれどそれに猛反対したのが浅葱でした」

 美吉の目に視えたのは、懸命に訴える幼き日の浅葱の姿であった。自分にだって神通力があるのだから、資格があるはずだと駄々をこねて周囲を困らせていた。

「勿論そんな子どもの主張など、村の決定を覆す力にはなりません。私は村神子となることが決まっていました。ですが私たちが成長する間にも異変は進行し続け、状況は切迫し―――ついに村長までが奇病で亡くなった時に、私たちは長老に呼ばれました。急ぎ神人を探し連れて来よ、最初に戻った方が村の守護たる神子と認める、と」

 長老の真意は使命ではなく二人をできるだけ遠くへ逃すことであった。しかしそれに気づかぬ二人は、額面通り言いつけを守り、ついに果たしてしまったというわけである。




 話を聞き終え、雷蔵は天を仰いだ。太陽はすでに傾き、黄昏の空を鰯雲がのどかに漂っている。天は平穏、地は不穏。人は―――

「結果俺と美吉が連れて来られて、村神子の話はまた棚上げというわけだね」
「そうはいかない」

 力んで反駁した少年をおやと怪訝そうに見下ろす。
 彼は、そういうわけにはいかない、と繰り返した。

「村神子は男がなったっていいんだから、俺がなる。これだけは絶対に譲らない」

 どこへともしれぬ方を睨み、強い語気で宣言する。

「村神子になると何かいいことでもあるのかい?」
「・・・・・・」

 語りすぎたことに気づいたか、浅葱は一転、貝の口になった。
 これ以上は聞き出せそうにもない。やれやれと嘆息したところで、背後で気配が動いた。肩越しに振り向けば、ちょうど戸が開き美吉が身体を覗かせた。入るよう仕草で促され、浅葱を伴い薄暗い廃屋へ踏み入れた。人が住まなくなって久しいようで、あちらこちらに塵埃が溜まり、蜘蛛の巣が雲海となっているが、建物自体は概ね良好な状態だった。
 しかしさすがに草鞋を脱ぐのは躊躇われたので縁側から下足のまま上がり、囲炉裏のある間へ足を運ぶ。
 紫は美吉の持ち物である大布の上で身を起こしていた。疲れて落ち窪んだ目が浅葱を見て一瞬痛そうに細められる。

「具合は大丈夫かい?」

 傍に腰を下ろし、微笑みかける。紫は頬を緩ませ、ご心配かけてすみませんと答えた。

「症状はひとまず収まったが、今すぐに動かせる状態じゃないな」

 美吉が医者の貌で言う。
 こうしてる間に病はどんどん進行してゆく。あの茂吉という青年のように、静かな集落のいたるところで同様に病苦に喘ぎ床に臥せっている者たちがおり、中にはすでに発症から時間が経過して末期に近づいている者も少なくない。呪詛を解くことがまず第一の急務だった。

「方法があるって言ってたよね」

 浅葱が身を乗り出してきた。

「何か手伝えることはない? 俺なんでもするよ」

 雷蔵はその顔をひたと見据え、首を横へ振った。

「君は紫殿と一緒に美吉の傍から離れないように。呪詛の力が強まっている今、彼の近くにいるのが一番安全だからね」

 よいしょ、と膝を立て立ち上がる。

「あんたは?」

 慌てて見上げる浅葱へ謎めいた微笑を見せる。

「ちょっと材料を集めに、ね」

 質問が続くのを制するように今度は美吉に顔を向け、

「美吉、ちょっといいかい」

 顎をしゃくり、踵を返す。二人は少年と少女から距離を取って、庭先で間合いを詰めた。

「どうするつもりだ?」

 身を寄せ、声音を抑えて尋ねる美吉へ、雷蔵は泰然と笑い返す。

「とりあえず目下解決すべきは呪詛、〈秘伝〉の諸々についてはそれから考える」
「方法があるって話、さっぱり見当がつかねえんだが」
「発想の転換だよ。呪詛を返せないのならば、完遂させればいい」
「はい?」
「目的を達成すれば呪詛は自ずと解消する」

