法 おきて(ハツ)しんり(ホツ)



 長老の屋敷を辞し、再び子ども等を伴って村を歩く。今度は法衣の二人が先頭だ。
 浅葱と紫は屋敷の別室で何か話をしたのか、あるいはやはりしていないのか、相変わらず互いに固い空気を漂わせ一言も会話もしなければ一瞥も向けない。ただとぼとぼと雷蔵たちの後ろについてくる。
 そんな様子を背中で感じつつ、雷蔵がふと囁いた。

「そういえばあの子たちの言ってた使命とやらのこと聞きそびれたね」

 美吉がああ、と唸る風に相槌を打ち、こちらもやはり小声で返す。

「言っただろ? どうせ二人を村から出す口実なんだろうし、あまり深い意味はないんじゃねえの」

 それにしては浅葱も紫も尋常ではない執着ぶりであるが。まあそれは追々でもよいか。と、美吉が話を変えて振ってくる。

「しかしどう思う?」
「何が?」
「自称、始祖の餓鬼の話だ」
「ああ、あれか」

 雷蔵は軽く空を仰いだ。

「正直分からないね。始祖は人並み外れて長命だったと聞いているけど」
「昇仙していたんじゃないかって話か。それは俺も継承の際に聞いたが」
「それが本当だとしたら、その息子が特別だったとしても不思議じゃない」

 そこで一度言葉を切り、少し逡巡してから慎重に加えた。「そして先代伝承者の話が真で、もしも俺たちが対峙したあの少年がそれならば」
 少なくともすでに百年もの歳月を生きていることになる。

「そんな荒唐無稽な話、信じられるのか」
「さあ」
「さあってな」

 不満げに口元を歪める美吉に、雷蔵は嘆息で応じる。

「現時点では憶測でしかないし、現状が変わるわけでもないだろ。当然別人という可能性もある。いずれにしても君が呪いの核を視れば分かる話だ。真偽がどうであれ、主理という名の何者かが、始祖の血縁を名乗り、我こそが〈秘伝〉の所有者だと主張して、俺たちの命を狙っていることに変わりはないよ」
「そりゃそうだが」
「それよりも長老殿の話、君はどう感じた?」

 涼しい顔で逆に問い返せば、美吉は対照的に難しい表情で唸った。村人の時と同様に、治兵衛が話している間中もずっと左の天目を開放していた。彼はむやみに人の記憶を覗くことを好まないが、こういった死活にかかわる重大なことであればその限りではない。

「話に嘘はない。あの爺さん、自分では気づいてないようだし、きっと歴代の誰もが気づかなかったんだろうが、伝承者は継承者に偽りを伝えられないんだ。そういう“呪い”をかけられている。それに、次代伝承者と当代継承者以外には、口伝の内容を語ることができないようにもされていた。先代伝承者が魘魅で村が悲惨な目に遭っていてもなお口を割らなかったのは、本人の意思というよりもその呪いの所為だな」
「語らなかったのではなく、語れなかったんだね」
「何故そうまでして究玄(しそ)がこんなものを残したがったのか理解できん。そうするほどのものか〈秘伝〉は」

 憤懣を覗かせて美吉は毒づいた。

「長老殿が言っていたね。始祖にとって、〈秘伝〉は己のすべてをかけて作り上げた結晶、我が子にも等しい存在だった。親が手塩にかけた子を失いたくないと思い、他にどれだけの命を犠牲にしても守り抜こうとするように、究玄もまた苦難の果てに完成させた〈秘伝〉を守りたかった」
「〈秘伝〉は人間じゃないぞ」
「けれど護法が宿っている」

 その一言に美吉ははっとしたようだった。

「〈秘伝〉に記した知識とともに、護法として宿した神霊(こころ)を、始祖は失いたくなかったのかもしれない」

 雷蔵の声は恬淡としていて、その心はわからない。だが美吉は己がミケと名を与えた神虎を思い、口を噤むしかなかった。たとえ人のような命といえずとも、喜怒哀楽の感情があり、己の意思を持つ彼らを、「生きていない」と言い切れるだろうか。

「始祖がこの世にいない以上、すべては憶測の域を出ない。ただ始祖ではなくとも、継承者である俺たちは覚悟を決めないといけないのだろうね」

 継承者と護法は一心一体、〈秘伝〉を継いだその瞬間から深い絆を持つ。

「お前は平気なのか?」
「何が?」
「その……龍のことだよ」

 あっさりと聞き返され、少し躊躇いがちに美吉は訊く。龍は天の巻の神霊、雷蔵がつけた名だ。壮麗な龍神の姿を持つ護法は忠実な性格で、己の主をどこまでも慕っている。

「さあねぇ」

 雷蔵は漠然と微笑した。まるで(うろ)のように、そこからは何も読めない。しかし、

「護法は主である継承者の意思を最もよく汲み取る」

 付け加えるようにつぶやかれた一言は、答えとは言い難い、しかし何らかの含意を感じさせるものだった。

「それよりも今は呪詛のことだよ」
「あ、ああ」

 そうだな、と言い、頭を振って思考を切り替える。

「上から視た様子だと、村の中央に核が埋まっていた。そろそろだ」

 そう足を速め、畑の畦道を超えて柿や大根が干された軒先を横切った。農具の立てかけられた倉を回ると、そこは少し開けた場所になっている。奥には小さな社が鎮座していた。
 先ほどから置いてけぼりを食らって不満げな浅葱が後方から大きく声をかけた。

