倉庫の裏手から出た彼らを待っていたのは見たこともない籠だった。否、籠というよりも牛車に近い。大人三人は乗れる大きさで、しかし繋がれているのは馬。さしずめ馬車といったところか。これも南蛮からもたらされたものだろう。雷蔵たちはそこで目隠しをされてから、決して広くはない内部へ乱暴に押し込められる。最後にユストが乗って、馬車は出発した。

「なるほどな。俺たちを動けぬようにした上で、人知れず移動させようって魂胆か」

 振動に辟易しながら、美吉が鼻を鳴らした。このような派手な馬車など却って悪目立ちしそうだが、一見して南蛮人の持ち物と分かる車に近づこうと思う物好きな倭人もいまい。
 ユストが苦笑するのを声と気配で察する。

「窮屈な思いをさせて申し訳ありませんが、逃げられても困りますので」
「結構な待遇なことだね」

 目隠しの下で雷蔵は呟く。そういえばこの縛術は口にまでは及ばないんだな、とどうでもいいことを思った。それでも負荷を抱えたまま、身動きもできぬこの状態ではユストを人質に取ることもできない。

「面白いでしょう? この国には馬車がありませんでしたので、殿(TONO)にお願いして作ってもらったのですよ」

 楽しげなユストの声に、美吉はこの国にじわじわと侵食してくる異国の触手を薄ら感じ取った。
 ほどなくして速度が落ち、揺れがやむ。「着きました」とユストが言うなり、側で戸が開く音がして、例のごとく引っ張りだされた。
 目隠しをされたまま、抱えられる様にして脚を進める。敷居や段差の具合からして寺のようだった。

南蛮(だいうす)寺か」

 美吉の指摘に、ユストが驚きをもって返す。

「よくお分かりですね」
「この程度、視えずとも大体想像がつく」

 恐らく内部だろう、どこかに足を踏み入れた瞬間、身体がやや軽くなった。

「結界内に入りましたので、少し緩ませました。お加減は大丈夫ですか」
「最悪。どうせなら全部取ってくれよ。あとこのうっとおしい目隠しもな」
「それは無理なお話で」

 ユストは警戒していた。この二人はただの法師などではない。それはユストの能力が効かないだけでなく、『悟り』を看破してみせたこと、それに加えこのような状況でなお平静を失わない態度から明らかだった。結界はユストの領域だからと、二人が歩きやすいよう術の鎖を弱めたが、それでも完全に枷を外すのは危うい。
 やがてユストがある室の前で立ち止まり、木の扉を開けた。
 雷蔵と美吉は両脇で腕をつかむ男たちから強く制されたかと思うと、次に突かれるようにしてそこへ入った。目を塞がれているから部屋の詳細な内部まではわからないが、反響の具合からして相当に広いのはわかる。ただ足元に違和感があった。何やら柔らかい感触がする。
 室内の中央に置かれた白布を被せた長方形の卓の前に二人は連れてこられた。

「どうぞおかけ下さい」

 誘導された二人は、しかし椅子を前にして佇んだままだった。

「嫌だね」

 美吉がべえと舌を出す。

「何か嫌な感じがするしな」
「別のに変えてくれない?」

 雷蔵も肩を竦めて同調した。ユストは苦く笑う。椅子に施した術の気配を感づかれている。
 さすがですね、とつぶやきながら、配下の者に備え付けの別の椅子に取り返させた。
 腰を落ち着けてから、ようやく目隠しと縄が解かれる。ついでに胸の十字飾りも消え、身体の自由が戻った。
 しばらく明かりに目を眇めていたが、やがて目の前に広がる光景を見て、美吉はあんぐりと口を開けた。

「何だ此処は?」

 室内は暗色を基調として、壁には豪奢な額縁の絵画、隅々には銀細工が飾られている。天井は逆に明るい塗料を塗り、中央に巨大で絢爛たる燭台がさげられていた。三人はちょうどその真下に置かれた卓を挟み、互いに向かい合っている。

「これはまた凄いね」

 さして驚いてなさそうな口ぶりで、雷蔵は感嘆した。

「素晴らしいでしょう。我が国の様式を模してみたのです」

 唖然と見まわしていた美吉は、首を戻しユストを真っ向から睨んだ。

「で? 人に濡れ衣着せてまでこんなところへ連れ込んで、一体何を企んでいやがる」

 ユストはあくまでにこやかさを失わぬまま、

「まあまあ、まずはお茶でもいかがです」

 指をならせば、戸から盆を持った者が入ってくる。美吉はその姿を見て再び目を瞠った。それは異人ではあったが、ユストたちのような明るい肌や髪とは対照的に、黒い肌をしていた。背が高く、体つきもがっしりとしている。大和でも南方はある程度肌色が濃いが、比べ物にならなかった。まるで太陽の炎で焦がされたような鮮やかな黒色だった。
 彼は黙々と三人へと杯を置く。これまた見たことのない白磁に文様をあしらった、取っ手つきの杯だ。極めつけ中に注がれている液体は褐色。茶というから、てっきり緑色のあれが出てくるものだと思っていた。

