ふと風が頬を撫でる。時だ。
 虎一太は追想から首を上げ、目を細めて城を見た。
 どういった人数構成でどう役割を振り分け、いつにどこから忍び入ってどういった手順で事に当たるか、そして退路をどう確保し、どの順路でいつまでに合流するか、あるいは万一はぐれた際の二次合流地点、あるいは状況に応じた種々の合図等々、もう一度頭の中で順繰りに再確認する。『間の間』で取り決めた変更点は、すでに皆にも通達してある。

 小さく振り向き、配下の男たちに無言で頷きやると、木陰より飛び出た。堀の際に膝を着くや、足元の堀の壁に金具を撃ちこみ、同じものを対岸へ向けて放つ。向かいの壁際に刺さった金具からは、墨で染めた縄が、一直線に伸びていた。たった一条、渡された頼りない縄の上を、忍びたちは軽やかに越えていく。其処此処に撒かれた撒き菱の弊害など、彼らにとっては無きも同然であった。足音はない。体重など一切感じさせぬ素早さで、巡視の合間を縫ってひた走る。
 虎一太が堆い城の礎から上を見上げる。知らされていた入口を発見し、各々得意の道具で次々乗り込む。

 全員無事に城内へ潜入を果たしたことを確認し、虎一太はどこともしれぬ方角を仰いだ。今回京里忍城と影梟衆は総勢三十六人の連合を、まず大きく二隊に分けて城に潜入し、潜入後更に二手に分かれて行動をとる手筈になっている。最終的に(うしとら)(たつみ)(ひつじさる)(いぬい)の四組体制で作戦を進めるが、雷蔵が率いるのは城主暗殺を担う艮組と、陽動を任とする巽組だ。虎一太たち坤、乾組の役目は、雷蔵たちが敵の目を引きつけている隙に、目的の物を探し出し、首尾よく撤退することである。

 依頼主からは、手段は問わず、場合によっては城崩しさえ構わないと言われている。雷蔵は迷わず城内に火を放つと言った。しかし火を使うのはあまりに派手であるし目立ちすぎる。おまけに万一肝心の目標物に損害を与えることになっては、という虎一太の慎重な意見にも、他者に見咎められることを警戒しながら探し物をするよりは、いっそ火事による混乱に乗じる方が遥かに効率が良いし、火を放つ場所さえ注意していれば問題ない、とあっさり言ってのけた。

 確かに宝刀と系譜が“有る”場所は不明でも、“有り得ぬ所”ならばあらかた予想がつく。つまり消去法だ。それに、万一火の手が回っても、城一つが全焼するには、丸一夜はかかるだろう。元より捜索に猶予はかけられぬのなら、火を放とうと放つまいと同じだ。ならばより探しやすい環境を作った方がいい。つまり火事場泥棒の要領というわけであるが、顔に似合わず大胆な策を立てるものだと、虎一太以下影梟衆の一同は面喰ったものだ。忍びは基本闇に忍ぶ者である故か、必要不必要に関わらず、目立つ行動を好まぬ習性があった。

 圧倒的な人数差のため、今回はどちらかといえば京里忍城が主で、影梟衆は従の形となる。だから虎一太はあえて口を挟むことなく、またお手並み拝見という気持ちで、その策に乗ることにした。

 打ち合わせ通りならば、雷蔵の部隊は今頃城主の暗殺を果たし、火を放つ段階に入っている。
 やがて城の一部で煙が上がるのが見えた。次第にバタバタと城の者たちが騒ぎ始めるのを聞き捉える。頃合いだ。虎一太は己の部下と、京里忍城の忍びをそれぞれに見やり、潜入の合図を送った。




 所々に炎の立ち上る城中を、雷蔵は首の巻布を鼻まで上げながら走っていた。暗い色の衣に、乱れや汚れはない。ただしそれは無事の証ではなく、朝久の寝所に辿りつくまでに、すでに何度か敵襲を受けていた。
 待ち伏せは、城内潜入を決めた時から、予測していたことだ。問題なのは待ち伏せよりも、敵の力量がどの程度かということだった。戦闘が長引けば長引くほど、それだけ城側に妨害の余地を与えることになり、標的を討ち逃すこととなる。だから敵に遭遇したら、素早く迅速に、彼らの仲間に情報が行き渡る前に仕留めなければならない。それを成し遂げるためには、こちら側が圧倒的に力で勝っている必要があった。