「此処は村の集会所だけど、どうかしたの」
「どうやら呪詛の核があるらしくてね」
「まさかここに?」

 紫が慄然と息を呑んだ。

「ああ。堂の中だ」

 恐怖と畏怖と僅かな怒りが紫の瞳に交錯する。それもそうだろう。御座村にとって不可侵であり、畏れ敬うべき神の社に、穢れた呪物がある。まさに神罰をも恐れぬ所業であり、これまで気づかず生活してきただけに一層信じがたいはずだ。
 美吉は社に近づいた。何年かに一度は清め改めるのだろう。社は長い年月風雨に晒されているにしては小奇麗であった。それでもしばらく手入れする者がいないと見えて、木材は朽ち掛けている箇所があるし、貼られた札も半分剥がれ落ちている。
 跪き、一度拝むように手を合わせてから、じっと閉じられた扉を注視する。途端に脳裏に描き出される己のではない記憶の断片に、顔を顰めた。伴う感情に引きずり込まれぬよう制御しながら、少しずつ選別をしていく。そしてその果てに見出した一つの事実に心臓が一つ大きく脈打つ。己が目を疑い、嘘だろうと頭の中で誰へともなく訴える。だが一方で、どこかでそれを予感していた自分が、冷静に事態を捉えている。
 あらかた読み終えて立ち上がると、膨大な時の流れと記憶の余韻に目が眩んだ。
 頭を振り、現実の感覚が戻ってきたところで後方を振り返る。

「守り神の気配がない」

 紫も浅葱もその一言に息を呑む。
 前髪の上から左眼を押さえながら、美吉は雷蔵の近くへ戻った。その面は心なし固く、蒼白だった。

「信じられないが、間違いない。神を追い出し、魘魅を仕掛けていったのは“あいつ”だ」

 過去の映像の中で振り向いた顔は、確かにあの顔だった。風早の里で相対してから、網膜に焼き付いている面立ち。見間違えるはずがない。
 それを聞いて、雷蔵は視線を落とした。そこに意外さや驚きの色は見受けられない。ただ可能性が現実となったことを黙然と確認している。
 同一人物。では彼は常識では考えられない長久の年月を過ごしてきているということになる。
 時が止まった、あの姿のままで。
 まだ信じがたい思いを持て余しつつも、この場は無理やり据え置くことにし、美吉は話題を先に進める。

「そんでもってあの餓鬼、鉄の楔を社の中に埋め込んでいきやがった」
「やっぱり取り除けそうにないか」
「無理だな」

 きっぱり答えてから、少し間をおいて言う。

「呪物は金剋木の理によって木の神体を貫いている。もし不用意に放てば、今度は木剋土の理で守り神が不浄の神と化して戻る」
「木が土を殺す。本来の恩恵が失われ土地が死ぬというのはそういう意味だね」
「俺は呪術は専門外だ。方法はあるか?」

 美吉の瞳はそこまで便利な代物ではない。術師や術法は見抜けても、解決策までは“真実”の括りでないため、見出すことはできない。
 しばらく口元に手を当て沈思していた雷蔵は、視線を落としたままゆっくり唇を開いた。

「一つだけ思いつくものはある。ただ規模が大きい上に一か八かの賭けになるけど」
「方法があるんですか!?」

 会話を聞いて、紫が息せき切って割り込んだ。おいと浅葱が止めるのも構わず雷蔵の衣を両手で掴み仰ぐ。

「みんなが、村が助かる方法があるのですか? お願いです、教えて下さい。私何でもしますから」

 途端にひゅっと息をのみ、見る間に蒼白になる。膝から崩れおちかけるのを雷蔵が間髪で支え、美吉が慌てて後を引き取った。

「気を高ぶらせるなと言っただろうが。病は抑えているだけで消えたわけじゃないんだぞ」
「すみ……せ……」
「ああもう、しゃべらんでいい。おい小僧、この辺に空き家はあるか。もしくはお前かこの嬢ちゃんの家でもいい」

