遠くでさやぐ気配に、ふと意識が浮上した。しかしごく浅い。視界は濃靄がかかって光を映さず、耳は膜が張ったように音が籠っている。鼻腔をつく匂いに、睡眠を促す薬草の名が自ずと浮かぶも、再び深い眠りの底へ引き摺りこまれた。ふわふわと、手から離れた自我は過去の記憶へと再び落ちて行く。




「遠路遥々御足労願ってすまなかったの」

 薄暗い板張りの広間に、十一の人間が面を合わせていた。北の座にいるのは白髪に白い髭を蓄えた老人であり、左右に藍染の麻衣を羽織った壮年の男が三人控えている。厳格な中に穏やかな光を瞳に湛える老人に対し、そちらは一様に切るような隙のない顔つきをしている。
 彼らを前に対峙するのは虎一太と、彼の率いる影梟衆の精鋭である。雷蔵はその両者の間に、少し脇に下がるようにして控えていた。

「滅相もございません。こちらこそ御里にお招きいただいて恐縮にございますれば」

 虎一太は慇懃に頭を垂れた。“他忍”の隠れ里に呼ばれることなど滅多にあることではない。前代未聞とさえいっていい。隠れ里はその忍軍にとって本丸である。唯一無二の砦であり、命綱。それゆえに“隠れ”里なのだ。だからこのようにして、外部の忍軍を招き入れるのは、異例中の異例のことであった。

「互いに忍び頭同士。そのように畏まらんでもよい」

 虎一太は面を上げ苦笑した。そうは言っても、自分はまだ頭になったばかりの若輩者だ。対する老人は、天下に名高い『京里忍城』の里長。規模も年季も経験も、自分とは格違いの相手に、対等に構えろという方が無理な話である。

「手前都合で呼び立ててしまったのはこちらの方だ。里までの道のり、さぞかし御苦労召されたことであろう」

 虎一太はぼんやり往路を思い返して、曖昧に相槌を打った。正直言って、「大変」なんてものではなかった。一廉の忍軍の隠れ里なのだから当然と言えば当然なのだが、想像以上に厳しく険しく、謀殺とはいかぬまでも、こちらの力を試しているのではないかと勘繰らせる道行であった。
 否、実際試したのだろう。目前で好々爺然とした笑顔を浮かべている、この古狸は。
 その狸が、にわかに表情を引き締めた。

「おまけに敵の埋伏を受けられたとか。情報の漏洩は全くこちらの不手際。申し訳ない」
「謝罪など。それに、薬叉殿のおかげで我らも無傷にて馳せ参じることがかないました」

 そういって見やれば、つと顔を上げた雷蔵と目があった。実際敵を文字通り瞬時に排斥し、その後の道案内においても迷うことなく(虎一太達には最早どこがどこかも分からず、延々回り道をしていたようにさえ思えたが)無事辿りつくことができた。

「そうであれば重畳。時に虎一太殿は今年でおいくつになられたかな?」

 にこにことしながら、唐突に質問をしてくる。意図を掴めぬまま、虎一太は芒洋と答えた。

「二十と三になります」
「然様か。一郎太殿より代替わりされて一年近くだの。御父上とは久しく懇意にさせてもらっていたが、その御子が二十三とは、いやはや早いものだ」

 やはり掴めぬまま、虎一太は「はぁ」と返すのみだ。
 義忍として名を馳せている影梟衆は、構成員が少数であるために、時に他の忍軍と共闘することがある。特に京里忍城とは伝統的に関係を築いてきた。もちろん互いに敵同士として相対することはなきにしもあらずで、その時には互いに遠慮はしないが、それはそれと線引きできる淡白さが、彼らにはあった。

「実は此度の仕事について、我が方では頭数数十の用意があるが、この件の全権はこれに委ねようと思っておる」

 そう言って首を巡らし雷蔵を指し示した洽に、虎一太の背後から驚愕と戸惑いの気配が伝わってくる。何せ今回持ち込まれた依頼はかなり際どいものだ。その規模の大きさ故に、京里忍城と影梟衆に共同依頼がかかったくらいである。
 そんな大仕事を、いくら腕が立つといったからといって、里長自らがこのような子どもに一任するとは。

「隠殿、それは……」

 さしもの虎一太も当惑を隠せず、思わず身を上げてしまう。洽は掌を向けてきた。

「安心召されよ。このなりゆえ頼りなく思われるのも無理ないことだが、これでも上忍となって六年は経つ。腕は確かだ」

 話題にされた当の本人は、表情一つ変えることなく、静かに目礼する。

「失礼だが、薬叉殿はお幾つで?」

 狼狽を隠せぬまま、虎一太は思わず己にされた問いを雷蔵にかける。

「今年で十六を数えました」

 全く十六には見えない。良くて十三だろう。詐欺ではないかと疑った。しかし洽を含め、左右に控える男たちも至って普通の表情をしていることから、からかわれているわけではないようだ。
 事実、その外見を裏切った実力は、忍び界における評判で十分証明されている。特に雷蔵を含めた精鋭四人、通称『蔵四人衆』は、京里忍城の“顔”でさえあった。どうやら里長の親馬鹿というわけでもないらしい。

