一方は戸惑いがちに、一方は眦をきつく吊り上げて、驚愕を露わにする。
 絶句したまま睨み合う二人を代わる代わる見やり、雷蔵と美吉は互いに目を合わせた。もちろん交わされるのは疑問ではなく確認だ。ついでに雷蔵が一瞬視線を上方にやれば、その目配せで意図を察して美吉は頷いた。
 先に我に返ったのは浅葱のほうだった。

「何でお前がここにいんだよ」

 剣呑に言われ、少女はしどろもどろ口籠る。

「私はただ……」

 ちらりと美吉に向けた視線で、浅葱は思い当ったようだ。ますます刺々しい眼差しを美吉と少女に当てる。

「ああそう、そういうこと」

 低い声音で呟き、鼻先で冷笑した。

「だけどお生憎さま、この勝負は俺の勝ちだから」
「そんなことない。わ、私だってちゃんと見つけてきたんだから!」

 少女が勢い込んで言い返す。浅葱は上背のある美吉を見上げ、ジロジロと品定めした。

「ふーん、なるほど。コレがお前が連れてきた〈神人(かんびと)〉ってわけ」

 小生意気に鼻を鳴らし、

「あんたもお気の毒にね。折角遥々来てもらったけど、あんたの出番はないよ」

 美吉の頬がやや引きつった。その表情を訳するなら「何この展開、超面倒くさい」といったところだ。しかしそれ以上に何か言うのも馬鹿らしいのであえて黙っていれば、少女の方が我慢ならなかったらしい。おっとり顔を紅潮させて身を乗り出す。

「浅葱、失礼なこと言うのはやめなさい!」
「何だよ、うるさいな」
「ハイハイそこまで」

 ますます熱を増す二人の口論に冷や水を差したのはいつもながら場違いにのほほんとした声音だった。
 はっとして言葉を飲んだ少年少女の視線を受け、雷蔵は人差し指を天に向ける。

「色々込み合った事情があるようだけど、俺達も積もる話があってね。ということでちょっと“あそこ”で協議してくるから」
「“あそこ”?」

 雷蔵が指さす先にあるものは、天上彼方にある杉の枝ばかりだ。「まさか」と思い当たったらしい浅葱が口をパクパクさせる。

「君らもその間に話し合いをつけておいて」

 不安げな眼差しを向ける少女へ美吉も「そういうわけだから」とひらひら手を振る。
 じゃ、というや否や、雷蔵と美吉は前後して跳躍した。先を行く相手を追うように、近くの木々を交互に蹴ってあっという間に遥か高みへ上ると、かすんで見える杉巨木の天辺に消えた。
 急なことに狼狽え、気まずそうにそっぽを向く姿を眼下に、枝に腰を据えた美吉は腕を組み幹に寄り掛かった。ここならば万一にも話を聞かれることはないし、同時に二人の様子も覗けるから、何かが起こってもすぐに駆けつけられる。秘密の作戦会議にはうってつけだ。

「それで、何か目新しい情報はあったかい?」

 幹を挟んで反対側に佇み背を預ける雷蔵が口火を切った。背を向け合って話しにくいが、意味なくこの位置にいるわけでもなく、周囲を警戒するためにそれぞれが半周を監視しているのである。

「最初に話した分からこれといっては。というか、それ以外本人も知らされてないんじゃないか?」

 ふむ、と雷蔵は顎を撫でる。

「呪詛の方は」

 美吉は僅かに厳しい面持ちとなった。首を横に振る。

「俺が会った時には既に遅かった。最初は月経かと思って、本人もそのつもりだったみたいだが、一月経た今でも血が止まらない。今は鍼を打ってなんとか凌いでいるものの、根本的な解決にはならん。まあ病自体は、発症してから数年かけて徐々に進行するようだから、今すぐどうこうってことはないが、その分長く苦痛は続く」