 この点は、先に偵察をした佐介から、敵方の実力の程度を聞いていたことが、有効に働いた。重傷を負った佐介は、極限状態の下で、「これが指針だ。恐らくこれ以上の奴はいない」と伝えてきた。雷蔵は佐介の腕の程をよく知っている。そのためかなり正確に敵の力量をはかれたし、作戦にも確実な想定を立てることができた。まるでそうなることを見越していたかのように、佐介は自ら斥候役に志願した。

 おかげで、万事恙無く、とまではいかないが、雷蔵指揮下の艮組はさほど困難もなく阻止の手を潰し、深く寝入る朝久の喉に毒針を打ち込むまでに至った。彼はきっと己がいつ死んだのか、終ぞ分からぬままであっただろう。ある意味でそれは幸せなこととも言える。

 第一目標を達成すると、すぐさま手分けして、決められた場所に火をつけて回った。
 廊下を派手に動き回っているうちに、敵の透波や事態に気づいた武士たちが出会い頭に斬りかかってくる。それらをいなしながら、虎一太たちはちゃんと目的のものを探し出せただろうかと、もう一方の隊に思いを馳せる。火の手が上がってから大分経つ。しかし、いくら目星をつけているとはいえ、城内は広い。まだ見つけ出せていない可能性も十分にあった。

 果たして、黒煙の中に別働隊の者達を見つけた。彼らも一様に口布をつけ、敵方と乱戦中であった。横合いから割り込んで、敵だけを狙い定めて忍び刀を放ち、一閃の下に薙ぎ払う。
 ついた血曇りを振り落とすように空で刃を一つ打ち払ってから、雷蔵は口覆いを下げて彼らを振り返った。「典薬頭!」と京里忍城の一人が安堵を滲ませ叫ぶ。

「首尾は?」
「それが……」

 とそれぞれに顔を見合わせている。

「くまなく探ってはおりますが、未だそれらしきものは見当たりません」

 やはり、とごちながら、

「棟梁殿の方から連絡は」

 雷蔵はうちに混ざる影梟衆の人間に目を向けるが、彼もまた首を振った。
 彼らの中には一人、肩を貸されている者がおり、また数人が咳き込んでいる。狭く通気の悪い城内は火煙が充満しやすい。これ以上動き回れば煙に巻かれて共倒れだろう。陽動も限界にきている。
 雷蔵は溜息をつき、

「しょうがないね。じゃあ君らは一足先に合流地点へ退却していて」
「しかし」
「まともにも戦えない状態でうろつかれると邪魔だよ」

 部下の躊躇もあっさり切り捨て、雷蔵は平淡に命じた。

「早く行くんだ。それから足手まといになるような者は捨て置くこと」

 一瞬男たちの、覆いから覗く目元が強張ったようであった。しかしそこは経験を積み重ねてきた者たちだ。それが忍びとして然るべき姿勢であることをよく承知している。否やを唱えることはなく「はっ」と短く応じると、機敏に散った。

 さてとばかりに、雷蔵は再び口布を上げる。失せ物探しは専門ではないのだが……。
 ふうと呼吸を落ちつけ、刀印を構えて眉間と丹田のあたりに意識を集中させる。結印は気安めだ。実際、感覚を研ぎ澄ませたところで、そう都合よく欲しい答えが転がり落ちてくるとは思えない。それでもどうにかならぬないものかと試みに念じ続けてみたが、期待は外れ、何も琴線にひっかからなかった。

 こうしていても埒が明かない。雷蔵は諦めて印を解き、思う方へ爪先を向けることにした。ただの勘とはいえ、雷蔵のように霊力のある人間の直感は徒人のそれとは違う。

 火を避けるように廊下を無作為に走り、ふと立ち止まる。
 通り過ぎかけたのは表に小姓の死体が転がる一室。そう、朝久の寝所だ。
 暗殺後に、一通り室内の捜索はしている。
 だが、宝が狙われていると分かっていれば、目の届く手元に置いて保管したがるのが人情。

