「つまり何? 俺が女で、おまけに君の囲い者とかいう噂が流れていると」

 それはそれは、と斬新な講話でも耳にしたかのごとく雷蔵は感嘆した。まるで他人事のように腕を組んであっけらかんとしている。

「反応が普通だな」

 対する虎一太は珍しい生物でも見るかのような顔をした。

「何が?」
「いや、普通そこは憤るものではないかと思ったんだが」
「別に喜んじゃいないけど」
「それはそうだろう」
「ちなみに許しているわけでもない」
「そうなのか?」

 ひとしきり頓珍漢な応酬を交わしてから、虎一太は深い深い溜息を吐きだした。

「先に断っておくと、俺の本意ではない」
「本意だったら今頃容赦してないよ」

 雷蔵は莞爾とした。だがその笑顔とは裏腹に、声色は物騒で、今にも苦無でも打ち込みかねぬ鋭さが含まれている。
 なるほど、確かに全く何も感じていないというわけでもなさそうだった。しかし凡そ「怒る」という情動とは無縁な人物なだけに、虎一太もなかなか反応が掴みづらい。

「それはいいとしても、何でまたそんな面白い話に?」

 小首を傾げる雷蔵に、

「俺としても所用で外に出かけていた隙のことで、何故こんなことになったのか戸惑っている。どうも預かり知らぬ間に勝手に妙な憶測が飛んでいるようでな……言口は大体予測がついているんだが」
「あの薬師殿だろ」
「なんだかお前が他人を薬師と呼ぶと少し妙な感じだな」
「そうかな」

 と再びややずれたやり取りを挟み、虎一太は観念したように仔細を語る。

「今日蝉太夫とその部下たちの前に姿を見せただろう」
「ああ」

 実際は先に雷蔵がいて後から彼らがやってきたので、不可抗力ではある。

「不覚にも命令の伝達に行き違いがあったようなんだが、そこで蝉太夫が勝手に勘違いをしたということらしい」
「へえ」
「言っておくが、あれでも里一の腕利きの薬師なんだ」
「別に殺しやしないよ」
「半殺しも困る」

 無表情の裏にある心は読めないが念のため釘をさしておいてから、虎一太は続けた。

「そこで息子が言うにはな、いっそそういうことにしてしまえば、目晦ましになるのではないかと」
「……千之助殿って本当に君の息子?」
「俺もたまに疑問に思うことがある」

 虎一太がほとほと呆れた風情で溜息をついた。

「それで、どうするつもり」
「それをこうして相談しているわけだ」
「要するに、俺に女の振りをしろって?」

 雷蔵は後ろに手をつき、庭に降り注ぐ陽光に瞳を眇めた。単調な声音からは非難も棘も聞きとれないが、乗り気でないことだけは分かる。

「特別人前で演じる必要はない。そういうことで黙認しておいてくれればいい」
「誤魔化しきれると思うのかい」
「正直五分五分といったところだが、姿を見られている以上やるしかないだろう。でなければ稚児という噂になりかねん」
「それもかなり戴けないな」

 今時、武士や主従の間でそういった習慣は珍しくなく、むしろ公然と行われている。ただしそれは男女の性愛とは質を異にするものであり、どちらかといえば絆の確認だとか、飲酒詠歌同様、嗜みの一種という向きが強い。だからといって、男が皆それを良しとして受け入れているわけではない。そこはやはり個人の趣味だ。そして生憎虎一太にはそういう嗜好はない。

「俺としても誤解されては困る。だが千之助の言うことも一理あると思ってしまったからな。あとはお前次第ということだ」
「まあ、確かに一理はあるね」

 雷蔵は顎に手をあて黙考した。実際、その手で先頃も女装で周囲を欺いたことがある。変装の極意は相手の先入観を突くこと。それがどれだけ効果があるかも経験済みである。

「しかしそんなんで誤魔化せるなんて、君のところの忍びは目に問題があるんじゃないのかい」
「情けないことだが反論はできない。だがあれらはまた特別だ。何せ日々薬とばかり語らっているような者達だからな」

