闇の中、上空を衝く天守閣の輪郭がおぼろげに浮かぶ。新月の空はやや曇っており、星の光も通さない。まさしく忍びこむのにうってつけの“夜”柄だった。
 虎一太たちは各自所定の物陰に身を潜ませていた。体内で時刻を計りながら、脳内で予め示し合わせた手順をもう一度浚う。

 この度の標的は、小根澤城。城主は代々この地を治める花生(はなおい)氏で、今は十代目花生景時朝久が継いでいる。
 この城に攻め込み、朝久を暗殺した後、指定のものを盗み出し勢力を壊滅させるというのが依頼の大筋だ。しかし任務で最大の要は、盗み出すものであった。伝家の家宝である刀と、城主一族の系譜を記した巻物。依頼主は朝久の腹違いの弟で、幼いころ城を追われ、今はとある家臣の随従に身を隠しながら、復讐と地位簒奪を目論んでいる。そのためにはまず邪魔な朝久を処分し、なおかつ後継の正統を示す宝刀と系譜が必要なのだと言う。
 当初、堅気の暗殺は請け負わないとして影梟衆は依頼を突っぱねようとした。ところがこの花生氏は数代前の城主の頃から、密かに城中を通る抜け荷を見逃す代わりに、通行料と称して分け前をせしめ、私腹を肥やすという裏取引を続けていた。朝久もまた、父からその裏の生業を受け継いで巨万の富を得ていたし、城内に詰める者らはそうした裏商人たちの息がかかった輩だった。依頼主は己が立つことでそうした城の悪習をも一掃したいと考えているらしい。そこで万全を期すために、京里忍城と影梟衆に同時に依頼が舞い込んだ。
 忍軍同士は基本的に慣れ合わない。本来であれば二重の依頼は断りを入れるものだが、依頼額は相当な価格であったし、おまけにどちらかが辞退した場合には、話自体なかったことになるという。両者にしてみればそもそも問題のある依頼内容ではなく、額にしても依頼方法にしても、裏があるのではなく、依頼主自身の用心深さに他ならない。結果、二つの忍び衆は共同戦線を張ることになったのだ。




「標的については、すでにこちら方の手の者が偵察を行い、あらかたの情報を掴んでいます。花生朝久の寝所は此処」

 雷蔵が城内でも奥の一室を指差す。虎一太をはじめ、実行に携わる者たちが地図を取り囲むようにして説明に耳を傾けていた。

「寝所の外には付き添いの小姓と護衛が二人。城内は絶えず警備が巡廻し、半刻ごとに寝所の前を通るという話です。護衛の交代は一刻ごと」
「警戒しているな」
「どうやら命が狙われているという情報をどこからか耳に挟んだようですね」

 虎一太の感想に、雷蔵は頷き返した。

「敵の影の手数は?」
「今のところ確認できただけでも四十は下らないものと思われます」
「偵察をした者から直接話を聞けるか」

 雷蔵は首を振った。

「帰り際敵方と戦闘になり、十人中五人が死にました。生還した者も治療を受けてはいますが、傷が重い」

 とても話せた状態ではないということだろう。

「ただ、偵察隊を率いていたのは我が方の准上忍―――上忍に次ぐ実力の者です」
「ということは、敵もかなり手強いということだな」
「更には昨日の伏兵……・取り調べ中ではありますが、察するにこれも敵の手の者ではないかと」
「つまり、こちらの素性は知られていると」
「ええ」

 潜入がばれたことにより、敵に京里忍城が関わっていることを掴まれた可能性は高い。となれば厳戒態勢は更に強化されていると考えるべきだ。

(だが、やはり妙だ。あの待ち伏せは―――

 虎一太は口元に手を当て考え込む。ふと雷蔵と目が合った。恐らく同じことを考えていたのだろう。
 斥候を放って接触をしている京里忍城はともかく、影梟衆の参入まで悟られたのは何故なのか。たとえ百歩譲って芋蔓式に看破られたのだとしても、双方が落ち合う地点まで敵に漏れていたのは腑に落ちない。
 やはり内部から意図的に漏らされたと考えるのが妥当だった。雷蔵もあえてこの場で言及しないのは、返り忠の可能性を警戒しているためだろう。