 厭らしい呪詛だ、と抑揚のない昏い声音で唾棄する。

「ただ、俺が側にいることで進行が抑制されている感じはある」

 雷蔵は先ほど、使い魔たちが明らかに美吉に反応して散っていったことを思い出す。

「なるほど。死をもたらす呪いも金神(こんじん)の気は苦手らしい」

 古来より刃物は魔を除けるといわれる。その上、金屋子神や天目一箇神は八百万の神々の中でも珍しく黒不浄すなわち死の穢れに親しむ高位の神格だ。ゆえに荒神として祟りやすいと畏れられているのだが、思えば“製鉄(たたら)”と“祟り”とは、源を同じくする語なのかもしれない。
 いずれにせよ人間が放つ魘魅の使者ごときでは近寄れるはずがない。

「歩く魔除けというわけだね」
「あんま嬉しくないんだが」

 憮然と口を曲げるのはその神に思うところが甚だ多くあるからだ。
 空咳一つで気を取り直し、美吉は話を戻した。

「それにしても、神が消えた村だったけか……娘の記憶では詳細が全く分からん状態だったが、どう見る?」
「さて、実際のところを見てみないことには何ともいえない。ただ―――

 ただ?と美吉が肩越しに視線を投げ先を促す。

「呪詛は勿論、神の消失も、人為的なものじゃないかとは思う」
「つまり、何者かが呪詛をかけるために邪魔な神を追い払ったってことか」

 言葉では簡単に言えるが、実際はとんでもない話だ。生身の人間が行っているとなれば相当並外れた力を持っていることになる。

「だが神が消えたのも呪いが始まったのも、あの娘の祖父の代からだというぞ。さすがに長すぎやしないか」
「分からないね。何となく術師が生きている前提で話していたけど、特別長生きなのかもしれないし、施主が死んでも呪いだけが生き続けることもある」
「にしたって気長すぎるだろ。うーん、目的がいまいち分からないな」
「常道で考えれば、結末を急いでいないということは過程こそが主点ということだけど」

 より長く苦しめたいのだとすれば、私怨か愉快犯か、あるいは他に事情があるのか。
 何にしろ情報を集めるしかない。

「あの紫って娘の話では、神を呼び戻せる人間を探してるってことだった。そもそもからしてそんなこと可能なのか」
「不可能ではないよ。勧請って方法がある。元の神がまだ“生きて”いるなら、応じてくれるかもしれない」
「どう考えてもそれ、俺じゃ無理だろ」

 依坐(よりまし)に神を呼び降ろし、正体を見極め、交渉を行うのは審神者(さにわ)神巫(かんなぎ)の役目だ。美吉は依坐ではあるがしかしすでに定員一名(…・)を宿してしまっているし、元々神事儀式には疎い。 

「けれど呪詛に対抗する力は君の方が強い。勧請の儀を執り行うにしろ、まずは村にかけられたという呪いを解決しない限りは同じことの繰り返しだ」
「……それで、今回のこの奇遇か?」
「呼び寄せられたんだろう」

 雷蔵はあっさりと、しかしきっぱり断言した。

「天の采配とでもいう気じゃないだろうな」

 あからさまに顔をしかめる美吉に、くすりと笑う。

「そんな高次元じゃない。もっと身近なものだよ」
「身近って」

 言いさし、美吉がはっと潜めていた眉間を開いて後ろに首を捩じった。

「まさか、〈秘伝〉が意図的に巡りあわせたっていいたいのか」

 肯定するように雷蔵は目を伏せた。
 誘導されたその言い回しは曖昧で謎めいている。美吉は訝しみつつ相手の真意を窺った。

「意図したかは知らないけど―――寄木細工って知っているかい」
「いいや」
「唐土より更に西方の異国に伝わる技法で、組み合わされた木箱の各部を決められた順序で決められた方向に動かさないと蓋が開かない仕組みになっているんだ。京里忍城にはその細工師がいて、よく機微な私信を運ぶのに使ったものだよ。内側に火薬筒を入れて、無理やりこじ開けると発火するようにしてね」

 雷蔵はそこで一度言葉を切り、声音を低める。

「ある一定の条件が揃うと、閉ざされていた戸が開き、隠された道に通じる。そういう絡繰りなのだとすれば」

 静かに紡がれた言の葉に、美吉は背筋が総毛立った。

「誰かが、こうなることを見越してあらかじめ仕組んでいたってことか?」

 一体どこの時点から仕組まれていたというのだろう。御座村の呪いも、二人の少年少女との出会いも、すべて? 