―――……」

 雷蔵は襖を開いて中に入った。まだ延焼していないとはいえ、暗闇に包まれる室内には薄っすらと煙が籠っている。天井から室内をぐるりと見回す。捜索の名残で、畳はことごとくはがされ、死体は布団ごと隅に転がされている。
 何気なく床の間を見た時、ある違和感に気づいた。
 すっと瞼を半ばに落としたその背後で、空気が揺らぐ。

「うおお!」

 渾身の気合いを籠めた一撃は空を切った。凶手は目を見張る。
 確かにそこにあったはずの姿がない。
 かと思えば、次の瞬間には人影は背後から突かれ、容赦なく腕をねじり上げられた。

「床の間にあったはずの刀が消えていたから、もしやと思えば」

 雷蔵は嘆息ともつかぬ呟きを漏らした。
 夜目の効く視界に映ったのは、殺したはずの朝久。

「なるほど、影武者だったわけか」

 とあっさりからくりを見抜き、隅に転がる塊をちらりと一瞥する。

「は……放せ!」

 朝久はじたばた暴れた。しかし拘束は一向に緩む気配はない。乗り上げているのは己より遥かに小柄な少年であるというのに、華奢な体格からは想像できぬ怪力だった。

「さて城主殿。折角難を逃れたと言うのに、何をしにわざわざ戻って来たの?」
「貴様、よくも城を! こ、このようなことをしてただでは済むと思うな!」

 唾を飛ばして吼える朝久に、雷蔵はやれやれと瞬きをした。これでは話にならないので、勝手に進めさせてもらう。

「こんな中危険を冒してまで戻ってくるということは、当然それなりの理由があるよね。そう、例えば……正統城主の証を取りに、とか」

 ビクリと朝久の肩が跳ねた。顔からさあっと血の気が引く様子が、手に取るように分かる。

「そ、そうか貴様! 滋景(おとうと)に雇われた者だな!? あいつ、あの薄汚いコソ泥めが、私の地位を脅かそうと」

 口角に泡をつけて喚く。あまりに煩いので嘆息とともに腕を捩じり上げれば、ひいっと悲鳴を上げて静かになった。

「系譜と宝刀の場所は?」
「お、教えると思うてか」

 恐怖と屈辱に頬を引き攣らせ、がたがた震えながら、応ずる姿勢は感心にもなお気丈だった。

「さっさと吐いた方が身のためだと思うよ。正直に言えば命だけは見逃してやってもいい」
「誰が信じるか、そんなこと!」
「うーん、確かに」

 緊張感のない相槌に、朝久は一瞬呆気に取られた。が

「そもそも正直言うはずがなかったね」

 否や、どこからともなく取りだした粒を、ぽかんと半開きになっていた朝久の口に放り込む。咄嗟に吐きだそうとしたところを、後頸を掴み反射的に呑み込ませた。

「な……な」
「ちょっと気分が良くなってうっかり口が軽くなる薬だよ」

 相変わらずのんびりした口調で、雷蔵は言った。酒粕に幾種かの薬粉を混ぜ込んだもので、酒精の働きを増幅して、急速に酔いに似た状態を起こす。
 やがて朝久の目つきが蕩け、焦点がぼやけてきた。

「さてもう一度訊こう。宝刀と系譜はどこだい?」






 雷蔵は影武者だった男の側へ近寄った。死体はすでに硬直をはじめている。そのあたりに放置されていた漆塗りの函枕を拾い上げ、上の括り枕を解いて取り外す。よくよく見ると、それは蓋つきの箱だった。試しに振ってみるが、固定されているのか、音はしない。蓋を持ち上げれば、中から更に錠のついた蓋が出て来た。持ち合わせの液状の薬で鉄錠を溶かし、蓋を開ける。内には『小根澤城花生氏家譜』の題字が記された巻書が納められていた。

 影武者といい、こちらの裏をかいての偽装は、敵ながら天晴れといったところか。
 ただし敵の出方は、思っていたほどではなかった。もしもこちらの作戦が細部まで漏れているとすれば、相応の配置で待ちかまえていたはずである。しかし、実際はそうではなかった。確かに当初の作戦からいくらか変更が加えたのが功を奏したと考えられなくもないが、それを差し引いても、相手の防備は万全とは言い難くむしろ的外れであった。この様子であれば変更などせず予定通りに事を運んでいても何ら問題なかったかもしれない。