 一通り評議を終え、室を退くところで、虎一太は雷蔵がこちらを見たのに気づいた。目語に無言で頷き返し、皆には先に下がらせ、自分は彼の方に足を向けた。
 内通者の疑いを思えば、打ち合わせに集った男たちからこのまま目を離すことに若干躊躇いがあったが、きっと雷蔵には何か考えがあるのだろうと、何も聞かずにその背に従う。
 移動中、二人の間に会話はなく、虎一太はどこに連れて行かれるのか依然不明なまま、ただついて行く。そのうちに、建物の外へ出、再び別の建物に至った。入口には『忍術所』と記された額がかかっているが、建物の配置からして、正面玄関ではなく裏口のようだ。

「典薬頭!」

 戸口を守っていた忍びが雷蔵を見るなり背筋を伸ばす。

 虎一太はこの京里忍城独特の風習に未だ慣れない。遊び心に、本来の名称ではなく京になぞらえた通称を好むという話は聞いていたが、どうにも不思議な感じが拭えなかった。決して滑稽だとか、飯事染みてるというわけではない。京里忍城は人数や敷地的にかなりの規模であり、それだけに内部の組織構造が複雑化している。そこで、一からゴチャゴチャと位階や役職を決め、細かな仕事内容を定めるよりは、整備された既成の組織図を援用する方が、ずっと分かりやすく便利だ。合理を重視する忍びらしい発想であり、洒落も効いている。
 しかし、京の裏に位置しながら京を模しているためか、京里忍城には異境めいた雰囲気があり、それが虎一太をはじめとする部外者には馴染みづらいのだった。

 「お疲れ様」と雷蔵は物柔らかに挨拶する。
 守衛を務めているのは青年の忍びであるが、彼は己よりずっと若輩である雷蔵に対し上手に出るどころか、尊敬と憧憬を満面に湛え直立している。雷蔵もまた、そういう態度に慣れているようだった。

「陰陽頭はいるかい?」
「生憎、頭は只今不在でして……」
「そうか。うーん、どうしようかな」

 顎に手を当て悩む様子の雷蔵に、「本日はどのような御用向きで?」と見張りが尋ねる。ちらちらと横目で虎一太を盗み見ているのは、何者なのか訝っているためだろう。

「『(はざま)()』を借りようと思ったんだけど」
「ならばお安いご用です。陰陽頭からは、典薬頭であれば随時ご自由にお通しするよう申し付かっておりますので」
「良かった、それは助かる」
「ところであの、失礼ですがそちらは?」

 おずおずと問い質す守衛忍に、ああ、と雷蔵は一度虎一太を振り見てから顔を戻し、

「影梟衆の棟梁殿だよ」

 その一言で、青年の身体がさらに緊張して気をつけした。

「少し“障り”があってね。『間の間』で話がしたいんだ」
「そういうことでしたか」

 納得げに頷いた守衛は、入口に向かって何言か声をかけると、引き戸を、取っ手が付いている方とは逆向きに滑らせた。
 闇が(あぎと)を開く。
 いや、闇と思ったのは、内部に明かりが無いためであり、目を凝らすと暗いながらも廊下が先に続いている。

「こちらへ」

 虎一太に目配せをした後、雷蔵が先に足を踏み入れる。虎一太は守りの忍びに目礼をすると、その後に続いた。背後で戸の閉まる音が立つ。
 途端に、佇んでいた左右に光が生まれた。
 壁に取り付けられた燭台が、手も触れぬのに勝手に火がついたのである。
 おまけに、二人が奥へ進むごとに、先回りをするように次々と灯り、逆に通り過ぎた後は消えていく。
 もはや怪奇現象だ。
 燭台を眺めながら恐れ入った虎一太を、雷蔵が肩越しに一瞥し、口元に微かな笑みを上らせた。