 極度の貧血で朦朧とする紫を背負い上げ早口に言えば、呆然としていた浅葱はしどろもどろ「確かあっちに確かもう誰も住んでいない家が」と指差す。

「案内しろ。急げ!」




 美吉が空き家で処置を行っている間、雷蔵と浅葱は屋外で待っていた。
 垣根に持たれながら浅葱は憮然として始終無言であった。一緒に入ろうとしたところ美吉に「もう年頃の娘の肌を見て許される齢じゃねえだろ」と脅されたせいでもある。
 ちなみに雷蔵は診断のため一度立ち合い、薬術でも対症療法しか見込めないことを断った上で、造血作用の丸薬と気力回復の符を丸め、併せて飲ませるよう美吉に託し退席した。あまり浅葱から目を離すのも危険だからだ。
 立ち会った時に見た紫の身体はいたるところに痣が浮いていた。外傷ではなく体内からの出血である。この血の病は、まず内出血に始まり、やがて骨と関節が病み衰えて動くのも困難となり、寝付いたところから壊死が始まって、最期には身体中の穴という穴から黒い血を流して死に到る壮絶なものだという。進行を遅らせていたはずの紫の病状が村に入って僅かの間に格段に悪くなったと美吉は言った。奇病の特性を聞く分にはすぐに命にかかわることはないはずだが、呪いの核心部に踏み入れたことでかけられた呪詛が活性化しているのだろう。未だ疫神も厄神も防いでいる浅葱の身辺も一層の注意が必要であった。

「彼女とは血縁かい」

 不安の裏返しである仏頂面に向かって前置きなく問いかけた。背後ばかり気にしていた浅葱は不意打ちを食らって慌てて振り向いた。

「なんで」

 動揺のあまりぱしぱしと目を瞬く。しらばっくれようとしたのだろうが到底誤魔化しきれていない。

「長老から聞いたの?」
「いいや。でも何となくね」

 浅葱も紫も色の名だ。染色や顔料を生業としている土地柄でもなし、そう多い名づけではない。

「……母親同士が姉妹ってだけだよ」

 要するに従姉弟ということか。

「これは長老殿から聞いたけど、君は小さいころ、神隠しに遭いかけたそうだね」

 小さな舌打ちが返ってきた。

「ちょっと気になることがあるんだけど、その時の記憶はどこまである?」
「どこまでって?」
「連れてゆかれそうになる直前から、助け出された直後まで」
「……」

 浅葱は地面に目を彷徨わせ、何度か唇をなめた。言いづらそうにしているのは、言いたくないほど恐ろしい経験だからか、それとも本人も記憶があいまいだからなのか。

「正直、断片的なんだよ。村の仲間と隠れん坊で遊んでたんだ。あれは夕暮れで、何かに呼ばれた気がして顔を上げて……そこから覚えてない。ただ気づいた時には山の中にいた。裸足で、身体中ひっかき傷だらけで痛くて。そしたら、たくさんの松明を持った大人たちがいて、あいつが泣きべそかきながら俺の片手を引っ張ってて―――
「あいつ?」

 雷蔵が首を傾げると、浅葱はしまったという顔つきで一瞬歯を噛んだ。しばらく苦々しげにしていたが、じっと待っているとやがて降参した風に息を大きく吐き出した。

「紫だよ。あいつが真っ先に俺を見つけたんだって」

 どこか投げやりに白状し、

「もう少し遅かったら、俺は深い谷底に真っ逆さまだったらしいよ」
「君が無害な山霊さえあれほど恐れるのもそのことがあった所為かい?」
「……」

 浅葱は何もいわずただ小さく頷いた。
 神隠しから生還したり未然に連れ戻された例は少なからずある。神隠しと呼ばれる現象のうち多くが神がかりではなく単純な事故であるからだ。だが稀に、真実山の神に気に入られ攫われてしまうこともなくはない。特にこのような神奈備では山に棲む神霊は数多く力が強い。そうして神隠しから戻ってきた子どもには、得てして以前と異なる点がある。
 それを裏付けるように、浅葱は続けて言った。

「あれ以来、俺にも少しだけ神通力がついたみたいでさ。元々御座村の人間は先天的に出やすい体質なんだけど、俺の場合は明らかに神隠しに遭いかけたからなんだ。そのおかげで呪詛の影響も出にくかったみたいだけど。神通力は山神の愛児(まなご)の証だから人よりも加護があるって長老が言ってた」

 神隠しが増えたというのは、呪詛によるものというより、呪詛によって村の守り神が消えたことによる副産物であろう。村落を護る結界が薄れ、外から別の神がちょっかいを出しやすくなったのだ。

「そういえば、紫殿は巫女の体質だと聞いたけど」
「それも長老が言ったの?」
「呪詛を解くために、できるかぎりの情報を提供してもらう必要があったからね」

 さらりと治兵衛を弁護しつつ、面白くなさそうな浅葱を促す。

「紫は、確かに俺と違って生まれつき神通力が強い方だったよ。神に攫われかけた俺を見つけられたのも、紫がこの神鈴を使ったからだって、後で知った」

 浅葱は腰に結わえたままの根付の鈴を手で拾う。音は鳴らない。傷一つない銀が陽光に煌めき、景色を逆さに映し出していた。
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