 呪詛の完成はすなわち村人の全員の死を意味する。もちろん雷蔵が額面のまま言っているわけではないことは美吉にも分かるが、意図を計りかねた。

「分からないかい? 俺達は継承者だよ(・・・・・・・・)

 怪訝そうな美吉の眼奥に一つ光が点る。

―――まさか、本気か?」
「それしか方法はない」

 雷蔵は一度顔を正面に映して遠くを見据えながら呟き、再び隣の美吉へ戻した。

「今のところ一番身軽なのは俺だろうから、材料は俺が集めてくる」
「俺はその間あの二人の傍について守っていればいいんだな」
「任せたよ。ところで今村に大体何人ほど残っているか分かるかい?」
「さっき上からぱっと視た限りだと、50人超ってところだな」
「50人以上か」
「どれくらいかかりそうだ?」
「全工程で最低二日は欲しいね」
「二日か・・・・・・面倒だが仕様がない。拠点は?」
「長老屋敷。付き添いの女性がいただろう。病があまり進行していない様子を見ると、あそこも呪詛の効力が及びにくい可能性がある」
「了解」

 さくさくと分担を確認し合い、然らばと互いに軽く手を上げ、雷蔵はそのまま外へ向かった。
 一方空き家に戻った美吉は、ポカンと見上げてくる二人に向かい告げた。

「嬢ちゃんが動けるようになったら移動するぞ」




 それからしばらくし、すっかり日が暮れた頃に、雷蔵は戻ってきた。
 用意されていた離れに入ると、先に帰っていた美吉と浅葱、紫が部屋の中で待っていた。紫は布団から身を起こしている。顔色からしてやはり体調はあまり芳しくないようだ。血が失われ続けているのだから当然だろう。雷蔵の薬も美吉の施術も、血を止めることはできないため造血を促すほかないが、それでも出血量に追いつかないのだ。
 雷蔵が持ってきた荷を見て、浅葱がぎょっとする。いつの間に調達したのか、背負子に人間の脚ほどの太さの丸木が十本ほど積まれていたからだ。中には葉が付いたままのものもあり、断面がすっぱり綺麗に切れているものもある。どうやら山で採取してきたらしい。

「周りが木だらけで良かったよ。おかげで手頃な素材が手に入った」
「な、何を始める気?」
人形(ひとがた)を作るんだよ」

 よいせと部屋の隅に背負子を下ろせば、土や屑がぱらぱらと床に落ちた。

「村人全員分の形代を作って、呪詛を欺く」
「でも、それはすでに試して駄目だったと聞いていますが」

 おずおずと紫が指摘するのに、雷蔵は振り返り笑みを返す。

「定石通りに呪詛を移そうというのはだめだろうね。だからちょっと細工をする。美吉、正確な人数は?」

 双眸を美吉へ移し問う。彼は予め長老から預かっていた人別帳を振ってみせた。

「赤子含めて56人だ」
「ひいふうみ・・・・・・まあ一個につき5枚削り出せば十分だね。よろしく」

 抛られた丸太を難なく片手で受け取った美吉は「あー面倒くせぇ」と愚痴りながらも、持っている荷から風呂敷と道具を取り出し、器用に作業を始めた。太い材木を華奢な小刀で難なく薄い木板に切り割った時には紫も浅葱も目を剥いた。
 その間、室の四隅に結界代わりの呪を施した薬草を置いてから戻った雷蔵は、美吉が切り出した板を、身裡に備えていた苦無の一つで人の型に削っていく。浅葱も手伝うの言うので見本を見せ、美吉の手持ちの中から用具を貸し、人型へと削り取る作業を手伝った。もっとも、木を思い通りに削るには技術がいる。手慣れていない浅葱は二人に比べて随分ともたつき、形を整えるのに苦心しているようだった。一方、紫には用意した墨と筆で出来上がった人形に、人別帳に記された村人の姓名と生年月日を書き込んでもらう。
 さすがに50人以上の人形作りは夜半を越えてもなお終わらず、徹夜覚悟の作業となりそうだった。少年少女はまだ手伝うと駄々をこねたが、雷蔵が眠り薬を盛って眠らせた。
 静かに立つ寝息の傍らで雷蔵と美吉は黙々と手を動かす。
 
