おどんが打死(うッち)んちゅうて
(だあ)が泣いちゃくりゅか
裏の松山 蝉が鳴く

―――五木の子守唄・再



「それで、結局君に決まったわけだ」

 雷蔵は琵琶を爪弾いては本体を改め、また爪弾いては頭を捻りなどしつつ、相槌を打った。勝手が違って扱い慣れないこともあるが、一番の弊害は左手の怪我のようだ。

「まあ結論から言うとそうなるんだが」

 過程はどうでもいいとばかりに結論に一足飛びされ、虎一太はそこはかとなく侘しげに言った。
 その心を読んだか、

「理由なんか聞かずとも分かるよ」

 おや?と相変わらず長閑な顔で小首を傾げた男に、「それさ」と雷蔵は撥で指した。

「君のその楽天的な態度」
「楽天的?」

 あまり言われたくない相手に言われたな、と虎一太は心中でごちる。能天気さでは雷蔵も負けてはいないだろうに。

「まあ良く言えば大らかというか、物事に頓着しない性格が大方決め手と言ったところだろ」

 くるりと器用に撥を返して持ち直し、雷蔵は手慰みに弦を弾いた。余韻に耳を澄ますように瞳を伏せる。響きを確認している風だった。

「よく分かったな」

 虎一太は不思議そうに瞬きを繰り返している。多少の語弊はあるものの、広い意味ではその通りだった。

「頂に立つ者に必要なのは万能さ完璧さではなく、人々の宿り木となりうる器量だからね」

 当たり前のことだとばかりに告げ、複数の弦をゆったりと掻きならす。夜の帳に、震えるような深い音色が融和した。
 雷蔵の科白には間の言葉が省略されており、一見すると因果関係が掴めないが、虎一太はその言下の含意をよく承知していた。「明察だ」と、心持ち苦く微笑んだ。




 その決定を聞いた時、龍二郎は採るべき反応を見失った。何故、とも思ったし、矢張り、という思いも同時にあった。動揺を極力面に出さないようにすることが精一杯の矜持だった。

「次期棟梁は虎一太とする」

 虎一太はきょとんとしており、言われた言葉がにわかには信じられない様子だった。
 一郎太はそんな二人の当惑を知りながら黙殺し、粛然と言い渡した。

「一度下された決定は厳粛なものだ。どのような意見があろうとも覆すことはない。その上で質問があれば聞こう」

 「恐れながら」と声を上げたのは二人ほぼ同時だった。
 予想していたことであったか、一郎太は鼻で息をつきつつ、

「申してみよ」

 大方同じ問いであろうが、と呟く。

「選定の由をお聞かせ願いたい」

 先に口を切ったのは龍二郎だった。あとを追うように、虎一太も床に手をつく。

「俺もです。何故龍二ではなく俺なのですか」

 選ばれた方だというのに、虎一太は相当な戸惑いを露わにしていた。当人は自分になることはなかろうと高を括っていた。課題の出来具合を比較すれば、すべてにおいて龍二郎の方が上だと思っていたのである。

「納得がいかない、という様子だな」

 やれやれと一郎太が腕を組みなおしながら二人の息子それぞれを見つめる。虎一太は落ち着きなく目線を落とした。
 対する龍二郎は毅然と背筋を伸ばした。

「御頭の決定に異を唱えるつもりはございません。ただ知りたいのです。己に一体何が足りなかったのか」

 言いながら、嘘だと心の中で呟いた。異論ならある。異存がある。自分が劣っていたなどと思えない。

「俺は……龍二より己が棟梁に適しているとは思えません」

 僅かな躊躇いとともに、虎一太も追従する。

「特に今回の三つの試練でも龍二は優れていた。俺など、最後の試練では眠り呆けていただけです」
「だからだ」

 一郎太の重厚な声音が場の空気を震わせた。

「お前たちは棟梁たる器は何だと心得る」

 二人はそれぞれ顔を見合わせた。

「忍びとして能力の優れていることではないのですか」

 虎一太が代表して答える。事実二人はそう思っていた。否、二人だけでなく、多くの者がそういうものだと認識していた。
 しかし一郎太は首を振った。

「人の心を支え、人望を掌握しうる胆量だ」

 胆量。それはまだ若い二人にはピンとこない表現だった。
 険しい年月を皺と共に刻んだ眼差しが、深く二人を包み込む。

「上に立つ者はどんな状況においても動じることは許されぬ。心は凪いだ大海のごとく、常に深遠茫洋としていなければならぬ。棟梁が従う者達を萎縮させては、彼らの心は寄る辺を失い不安に満ちる。それでは衆を一に統ばることはできん」