「驚かれましたか」
「当然だ」

 改めて訊かれること自体が意外そうに、虎一太は首肯する。

「いえ、あまり顔に出されぬので、てっきり慣れていらっしゃるのかと」

 雷蔵は瞳を正面に戻し、依然微笑んだまま答える。

「これでも充分驚いているんだが」

 虎一太は困惑気に首を傾げる。常に茫洋としているせいで、他人から誤解されることは少なくない。

「入口といい、一体どんなからくりだ?」
「細かい方法については機密に触れるので申せませんが、簡単に言えば術を使ったからくりです」

 あまりにざっくり言うものだから、余計混乱せざるをえない。

(まじな)いによって護られた隠し通路と考えて下さればいい。普段はあの引き戸は正方向にしか開かないし、内部も普通です。この通路は決められた者しか通しません」
「裏道のようなものか」

 虎一太の喩えに「まあ、そのような感じです」と雷蔵は肯き返す。

 陰陽寮の記録文書によれば、この空間自体は京里忍城結成のころからあったらしい。
 陰陽寮こと忍術所は、単に術の研究をしているわけではない。もちろん天文観測や暦作成も行うが、何より重要な役割は、各地より諜報員が収集してきた情報を分析、保管する機関だというところだった。

 情報は忍びにとって死活を左右する要だ。情報獲得は己の生に、漏洩は己の死に繋がる。だから陰陽寮内部には、機密を守るために、様々な仕掛けが施されている。陰陽寮への出入りは厳しく制限され、里の者であってもそうそう立ち入ることは許されない。同時に、万一に侵入されてもいいように、関係者にしか開くことのできない道や部屋がいくつも用意され、重要な情報はそこで管理される。雷蔵たちが歩いている通路も、その一つだった。

 ところがこの隠し通路は、何代か前の管理者が、鍵となる(かじり)を伝ぬまま死んだため、長らく誰も入れぬ状態が続いていた。それを今の陰陽頭が、雷蔵に協力を求め、再び使用できるようにしたのだ。とはいえ、研究熱心で熟達した術師の陰陽頭と違い、雷蔵は能力はあっても、それを応用する術についてはさほど精通していない。解錠の呪は、雷蔵が龍弦琵琶で一つずつ音階から“響く”ものを探り、弾き出したその一音一音に陰陽頭が“(ことば)”を与えて、復原したのである。雷蔵が、部外者でありながら例外的に出入りを許されているのは、そういう裏事情があった。

(幻術ならば多少心得はあるが、『これ』は違うな)

 虎一太はしげしげと、燭火を反射し黒光りする廊下を眺めた。足の裏から伝わる木肌には確かな感触がある。
 幻術と呪術、いわゆる妖術は、似ているようで実質はかなり異なる。基本的に催眠をもって人に幻覚作用を働く幻術に対し、呪術で起こされる現象は現実のものだ。幻術の刀に貫かれても、頭で痛みは感じるが、実際に身体は傷ついているわけではない。しかし呪術であれば、傷口はあるし血も流れる。

 つと雷蔵の足が止まった。
 「ここです」と言われ、これまた虎一太は戸惑った。ここ、と言われても、あるのは壁だけだ。
 傍らの困惑をよそに、雷蔵は徐に何もない壁に手を当て、小さく何事か唱えた。すると、突如としてそこに襖が現われた。
 あまりに不思議の連続で、最早目にしても、驚くことに麻痺しそうだった。
 中は思いのほか普通の板屋三間だった。ただし何も調度品など置いておらず、四方は壁しかない。