「偶然か、必然か。いずれにしろ〈秘伝〉にかかわる何らかの意思が働いているんだろう」

 確答を避けたまま、雷蔵は嘆息交じりにそう結論付けた。

「〈秘伝〉にかかわる、か……」

 言ったきり、美吉はしばらく無言で思案していたが、最終的にあーあ、と乱暴に頭を掻いて思索を放棄した。

「面倒臭ぇがしょうがねぇか。虎穴に入らずんば虎児を得ずって言うしな」
「村まで行けば、内部にもっと事情に通じている人間がいるかもしれない。話はそれからだね」

 それでいいかと目で是非を問うと、「乗りかかった船だ」と美吉は肩を竦めた。この超がつく面倒臭がりも、最近は巻き込まれることに対して諦めが早くなったらしい。確かに、抗ったところで意味はない。

「そうと決まったら早いところ―――

 そう下をのぞきこみ、あちゃあと髪を掻き上げる。

「相当険悪だぜ、あれ。大丈夫か?」

 まるで自分たちを模したように互いに背を向けて座り込む二つの影に、美吉が眉を潜める。 

「君の視た話からすると、どちらかが先に探し人を連れ帰るかに威信がかかってるんだろうけど、どうもそれだけではなさそうだね」

 「まあ色々あるんだろ」と雷蔵は他人事よろしく呑気に言い、身軽に衣を翻してさっさと降りていく。待てよ、と美吉もあわてて後を追った。



 上から軽やかな物音ひとつで降りてきた二人に浅葱と紫が仰天する。頭では分かっていてもさすがに驚くらしい。それもそうだろう―――特に美吉は紫には己が忍びであることは言っていなかった。特に話しておく必要性もなかったからだ。おかげで物凄く物言いたげな視線を感じたが、説明が面倒なので美吉は素知らぬふりを決め込むことにした。

「さて、折り合いはついたかな」

 空気を読んでいないのか、読んでいてあえて気にしていないのか、ぎこちない雰囲気のさなか雷蔵は朗らかに語りかけた。

「先に結論を伝えよう。予定通りこのまま御座村までついて行く。ただし、俺たち二人でだ」

 この条件に、この時ばかりは浅葱と紫は同時に表情を曇らせた。素直に頷き難い何かがあるようだ。

「君らは少し勘違いをしている。俺も美吉も、実際は君たちが期待しているような力はないんだ。俺たちはそれぞれ一人ではさして役に立たない」
「そんなはずはない」

 尖った口調ですぐさま反駁したのは浅葱だ。木の根から立ち上がり、雷蔵を睨み据える。衣から除く手足は土に汚れているが、雷蔵の薬のおかげで旅道での傷はほとんど癒えていた。

「あんたの能力を俺はこの目で見てる」
「そうだね。けれどさっきのことで分かったはずだ。あの時もし美吉が来なければ今頃無事では済んでいなかった。気づいているかい? 君には呪詛がかけられている。あの妖魔達はその刺客だよ」
「!」

 浅葱がひゅっと息をのんだ。顔色が蒼くなる。だが目の動きに大きな驚きはなかった。ちらりと横目で見た紫の反応も同様だった。

「その様子だと、心当たりがないわけではなさそうだね。ええと、紫さんと言ったかな?」
「はい」

 急に話を振られ、少女がぴょこんと肩を跳ねさせる。やや表情が硬い。

「君が美吉を選んだ理由は?」
「そ、それは……」

 紫はおどおどとして焦り狼狽えた。赤面症なのか、緊張のあまりうまく言葉が出てこず、間投句が続く。ついに見かねて美吉が嘆息交じりに助け船を出した。

「ほら、鏡だろ鏡」
「あ……そう、そうです」

 紫ははっとなって帯に差し込んでいた丸鏡を取り出す。形状と言い風合いと言い年季の入り方と言い、かなり年代物だというのが分かる古代鏡である。中央の突起には持ち手代わりの紐が結び付けられている。