 おまけに京里忍城の上忍認定は厳格なので有名だ。能力と功績、そして覚悟が問われるのは概ねどこの忍軍でも一緒であるが、これだけ多くの忍びを有しておきながら、その中で上忍の名を持つ者が一握りしかいないのは、査定基準が生半可なものではないためだと聞く。
 それを僅か十歳で通過した雷蔵は、間違いなく忍びの道の天才といえよう。若くして天賦の才を持つ者は、往々にして驕りやすい。けれども雷蔵からは、そういった若者にありがちな「己」を主張しようとする気概が、全く感じられなかった。流れにただ流されるように、淡々と事実を他人事のように受け止めるだけ。大の大人であっても、なかなかこうはいかない。
 なるほど、これは確かに只の子どもであるはずがない。
 虎一太は嘆息を心の中に仕舞い込み、背筋を伸ばして洽に向き直った。

「了解しました。では、これより我ら影梟衆は、条件を違えぬ限り、任務完了まで京里忍城の盟友として力を尽くすことを誓いましょう。裏切らず、欺かず」
「義にかけて」

 洽は冷厳に頷いた。




 夕餉の歓待を受けて、里長の屋敷を出た時には、すでにとっぷりと日が暮れていた。
 まずは心身を万全にせよと、洽は言った。影梟衆の宿する館にも案内された。具体的な作戦会議は明日に回し、今宵は旅路の疲れを取れということらしい。里内を自由に歩き回ってもよいとのことだった。己の手の内を見せることに露ほどの躊躇いもない。影梟衆を信用しているというよりも、何をどれほど見られようとも構わない、その程度で潰されることなど決してないという自信の表れだった。

 それが、決して驕りや油断の類でないことは、里の様子を見ていれば分かる。何せ、至って普通の里なのだ。目に見えるのは、彼らの仕事姿であったり生活であったりして、機密にかかわるようなことなど何も見当たらない。
 数々の建物を抜けていくうちに、京里忍城の巨大さを改めて認識させられる。
 後ろでは、先程から不知火が興奮気味に纏わりついてきていた。

「吃驚ですね、お頭。こんなにデカイ隠れ里、俺初めてっスよ。しかもあの名高い京里忍城の中! なんつーか、やっぱりこんだけ大きな組織となると違ぇや。小助兄や留吉、置いてけぼり食らって今頃悔しがっているだろうなあ」

 きょろきょろと周囲を見回して目を輝かせる横顔は、すっかりお上りさん状態である。数え十七にしては他の同世代よりも大きくしっかりした体躯を持ち、腕前も虎一太が弟分として目をかけてきただけあってそれなりだが、落ち着きのなさはまだまだ子どもだった。

「おまけにあの薬叉の雷蔵をこの目で見れただけじゃなく、一緒に仕事できるなんて。噂には聞いちゃいたが、やっぱ凄ェもんですね。最初見た時は餓鬼んちょでぶったまげましたけど、あんな女子みたいな顔で、敵を容赦なく瞬殺ですもん。思わず鳥肌立っちまいましたよ」
「おいおい、遊びに来たんじゃないぞ」

 興奮気味に力説する弟分に、虎一太は呆れ顔で振り返った。不知火がこんなにもみいはあだったとは意外だ。
 その反応に不知火はいささか不満げに唇を尖らせる。

「そりゃあお頭は強ぇし、名前だって知れてっから普通でしょうけど、京里忍城の蔵四人衆なんて俺らにとっちゃ雲の上の存在なんスよ」

 その相手とお前は一つしか違わないのだがな、と弟分のある意味の素直さに虎一太は苦笑を禁じ得ない。おまけにあちらの方が年下だというのに、この違いはどうしたことか。雷蔵の落ち着きの半分でも見習って欲しいものである。
 でも、と不知火は急に怪訝そうな顔で首を傾げ始める。

「いくらデカイ組織って言っても、外の忍びをこんなに簡単にほいほい隠れ里にいれたりして大丈夫なんでしょうかね」
「……それこそ、自信があるんだろうな」
「へ?」
「里までの道―――恐らく、比喩ではなく真実内部の人間にしか導けないのだろう。何のからくりによってかは知らないが」

 滅多にはない機会、もちろん虎一太も雷蔵の後ろに随いながら、隠れ里までの道順を記憶しようと試みた。ところが、叶わなかった。何せ同じ景色を幾度も見、同じ道を幾度も通っていたのに、気づけば里に着いていたのだ。
 決して暴かれることのない隠れ里。だからこそ絶対の自信を以て、招き入れた。
 へえ、と不知火はポカンとしながら呟いた。分かっているのかいないのか、いまいち謎である。
 そこへ、夜風に乗って弦を弾くような音が聞こえてくる。
 奏でられる楽曲に耳を傾けながら、「随分風流なことで」と不知火が鼻を鳴らした。
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