「『間の間』は外とは完全に切り離された空間(ムロ)。表から傍聴することは不可能です」

 なるほど、と虎一太もようやく得心がいった。未だどちらとも予断できぬが、人数比を考えるなら内通者は京里忍城側に潜んでいる可能性が高い。そんな里内で話し合うと、どこに誰の耳目があるか分からない。だから雷蔵はここに連れて来たのである。

「裏切り者がいると、そう考えているんだな」

 慎重に確認をする。

「答えを出すには尚早ですが、どのような可能性も、皆無でない以上は警戒すべきでしょう。先に申し上げておきますが、俺は貴方がたも疑っていないわけではない」
「構わん。それが妥当だ」

 虎一太にとっては信用のおける仲間でも、雷蔵たちにしてみれば全く赤の他人。場合によっては敵に回ることすらあるわけだから、疑惑は当然だった。

「だが、奴らをそのままにしておいて大丈夫か」

 奴ら、というのは、協議に参加した者たちのことである。目を離している隙に、密かに外へ出て、敵に作戦内容を流すかもしれない。
 雷蔵は肯定も否定もせず、代わりに微笑した。

「この間にお連れした真意を承知の上でそれを訊くとは、存外お人が悪い」

 虎一太は肩を竦めた。

「バレたか。すまんな。試すわけではないが、念のためだ」

 雷蔵がわざわざ『間の間』を選んだのは、虎一太と“最後”の煮詰めをするためだ。つまり先刻取り決めたのは仮初のもので、そこに変更を加えるというわけである。これならば、敵に掌握されるのは、せいぜい暫定の情報のみになる。

「それに、“外”の人間には、この里に無断で入ることも、出ることも叶いません」

 謎めいた言い方だったが、虎一太はそこに含まれた意味を察していた。だから何も訊かなかった。
 二人は向かい合い、先程詰めた事項の中で、いくつかの変更点を検討した。もちろんこのことは直前まで極秘である。当日は隊を四組に分けて潜入を行うが、それぞれの使用経路を若干変え、潜入時刻を前倒しし、落ち合う地点をずらすなど、その場で計画変更を申し渡しても差し支えのない範囲で調整する。忍びは不測の事態に備え、決められたこと以外にも臨機応変に対処できるよう訓練されている。特に今回率いるのはほとんどが熟練者だ。城内の見取り図や逃走路周囲の地形など、各自すぐに思い描けるよう頭に叩き込んでいる。計画の端々に急な変更があったところで、狼狽えたりはしない。
 あらかた打ち合わせが済み、そろそろ戻る段となった。あまり長い間二人同時に不在というのも良くない。
 雷蔵は最後に虎一太にこう言った。

「どちらかに裏切り者が紛れ込んでいたとして、発見次第即時処分する。たとえ身内であっても、斟酌は一切無用。よろしいですか」

 二つの眸がじっと見ている。その眼を、水晶のようだと、虎一太は思った。色は磨き上げた黒曜石のように深いのに、透明に感じる。澄んでいるというより、何も映さず、何色にも染まらず、何物にも濁されず、そして己の内から何かを表わすこともない。硬く無機質で、静謐な結晶。
 虎一太は試されているような気がした。

「答えるまでもない。そちらは?」
「無論」

 入った時同様、陰陽寮の裏口から外に出たところで、「それでは」と一礼して去ろうとする雷蔵を、虎一太が不意に呼び止めた。

「薬叉、俺に対して敬語はいい。お前は上忍となって久しいし、今回俺たちは対等の立場だ。互いに遠慮は要らない。第一―――どうにもまどろっこしくて敵わん」

 敬語だと意思伝達に余分な時間がかかる。二人頭で指揮を行うのならば、相互のやり取りは簡潔明快であることが望ましい。何よりそういう堅苦しいのが面倒なのだと、最後に笑いを込めて言った。
 虚を突かれた風だった雷蔵は、何かを吟味する風だったが、やがて意を得て微笑んだ。

「承知」
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