寝んねした子の 可愛さみぞさ
起きて泣く子の 面憎さ
面憎い子は 茶釜に入れて
松葉おりくべて ゆで殺せ

――長崎の子守唄



 身体が重い。身動ぐと節々が痛み、軋みを上げる。柔らかなものに包まれているのに、四肢の硬さが違和感を催した。
 ふと瞼を持ち上げる。薄靄のかかった視界に最初に映ったのは、薄暗い土の天井だった。

「お目覚めですか」

 横で上がった喜色を含む声に、ふと既視感を覚えた。雷蔵はぎこちなくそちらへ首を動かす。
 枕元から少し距離を置いて、少年が板床に膝をついていた。何かをしていた途中なのか、側には水瓶を載せた丸盆が置かれ、諸手には巻いた(さらし)と薬膏入れを持っている。

「良かった。いま丁度傷の包帯をお取り替えしようと思っていたところなのです。お加減はいかがですか?」

 まだ元服前の、齢十二、三頃の総髪の少年は、健康そうな頬を紅潮させ、側に寄って来た。

「大丈夫……なような」

 かなり喉が掠れている。声を出そうと思っても、ほとんど空気の漏れ音のようで上手くいかなかった。

「なような?」

 曖昧な受け答えに、少年がきょとんと首を傾げる。

「ちょっと痛い、かもしれない」
「どこが痛みますか?」

 心配げに覗ってくるのに、

「身体中」

 そう言って、半身を捩って腕をつき、のろのろと身を起こしていく。片方だけに光る飾り環が髪の陰に隠れた。
 痛いといいながら起き上ろうとする雷蔵に、少年は慌てた。

「まだ動かれてはなりません。何日間もずっと眠られていたのですから」

 またか、と再度の既視感。あれからそれほど経っているのかと半ば己に呆れる。寝すぎもいいところだが、記憶の片鱗からすれば、ただの寝坊というわけでもなさそうである。

「君は?」
「ご安心ください。私は貴方様のお世話を仰せ付かっている者です」
「そう。悪いけどちょっと水を貰えないかな」

 少年が慌てて水差しから注いだ碗を、布団の上に座る姿勢で受け取る。腕を動かすとズキリと引き攣れる強い痛みがあった。袖から巻かれた包帯が覗いている。
 水を口に含み、ほっと息をつく。喉が潤されて少し楽になった。

「ありがとう。大分生き返った気分だよ」

 にこりと笑顔を浮かべて礼を言えば、少年は「とんでもない」と俯きがちに含羞みながら、薬壺を取り上げた。

「包帯をお替えします」

 常ならば己でするところだが、さすがに今はまだ身を動かすのが億劫で、雷蔵は素直に言葉に甘えることにした。
 されるままになっている間、ゆるりと周囲を見回す。天井以外は磨かれた木材で覆われており、雷蔵は中央に敷き詰めた畳に敷かれた布団の上にいた。一見普通の清潔な一間。しかし少年を挟んだ向こうには武骨な木の格子がはめ込まれていた。
 薄暗さからいっても、恐らく地下の座敷牢か何かと思われた。

「そういえばさっき俺の世話を任せられていると言ったけど、一体誰からだい?」

 てきぱきと傷口に薬膏を塗り、その上から薬草を貼り、素早く木綿布を当てる手際のよさを見つめながら、思い出したように雷蔵は口を開いた。

「はい。父から」

 少年は真剣な顔で手先に集中しながら答えた。

「父?」

 包帯を巻き終えてから、少年が「はい」と元気よく頷き、居住いを正した。

「申し遅れました。私は藤浮虎一太が一男、藤浮千之助にございます」

 雷蔵は少しばかり驚き、誇らしげに目を輝かせる少年、千之助をまじまじと見つめた。

「息子さん? 棟梁殿の?」
「はい!」

 確かに言われてみれば、顔の造りに虎一太と似通ったところがなくもない。ただ朧の異名のごとく芒洋とした父親に比べ、千之助は明瞭溌剌とした輝きを持っていた。

「父よりくれぐれも粗相なく仕え、身の周りのお手伝いをせよと申しつけられております。あ、」

 はたとして、千之助がそそくさと盆から別の碗を取り上げた。

「少し冷めてしまいましたが、こちらをどうぞ」

 独特の香りが鼻腔を突く。

「薬湯?」
「はい。傷の化膿と痛みを抑えるものです。そろそろお目覚めになられるころではと思ったので」
「へえ、よく分かったね」
「実は何となく、だったのですけど……念のためお持ちして正解でした」