「身代わりの人形、ねぇ。まあうまい嘘をついたもんだ」

 思い出した風に深々息を吐きぼやいた美吉に、雷蔵は相槌を打つ。

「当たらざるも遠からずだろ」

 しゃあしゃあと言いながら、足の部分を丁寧に削り出す。明かりはそれぞれ油をさした燭台が一つずつあるだけだ。ほとんどが暗闇の中、小さな火だけを頼りに、迷わず手を動かす。

「本当のことを言うわけにはいかないからね。いくらここが〈秘伝〉に関わる里でも」
「まあな」

 美吉は滑らせる筆先から目を逸らさぬまま唇をゆがませた。雷蔵の思いついた方法は、自分たちが〈秘伝〉を持つからこそできる規格外の反則技だ。そうである以上、村の者にも真実を告げるわけにはいかない。

「しかし、本当にこれでうまくいくのかね」
「さあ、試したことはないからね。理論的には可能なはずだけど」
「でも、するなら一斉同時でないとダメだろ。56人だぞ、お前体力持つか?」
「やってみるしかないね」

 ふうと息で木屑を飛ばす。揺れる空気にじじっと燈心が音を立てた。

「56人に死を与えて、魂の緒が切れる前に一瞬この人形に繋ぎとめ、呪詛を濯いだ元の肉体へ蘇らせるなんて途方もない方法、よくまあ思いついたもんだ」

 〈秘伝〉は森羅万象の理を網羅する奥義。もとより存在自体余人の触れることの許されないものであるが、中でも過剰なまでに秘され、決して悪用されぬよう幾重にも護られ続けた最たる理由がある。
 それは生きとし生けるものすべての命に関わる項、すなわち生命を左右し操作する法にあった。古今東西、あらゆる呪術師たちが追い求めてなおなしえなかった究極の術。それは人の本分を超えた領域であったために得られなかったのは当然のことなのだが、究玄が行き着いた境地こそはまさにその人が決して触れてはならぬ理であったのだ。
 天義書は生を、そして地義書は死を与えることができる。雷蔵が橙の実を成らしてみせた時、浅葱は神の御業と言った。それは正確ではなかったが、しかし正しくもあった。
 正確ではないというのは、扱うのが人間である以上、やはり万能ではないからだ。死については、元々生けるものすべてが必ず迎えるものだからともかく、生を与えるには制約があった。たとえば寿命を全うしたり、完全に魂魄が離れて鬼籍に入った命は甦らせることはできない。雷蔵が干渉できるのは、天命に余地があり、死してなお魂魄が肉体から離れず残っている場合。あるいはこれから確実に生まれる命と分かっている場合だけだ。死が確定したものを甦らせることや、因果なく命を生み出すことは、森羅万象の理の中に存在しない。理に無いことは当然、理を使う継承者にも行うことはできない。逆にいえば、理に反しない限り、蘇生や与生は自在に行える。
 だから、美吉が地の〈秘伝〉で肉体(うつわ)の死を与えたら、魂魄が離れぬうちに天の〈秘伝〉によって生へ呼び戻すのである。

「強い魘魅で呪詛返しもできないとなれば手段は限られてくるだろ」
「だが、命を絶ってから間髪入れず魂を形代に移すのは簡単な仕事じゃないぞ」

 雷蔵の案は確かに有効だが、成功するかは未知だ。途中までは手伝えても、呪術修行をしていない美吉には手の出せる限界がある。殆どは雷蔵の負担に頼らざるを得ない。体力、という簡単な言い方をしたが、それだけで済む話ではない。下手をすれば命を削ることになる。命を扱うということは、それだけ重い。

「それでも他に方法がないのなら試す価値はある」

 まるで他人事のように応じる雷蔵に、美吉は釈然としない表情で押し黙った。
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