 それにしても、いくら優顔だからといって男と女の見分けもつかないとは、忍びとして考えものである。虎一太は宙を仰いだ。

「仮にそうするとしても、バレないかな。第一“妾”の世話役に本妻の子をあてがうっていうのも変な話だし」
「そのあたりは何とかしよう。あとは極力人を近づけなければいい。いざとなればお前は幻術が使えるだろう」

 その言葉に再び雷蔵は考え込んだ。気はかなり進まないが、手としては使える。源実治の屋敷にいた時は、四六時中不特定多数の目に晒される状況であったから変装を選んだが、別にそうそう人と顔を合わせるわけでないのなら、その都度幻術を使って目晦ました方が効率がいいし、確実である。
 そこまで考えてから、有無を言わさず連れて来られた挙句に軟禁されている自分が何故こんな協力をしてやっているのだろうと思い至り、改めて今の状況に溜息が洩れた。

「全く、目晦ましなんて段ちゃんだけで十分だよ」

 思わず零れた愚痴を聞きとめた虎一太が、ふと思い出した様子で言った。

「ああ、そういえば加藤は嬉々としてやっていたな」
「段ちゃんはある種の変態だからね。―――って、何の話?」

 興味を引かれ、雷蔵が首を向ける。そういえば虎一太とも懇意にしているという話を聞いたことがあった。

「以前に請われてやはり匿ったことがあってな。一カ月ほどだったが」
「何に化けたんだい?」
「あの時は老婆だった」

 「老婆」と雷蔵は繰り返した。

「父の生き別れの姉とかいう触れ込みでな」
「周りはそれで信じたわけ」
「もちろん俺が裏で根回ししたこともあるが、今でも信じられている。何せ里を去る時も死んだふりをして棺桶に入れて、という徹底ぶりだったからな」
「君もまたよく了承したね」
「別に了承したわけではなかったんだが」

 ぼんやりと視線をめぐらせている顔を見て雷蔵はやれやれ目を伏せた。この調子では、恐らくなし崩し的に押し切られたのであろう。ある意味では器が大きいのかもしれない。この性格をもって人は彼を朧に譬えるが、雷蔵にしてみればただの天然呆けである。

「君は忍びとしても頭としてもとても優秀だけど、それ以外のところだと抜けているよね」
「よく言われる」

 虎一太は悄然(しょんぼり)と眉を落とした。

「仕様がない。噂が広まっている以上、今更払拭するのも面倒だし藪蛇になりかねない。不本意だけど、ここはあえて乗ってあげよう」
「すまないな」
「言っておくけど、この一連の貸しは高いからね」
「胆に銘じておこう」

 話は終わったとばかりに湯のみを置いて立ち上がる虎一太を目で追いながら、雷蔵は問いかけた。

「そういえば君、奥方はいるんだよね」
「千之助が俺の腹から出て来たというのでなければ、まあ普通はそうだな」
「真面目な顔して言うことかい、それ」

 朴訥としているようで意外と冗談好きな男だ、と雷蔵は改めて虎一太に対する認識を捉えなおした。しかし例のごとく茫洋とした表情を変えずに口にするから、冗談と分かりにくいのが難点である。

「悪い。もちろん健在だ。本宅の方に暮らしている」
「こんな噂が立つと、奥方が気にするんじゃないかい」
「……」

 虎一太の目が唐突に逸らされた。両者の間に沈黙が落ちる。一方は胡乱気にじっと注視し、一方は視線が不自然に泳いでいる。

「なんとかなるだろう。多分」

 少し経って、ようやくそれだけ答えた。
 はっきり言って不安だらけだ。雷蔵は心底から言った。

「……ちょっと。修羅場とか本気で勘弁だからね」
「俺もできればご免蒙りたい」

 善処する、と甚だ説得力に欠ける科白を置き土産に、虎一太は帰っていった。
 雷蔵は一人縁側に腰掛けながら、これまでの会話の一部始終をつらつらと思い返し、あまりの珍妙な内容に思わず唸った。周囲を欺くためとはいえ、こんなところまで来て、まさかまた女に扮せねばならぬとは。己の面立ちにある程度の自覚はあったが、それにしたって数奇かつ迷惑な巡り合わせである。
 視線の先では、昼下がりの薬草園が、我関せずと和やかな陽の光に柔らかく輝いていた。
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