「神通力を持った人を映しだす神鏡です」

 雷蔵が仏頂面の浅葱へ視線を戻す。

「君の持っている鈴と同じようなものかな」
「……村の社の双神宝だよ。〈失せ物探しの鈴〉と〈(まが)つ気掃いの鏡〉。長老が俺たちを村から出すときに手がかりとお守り代わりにそれぞれに持たせてくれたんだ」
「邪気掃いとはこれも変わってる」
「汚れた気を嫌うのさ。だから消去法で澄んだ気である神通力を持つ人間ほどよく映るし、悪意を持って近づく人間から姿を隠してくれる」

 悪人を寄せ付けない。長老が女身の紫に渡し、彼女がここまで事無く一人旅をしてこられた理由である。しかしそれでさえも、呪詛を跳ね返すことはできなかったらしいが。

「そして美吉は特にそれに強く反応したんだね」

 紫はかぶりを縦に一度揺らした。
 雷蔵は少し考え込んでから、「試しにそれで俺を映してみて」と自らを指差した。少女は戸惑う。もしも彼の姿が美吉同様はっきりと像を結ぶようならば、自分が美吉を連れてきた正当性が揺らがされてしまうからだ。
 思わず縋るような視線を向けてきた紫に、美吉は頷き返してみせた。それで決心がついたか、銅鏡をひっくり返し思い切って鏡面を雷蔵へ向ける。

「あれ?」

 紫はきょとんと瞬いた。浅葱も唖然と口を開けている。
 予想を超えて、鏡の中に映し出されたのは輪郭のぼやけた影のみだった。確かに紫や浅葱よりは明瞭な像だが、美吉に比べれば明らかに鮮明さに欠ける。

「やっぱりね」

 雷蔵だけ一人納得気に頷く。

「美吉は神憑きなんだ。つまり人よりも遥かに強い神力を持っているというわけ。先ほど使役霊が消えたのも、彼の中の神気に恐れをなしたからだよ」

 核心に触れる発言であったが、説得に必要な説明であるとわかっているので、美吉も口を挟まない。神憑き。この子どもたちにはその裏にどんな意味かあるかまでは分からないだろう。

「嘘だ!」

 浅葱は信じないというように叫んだ。大地を踏みしめるように踏ん張り、必死に言い募る。

「鈴は確かにあんたを示した。それにこの目で見たんだ! あれほど強力な怨霊を浄化し、神霊を沈め、魔を退け、命の理をも操ってみせた!」
「最後まで話を聞きなって。性急な子だねぇ」

 呆れた風に宥める雷蔵の隣で、聞き分けない子どもに焦れた美吉がああもうと頭を掻き、自ら説明した。

「俺は自らの意思で力を操ることはできないんだよ。審神者がいないとな」

 えっ、と驚いたのは紫であった。思わず鏡を胸に抱き、長身の美吉を下から覗く。
 雷蔵はにっこりと笑い、己と美吉を順に指す。

「つまり、俺はただ祓い鎮めることしかできないし、美吉は審神者(おれ)がいなければ神通力を使えない。互いに半端者ってこと」
「まあ、そういうこったな」

 美吉は適当に相槌を打った。正確ではないが、間違ってもいない。口八丁でうまく言いくるめる役は雷蔵に任せた方がいい。

「だから、君達が目的を果たしたければ、俺たちを二人とも連れて行かなければ意味はない。全く大変“奇遇”なことに、君ら同様俺たちも旧知の仲なわけだ。こうして集うことになったのも天意だろうね」

 思ってもいないくせに「天意」などと口にする相棒に美吉は内心で舌を巻いた。相当な狸である。

「……」 

 少年と少女はそれぞれに沈黙した。
 だがいかに話し合ったところで、畢竟答えは一つしかないのだった。
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