 千之助は控え目に微笑んだ。そうすると更に少し虎一太の面影が覗える。笑い方というものは案外似るものらしい。
 雷蔵は水杯を脇に置き、受け取った薬湯の碗を覗く。形容しがたい色合いと匂いとが五感を刺激する。できれば飲みたくないが、己とて薬師のはしくれ。駄々をこねるわけにもいかない。
 一口飲んでから、おやと瞬きをする。

「これは君が煎じたの?」
「え? い、いえ。それは薬師が」

 藪から棒な問いかけを浴びた千之助はしどろもどろ答える。
 普通、意識がない間に見知らぬ所まで運ばれていれば、動揺なり何なりの反応があろうに、警戒するどころか能天気ともいえる雷蔵の言動に、少し調子を狂わされているようだった。

帰荏(きじん)の葉に花蓬(はなよもぎ)六鼎(りくてい)…よく工夫されている)
 心の中でごち、感心した呟きを零す。

「ここの薬師はなかなか腕がいいようだね」

 でも、と碗を持つ手を膝に落とし、

「あの練り香の蔴芯草(ましんそう)爾根(じこん)の分量はいくらなんでも滅茶苦茶じゃないかい」
「さすがに鋭いな」

 誰へともなく吐かれた雷蔵の科白に、訝しげな顔をしていた千之助が、ぱっと振り向いた。

「父上!」

 丁度虎一太が牢の小さな入口から、屈みながら入って来るところだった。

「今しがたお目覚めに」

 千之助の報告に頷き、

「問題はないか」
「はい。御手当ても済みました」

 傍らに立った父親を見上げ、千之助は僅かに緊張した面持ちで、しっかと首肯した。

「お前は下がっていなさい。俺はこれから御客人と少し話がある」

 再び「はい」と元気よく答え、運んできた品を纏めると、きびきびとした所作で膝を上げ牢から出て行った。
 地上へと遠ざかる足音を聞きつつ、虎一太は先程千之助が座っていた位置に腰を落ち着け、改めて雷蔵に向き直った。

「たまたま様子を見にきただけだったのだが、丁度良い間合いだったな。具合はどうだ?」
「おかげさまで上々だよ」

 これ見よがしに包帯をチラつかせて言うと、苦笑が返る。

「どれくらい眠ってた?」
「そうだな。あれから五日がかりで、此処に着いたのが一昨日のことだから、かれこれ七日は経つ」

 雷蔵は額に手を当てた。一週間か。これまでで一番長かったかもしれない。
 その反応をどう捉えたか、少し気がかりそうに虎一太が窺ってくる。

「諸事情で愚息に世話を任せていたが、粗相はなかっただろうか」
「いいや? むしろ君にあんなに大きな御子息がいたって方が驚きだよ」
「言ってなかったか?」
「寝耳に水」

 年齢的にも立場的にも居ておかしくはないのだが、所帯の匂いという当たり前のものがこの男にはなんとなく似合わない。

「あんまり似てないね」

 虎一太は「よく言われる」と、苦笑いで応じた。面影はあるものの、この薄らぼんやりとした父親にして、あの利発な子というのが、どうにも繋がらない。

「ついでに言うと、君が幻術を使えるなんてのも初耳だ」

 雷蔵は横目で少しばかり睨めつけるように、瞼を落とした。

「すっかり騙されたよ」

 これに虎一太は再び苦笑―――というよりも、弱り果てた笑みを口許に浮かべる。まるで見られたくないものを見られたとばかりの曖昧模糊とした反応だった。
 あの時、目を合わせた瞬間、虎一太は雷蔵に幻術を仕掛けたのである。手の込んだ複雑なものではなかったが、四肢の自由を奪うには十分なものだった。影梟衆の現棟梁が幻術を遣うという話はこれまで聞いたことはなかったし、雷蔵自身、闘いぶりを見たことは幾度もあったものの、虎一太は一度としてそんな素振りを見せなかった。だからてっきり幻術遣いではないと思いこんでおり、その先入観が致命的な隙を作った。
 しかし考えてみれば藤浮家家伝の秘儀である『陽炎』の原理は幻術に通じているし、また催眠による記憶操作術も心得ているのだから、元より可能性はあったのだ。