「ご安心を。毒は入ってませんから」

 見慣れぬ飲み物に警戒していると思ったか、ユストは先に断りを入れる。
 雷蔵は杯を顔の側まで持ち上げ、口を付けてから、さり気なく隣に視線をくれた。目の端でそれを捉えつつ美吉も己の杯に手を伸ばす。

「変わった味だね」
「あなた方には珍しいでしょう。これは我が国からわざわざ持ってきた茶です」
「お前の国じゃなく、元は天竺のものだろ」

 杯に目線を落としたままの美吉の指摘に、ユストは驚いた顔を見せる。

「あの黒い奴だって、遥か遠くの国から奴隷として連れてきたくせに」
「……やれやれ、それがミヨシさんの能力ですか」
「気安く名前呼ぶな」

 斬って捨てるような刺々しさに、ユストも表情を改め、卓へ両肘をつき指を組んだ。

「本題に入りましょう。実は二人にお願いがありまして」
「お願い?」

 その句に、雷蔵が瞬きをする。この仕打ちの上でなおお願いとは、さて面妖な。

「ええ。是非ともお力を貸していただきたいのです」
「言っておくが、改宗したりとか、あんたらの布教に協力するとかは願い下げだからな」

 硬質に言い返す美吉に、ユストは「そんなことではありません」と首を振った。

「改宗など必要ありません。むしろあなた方は何も信じておらぬでしょう?」

 仏も、神も。
 目を細めたユストに、二人は無反応をもって返した。沈黙は肯定―――というわけではない。この二人にとって、ユストの言は半分合っていて半分誤っている。それを指摘する気がないだけだ。

「ところでお聞きしたいのですが、私が『悟り』だといつ気づいたのですか?」

 ユストは雷蔵に向って首を傾けてみせた。

「さっきだよ。美吉と干渉し合っただろ」
「では、何故初めて会った時、あなたの心が聞こえなかったのでしょうか」

 ユストは思い返す。雷蔵に話しかけた時、彼からは何も聞こえなかった。否、表面的なあたりさわりのないものは拾えたが、それより奥はどうしても探り入ることができなかったのだ。

「さて」

 雷蔵は微笑みで軽く流した。
 それを美吉は横目で見ながら、そりゃそうだ、と声なき声で相槌を打つ。あらゆる『(じつ)』を射抜くはずのこの眼ならいざ知らず、『悟り』に分かるはずがない。雷蔵は忍術修行で、対妖術・幻術遣い用の精神制御を身につけている。普段から心に蓋をし、相手に考えを読ませぬよう訓練されているわけだから、心の声を聞く『悟り』が読み取れるわけがない。何より雷蔵はもともと感情の起伏が希薄だ。そこにあるのはただ深遠な暗闇と、森々と広がる雪原ばかり。美吉はかつて覗き見たことのある光景を思い出し、面を伏せた。視たのは初めて敵として対峙した時の一度きりだ。親しい相手には、土足で裡に踏み入る真似はしたくなかったから、それ以上のことは知らない。

「そんな話をしに連れてきたわけじゃないだろ、さっさと要件とやらを言えよ」

 横槍で突いて話題を軌道修正し、美吉はぞんざいな仕草で背もたれにそっくり返る。やる気がないくせに無駄に偉そうだ。

「ああ、その前に俺たちの荷、どうした?」

 ふと思いついて尋ねる。

「ちゃんと大切に預かってますよ」
「あれにゃ大事なモン入ってんだよ。返してくれ」
「無理だと申し上げれば?」
「話し合いに応じない」
「交換条件ですか。ならば返せばこちらの要求を呑みますか」
「内容次第だな」
「……」

 ユストはやれやれと溜息をつき、軽く右手を挙げた。
 やがて運ばれてきた荷を二人へと渡す。すかさず美吉はごそごそと中身の確認をしている。そしてじろりとユストを睨めつけた。

「鍼と小刀一式、どこやった」
「武器となりうるものは没収させてもらってます」

 当たり前だろうとばかりに呆れた響きを込めて返答が返る。

「あ、俺のもない」

 能天気に雷蔵が、今更荷を解いてつぶやく。

「全く、本当に謎めいた方々だ。中から出てくるのはどう見ても一般人―――それも僧侶が持つ持ち物ではないものも混ざっているのですから」

 ユストが目にしたのは、武器としか言えないものだった。聞けば何でも忍びと呼ばれるスパイたちの道具らしいときた。彼らはしばしば行脚僧に扮して各国に潜入するらしい。ならばこの二人の正体は一つしかない。こうまでも型破りなのもうなずけるというものだ。

「うるせえな。それも大切な商売道具なんだよ。返せ」

 美吉がドスの利いた声音で催促する。折角五日間籠って打ち上げたものを奪われたのだ、憤るのも無理はない。
 だがユストは怯むことなく、組んだ手から両目をのぞかせ、告げた。

「お願いを呑んでいただければお返ししましょう」

 チッと美吉は舌打ちをする。まぁいい。戒めが解けた以上、いざとなればいつだって脱出できる。

「言ってみろよ」

 行儀悪く頬杖をつき、おざなりに促せば、正面の白皙の面は優雅に、茶杯を受け皿に置いた。

「この国が欲しいのです」
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