 諭す声色はどこまでも森厳として、二人の未だ柔らかく隙だらけの心に突き刺さり、じわりと凍みる。

「〈彼我の間〉の深遠なる暗闇は、心弱い者ならば一日もたたずして気が触れる。その点、双方とも問題はなかった。しかし、たとえ闇に心折れずとも、あの間に掛けられた幻術が作動した時こそ真価が問われるのだ。少しでも芯が揺らげば、闇に飲まれる」

 一郎太は龍二郎を見据えた。

「龍二郎。お前は確かに忍びとして優秀だ。腕が立ち、強靭な自制心も持っている。しかしお前は物事をあまりに頑なに考え、思い詰めてしまう。それ自体は悪いことではない。だがその性は参謀には向いておろうが、宿り木とするには危うい。硬すぎる細枝はいずれ重さに支えきれず、折れてしまう」

 龍二郎は胸裡に強い衝撃を受けた。
 それはつまり、精神的な脆さを指摘されたも同然であったのだ。

「〈彼我の間〉は己の心を映し出す鏡。お前は己の闇を目の当たりにして動揺し、錯乱した」

 龍二郎は声を失っていた。その通りであったから、返す言葉もなかった。

「ところが虎一太は、その闇の中で眠っていたと言った」

 話を振られた虎一太は、はっとして背を伸ばした。

「あの幻は、頭たる判断力を問うための試験だ。正直その答案だけとるならば、虎一太ではなく龍二郎こそが及第であっただろう。だがより大きな素質の違いが、別の形で現われた。虎一太」
「はい……」
「睡魔に対する鍛錬は積んでいたはず。その上であえて抗わなかったのは何故だ」

 虎一太は逡巡する素振りを見せたが、注がれる眼光は一切の誤魔化しを許さない。

「……自由にしろと、言われたので……」

 ポツリと答える。
 試練に対し投げやりだったわけではない。たとえ本意でなくとも、そして選ばれる可能性が低くとも、父や龍二郎に顔向けできぬことだけはしたくなかったから、真剣に力を尽くした。最初から最後まで手を抜いたつもりはない。ただ最後だけは、何をしろとも、してはならぬとも指示はなかった。
 一郎太は頷いた。

「お前のとった行動は、一面から見れば気の緩みととれる。が、何をしても良いと言った上での行動とすれば、それは無責任なのではなく豪胆であるといえる。上に立つに必要なのはその『大きさ』だ」

 己を追い詰める龍二郎に対し、どこまでも自然体である虎一太。
 海が凪いでいれば、浮かぶ船は揺れず、船乗りは安心して舵取りができるものだ。指揮者が焦り、慌て、あるいは苛立ち、あるいは怒り散らせば、それはつき従う者たちにも伝播する。神経の線の細い者に務まるものではない。
 虎一太はその点、どれほど緊張の強いられる緊迫した状況であろうとも、平生の己を見失わない。一郎太もまた、どっしりと構えて微動だにしない物腰である。それは度量だった。
 棟梁の器は技量の優劣で決まるものではない。そう一郎太は説いた。
 他に申し述べたいことはあるか、と言われ、龍二郎は数拍してからゆるりと首を横に振った。

「……ございません」
「お前はどうだ」

 振られた虎一太に、答えは端から一つしか用意されていなかった。棟梁の決定は絶対だ。こと、それが後継となると重みは格段に違う。
 棟梁は立候補で決まるものではない。もちろん当人にやる気があればなお良いが、強く望んでいるからといって認められるものではなく、さりとてやりたくないからといって拒めるものではない。「やりたい」という気持ちを尊重して選出したのでは里の存亡に関わる。候補の選定試練と同じだった。望むと望まざるとに関わらず、器によって判定は下され、一旦下された以上それに否やを唱えることは許されない。
 だから虎一太は頭を垂れ、手をつき、こう言うしかなかった。

「……御役目、謹んで拝受いたします」

 心持ち苦渋の滲んだ声であった。
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