「もともと対薬叉用のとっておきだったんだ。あそこでああいう形で使ってしまったのは少々惜しい気もするよ」

 虎一太は至極残念そうにそう言う。雷蔵が虎一太は幻術を使わぬと思っていたからこそ有効な手段だった。けれど知られてしまった今、もう二度と同じ手は使えない。まさしく、いざという時のために隠しおいていた切り札だったのである。そしてそれは実際効を奏した。
 雷蔵はやれやれと肩を竦める。

「君には敵わないね」
「それを言うなら、お前に〈秘伝〉を使われたら俺は手も足も出ないと思うが」
「そうそう使いはしないよ。実力は隠してなんぼだ」

 雷蔵は軽口に託してさらりと流した。
 真の忍びは、己の腕を抑えるものだ。目立ってはならない。他者に知られてはならない。全力を披露することなど論外なのである。
 虎一太は棟梁としての権威のため、そして雷蔵は京里忍城所属当時の役目上、あえてその力を隠さなかったが、それでも程々に抑えており、全くの本気を見せたことは一度としてない。

「ならば生憎、俺の持ち駒はこれで終いだ。藤浮はわりと幻術の嗜みがある家だが、どうやら俺は才に恵まれなかったようでな。あの拙いやつが唯一習得できた術だ」
「本当かなぁ」

 雷蔵は疑わしげに半眼になる。何せ一度騙されているのだ。忍びの舌は二枚などという可愛いものではない。

「まあいいけど。息子さんは逆に得意そうだね」

 雷蔵の指摘に虎一太がおやというように瞠目した。

「よく分かるな」
「感受性が強そうだからね」

 それは千之助が、雷蔵が目を覚ますことを予感していたことで分かる。
 気とは水のようなものだ。そして人にはそれぞれ水を入れる器がある。器の大きさには個人差があるが、雷蔵の知る限り、呪力を持つ者はこの器に常にある一定の気を必要とする。その一定量を下回ると、気が回復するまでまともに動けなくなるのだ。特に持つ器が大きければ大きいほど、失われた気が再び元通りになるまでに時間がかかる。
 薬湯を用意したことについて、千之助本人は何となく、と言っていたが、無意識のうちに雷蔵の中に満ちる気を感じ取り、覚醒の『兆し』を察したのだろう。

「そういうものか」

 よく分からないとばかりに父親たる男は首を傾げた。
 しかしそんな男でなければ、こうまで巧みな『陽炎』の遣い手とはなれなかっただろう。雷蔵の見たところ、『陽炎』は確かに幻術に通じるが、その極意は逃げ水のような掴みどころのなさにある。大陸の酔拳に近いともいえるかもしれない。幻術を習得するには感性が繊細である方が好ましいが、不思議なことにそれは『陽炎』の資質とは重ならず、むしろ鋭敏すぎては『陽炎』は使いこなせないという特徴がある。
 千之助は優れた幻術遣いにはなれるだろうが、『陽炎』の遣い手としては父親を越えられぬだろうと、雷蔵は見ている。
 そんな診立ては胸の内に留め、呑み終えた碗を手にしたまま、軽く周囲に目を巡らした。

「ところで、ここは風早(かざはや)の里かい?」

 虎一太が「そうだ」と頷いた。風早といっても、所在地は伊予ではなく播磨国であり、地理的には美嚢あたりにあたる。影梟衆の隠れ里である風早に雷蔵は過去に一度訪れたことがあった。
 虎一太の話を信じれば、所要たった五日で大村からここまで移動したことになる。驚愕を通り越して神業だった。

「風魔の技でも習った?」
「筑紫道を使っただけだ。身一つならばいくらでも手立てはある」

 雷蔵はなるほどと呟く。かの屋島の戦いにおいて、源義経は三十五里(約138キロ)はある摂津渡辺津から阿波勝浦まで、通常ならば三日かかる航路を一日にして渡り、更に夜を徹して屋島に至り、合戦に挑んだという。軍勢が一刻で一里から三里の距離を移動できたのだ。飛脚だって足早な者は上方から東国の大橋宿あたりまでを僅か三日で走りきるというし、鍛え抜かれた忍びが百四十五里やそこらの距離を短時間で移動することは決して不可能ではない。
 とはいえ、かなり無茶な道行であることには違いない。そういえば虎一太は「時間がない」とも言っていた。
 これほどまでに急がねばならぬとは、一体どんな事由があるのだというのだろう。
 訝りの視線に勘づいているだろうに、虎一太には語る気があるのかないのか、別のことを口にする。