 つまり、最初からこちら方の情報が充分に敵方に伝わっていないのではないか。そう考えられた。
 そして、そこから導き出せる答えは一つしかない。
 京里忍城の隠れ里は、いうなれば内と外双方に鍵穴のある密室だ。内部の者は両側の鍵を持っている。しかし外部の者はそのどちらも持っていない。思いのままに入ることはできないし、一旦入れば出ることができないのである。

 雷蔵は見つめていた巻物をぐっと握ると、首の巻布を取って箱ごと包んで縛って、踵を返した。
 用の済んだ部屋から出て行こうとしたところで、ふと入口際ですっかり酩酊している朝久を一瞥する。帯に挟んでいた忍び刀を抜くと、一瞬の後には鞘に納めて、脇を素通りした。一拍後、後ろでごとりと音がし、首から赤い血を噴きあげる身体が大きく傾いで倒れた。

 肝心の依頼品は一つ回収できた。別隊に知らせねばならない。さてどうしたものかと逡巡した時、煙幕の向こうから俄かに接近する気配に、雷蔵は片手を素早く刀の柄へと回した。しかし現われた姿に、すぐさま手を離す。

「君は影梟衆の」

 確か不知火と言ったか。
 不知火は全身煤と汗でドロドロになりながら、雷蔵を認めるや、顔を歪ませ荒い息で叫んだ。

「薬叉」

 必死さに彩られた声音は、ひどく逼迫していた。
 その様子に、緊急事態を察する。

「他の者はどうした?」

 側らへ寄り、口早に問う。記憶が確かであれば、不知火は潜入後、虎一太とは別の乾組で捜索にあたっているはずだった。しかし今不知火は一人だ。とすれば乾組に何かがあったのか。

「俺はお頭から―――そうだ、朱鷺兄達が……っ」

 肩を上下させながら、縋りつくようにして雷蔵の腕を掴む。しかしその訴えの内容は一向に要領を得ない。

「落ち着いて。一体何があったんだい」

 すっかり動転している不知火を宥めるように、穏やかに繰り返す。

「あいつら罠を張ってやがったんだ! 刀を見つけた時に、一人が不用意に仕掛けに引っかかって、入口に鉄の檻が振ってきて」

 落とし格子か。雷蔵は双眸を眇めながら、先を促す。

「俺は間一髪で朱鷺兄に部屋の外に突き飛ばされたおかげで助かったが、皆は中に閉じ込められてる。それで御頭を探してて、さっきようやく会えた」
「棟梁殿はなんて?」
「宝刀のこともあるから、ひとまずそこへ向かうって……俺はあんたや他の連中にそのことを伝えろと言われた」

 言い終え、悔しげに目を瞑り歯を噛む。朱鷺次はやはり影梟衆の一人で、不知火と同じく乾組に配されていた忍びだ。不知火にとっては兄貴分のような存在らしい。

「場所は?」

 不知火は城内のある地点を口にした。朝久が白状した宝刀の隠し場所と一致する。間違いないだろう。

「分かった」

 間を置かぬ涼やかな返答に、不知火が瞼を上げた。その目は煙灰のためか、それとも別の原因か、赤い。

「え?」

 雷蔵は己を掴む手に触れ、解く。

「そちらは俺が引きうけると言ったんだ」
「ほ、本当か?」

 ぱっと不知火の瞳に希望が差して輝く。

「ああ。その代わり君はこれを」

 そうして押しつけられたものに、不知火は目を丸くする。

「これは」
「家譜だよ。先に外へ持ち出して待機していて。それから、他の組の者に会ったらすぐに退却するようにと」
「わ、分かった」

 慌ただしい手つきで身体に縛り付けて立ち上がる。
 そうして踵を返して脱出路に向かいかけたところで、ふと不知火は雷蔵を振り返った。

「朱鷺兄たちのこと……頼む」
「善処する」

 その言葉に安堵したかのように、不知火は小さく頷くと、さっと背を向けてあっという間に廊下の先へ消えた。
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