「しかし五日も目覚めぬから、練り香が強すぎたかと肝を冷やしたぞ」
「そのせいじゃないよ。色々事情があってね」

 多くは語らず、雷蔵は目を閉じる。
 呪力を使い果たせば〈気涸れ〉を起こす。霊気が尽き、枯渇した状態である。そうなれば身体が失ったものを急速に取り戻そうとするため、身体の機能が極限にまで低下し、昏睡状態になる。
 いうなれば冬眠に近いものだと、雷蔵はかつて陰陽寮の忍びから聞いていた。覚醒にかかる時間は人それぞれだが、基本的に呪力が強い者ほど目覚めるまでに時を要するという。雷蔵自身は日頃から呪力の貯蓄量が多いためそうそう陥ることはなかったが、過去に一度経験した時には五日間ほど昏々と眠っていたという。ただ、その間身体は呼吸と気脈の動きが極端に緩やかになるので、何もせずとも命にかかわることはない。

「火急とはいえ、手荒な真似をした。すまなかったな」

 一応謝ってはいるが、あまり誠意が感じられないのは芒洋とした口ぶりのせいか。

「いいさ。何を言っても今更だ」

 雷蔵もさして咎めることもなく、邪魔な髪の毛をかきあげた。

「それで? もちろん件の事情とやらは話してもらえるんだろうね」

 薄く笑い、単刀直入に口を切る。その面は笑容だが、瞳は読めない。
 虎一太は今度は話を逸らさなかったが、「そのつもりなんだが」と曖昧に間投詞を挟みつつ、のらりくらり接穂を探している。やはり煮え切らぬ様子だ。

「即答できぬほど込み入った理由ってわけ。なら先に身を清めさせてもらうとするよ」

 肩を竦めて譲歩した雷蔵を、虎一太が安堵とも困惑ともつかぬ色を浮かべて一瞥する。

「井戸はそこの階段から上に出てすぐ裏手だ」

 特に監禁するつもりではないようだ。
 指し示された方向を確認してから、雷蔵は思い出したように「ああ、そうだ」と虎一太に目を戻す。

「何か書くもの持ってないかい」

 虎一太は一瞬きょとんとしてから、

「これでいいか?」

 懐と、帯に取り付けてある皮袋から、懐紙と矢立それぞれを取り出した。忍びにとって情報伝達は迅速さが命。いつでもどこでも即座に連絡を残せるよう、筆記具を携帯するのが心得だった。石筆というものが有名だが、必要に応じて矢立なども持ち歩いている。
 筆を受け取った雷蔵は、躊躇いなく懐紙の上に滑らせた。

「禊している間にこれ用意してもらえる?」

 書き終るや、虎一太の鼻先につきつける。ひらりと翻る懐紙には、目録のようにずらりと謎の名称と数量が並んでいる。
 疑問符を浮かべて漠然と字を見つめる虎一太に、

「悪いけどあの程度の薬湯じゃ俺にはあんまり回復効果がないんだ。本当なら自分で調合したいところだけど、どうせ出歩かないで欲しいんだろ」

 ってことでよろしく、とヒラヒラ手を振る。「あの程度」と評された薬湯を、自信作だと言って胸を張っていた薬師の顔を思い浮かべ、虎一太はいささか気の毒な気分になりながら腰を上げた。
 懐紙を手に牢を出て行くその背へ、ふと雷蔵は思いついた問いを投げた。

「ちなみに不知火は?」
「あいつは今別の任務で出している。当分は戻らないはずだ」
「それを聞いて安心した」

 納得気味に頷き、早々に床から離れて、千之助が置いて行った桶と手ぬぐいを手に取る。その軽やかな動きは、とても五日も昏睡していた人間とは思えない。ついでに言えば身体が本調子でない者とも思えない。
 とりあえず薬湯の注文がてら雷蔵への弁明をまとめなければいけない。地上への階に足をかけながら、虎一太は珍しく暗澹たる溜息をついた。
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