あの子が欲しい あの子じゃ分からん
この子が欲しい この子じゃ分からん
相談しよう そうしよう



 ―――こういう次第で、彼らは今こうして船場の倉庫に繋がれているというわけである。
 本来は縄抜けしてさっさと逃げればいいだけなのだが、先ほどの騒動はあまりにも人目につきすぎた。この上脱走などして余計騒ぎを大きくするのは、素性を潜めて旅する彼ら的には好ましくない。

「この状態、なーんかすっげぇ見覚えがあるなぁ」

 二人揃って意味も分からず拘束され放り込まれている図に、美吉は嫌味にも似たぼやきを上げる。
 それに雷蔵は依然緊張感のない調子で、

「ああ、知ってる。そういうの『デジャブ』って言うらしいよ」
「? え、デ…・・なんだって? 『デブじゃー』?」

 突然耳を突いた聴き慣れぬ音の羅列に、美吉は軽く御乱心気味だ。

「既視感って意味だって。南蛮人が言ってた」
「南蛮語なんぞ知るかっ」

 今は南蛮と聞くだけでも腹立たしいのか、ぷりぷりしている。
 そんなある意味呑気といえる会話を交わしていると、にわかに人の気配と足音が割り込んできた。
 ユストかと思ったが、美吉が顔を上げた先には、日本で言うなら元服を終えたばかりの年頃の少年が立っていた。実際見た目は少年というより青年に見えるのだが、美吉の『眼』は初めから彼を外見より幼いことを見通していた。何より鼻の周りに散ったそばかすは、忘れるはずもない。
 アーロンであった。

「おやおや、俺たちを陥れた張本人のご登場だぜ」

 美吉は皮肉たっぷりに口端を上げた。
 アーロンは頬を強張らせながら、揺れる翠瞳できっと睨んでいる。

「さあて、憐れみと善行を説く神の御使い様が、人を陥れるっていうのは一体全体どういう料簡なのかねぇ」

 痛烈な嫌味を理解したか、顔を真っ赤にした。引き結んだ唇が解かれる。

「ぼ、僕は!」

 一度(ども)って咳き込むと、途端に眼光も弱まり、風に吹かれる灯のごとく頼りなく揺れる。

「神の教えに背いたりなどしていないっ」

 語尾が上ずって震えた。

「ふーん、虚偽は悪じゃないんだな」

 美吉が冷たく半眼になる。

「正しき道標を示すのに、時に必要な嘘もある」
「罪もない他者に濡れ衣を着せ、不当に拘束することがか?」

 容赦のない糾弾に、まだ幼いともいえる異人の少年は微かに震え、視線を彷徨わせていた。迷いの証拠だ。
 美吉は双眸を眇め、左眼に意識を集中させた。

「……誤った道に冒された者を、正しい方へと導く。あの赤毛野郎にそう唆されたってわけね。本当は疑問を感じながらもあえて従ったのは、恩人だからか」

 ギクリとアーロンは逸らしていた視線を美吉に戻した。顔色が真っ青だった。  震える唇から、「何故」と零れ落ちる。

「元は田舎の没落貴族の出で、皆にイジメられてたところを救われたんだな。その胸の十字首飾りはその時あいつから貰ったやつだろ。以来奴を兄と慕い、必死に勉強して教会に入った。そして極東への布教の航海に誘われ、ついてきたというわけ」

 アーロンは青褪めたまま戦慄した。驚愕と得体の知れぬ不気味さに声が出ない。この男は何故、自分の経歴を知っているのだろう。しかもユスト以外は誰も知らぬはずのことまで。美吉の眼は自分を射抜きながらも、違うところを見つめていた。遠い焦点。自分の内の内まで見透かされているような感触が恐ろしくてたまらなかった。すぐにもこの場から逃げ出したいのに、足が動かない。まるでその目に射すくめられたかのように。
 その間にも美吉の言葉は滔々と紡がれ続ける。

「へぇ、やれ腐敗しているだの魔物の手先だのと言うが、手前らだってそう変わらないじゃないか。神という名の権威を振り回して財を得て贅沢三昧、外には餓えた乞食が溢れているってのに寺院の中には金銀細工を凝らした豪勢な飾り物だらけ。……ったく、他人のこと言えた義理か?」
「そ、それは……」

 更に顔が険しく顰められる。

「おまけに、こりゃひでぇな。異教徒を徹底的に弾圧か。そればかりか、自分たちの意に染まらない人間や、権威を揺るがせるような発言をした者に、あらぬ罪名を着せて拷問にかけて殺戮の限りを……」
〈やめろ!!〉

 アーロンはつい母国の言葉で叫び、両耳をふさいで蹲った。強く瞑った眼窩で熱が渦巻いている。
 美吉が視たのはアーロン自身が実際に目にし経験したことである。そしてアーロンはずっとそれらのことを心のうちで病み、悩んできた。教会が裏で行ってきた残酷な歴史を知るたびに、神の教えに疑問を抱いて、苦悩した。
 それほどまでに強烈に刻みつけられた記憶だったからこそ、美吉も容易に読み取れたのだ。

「とんだ神の教えがあったものだな」

 きつく吐き捨てた。

「手前らが俺たちのことをどう思おうと構わん。俺らだっててめえらのことを南蛮って呼んでるしな。異国を奇異な目で見てるのはお互い様だ。でもよ、だからといって違うことを否定したり排除したりするのは違うんじゃねぇの」

 ああまた喋りすぎているなと美吉は思った。余計なことばかりだ。しかし舌は勝手に滑り続ける。

「美吉、まあそれくらいにしておきなよ」

 そこに雷蔵が静かな牽制の手を入れた。少年の為ではない。これ以上透視をさせれば、美吉の精神が怒気で揺らぐ。
 先ほどといい、どうもいつもの相棒らしくない。普段ならある程度のところで自分で抑制するはずなのに、今はむしろ加速していっている。ただでさえ敏感になりやすい話題で、更に過去視によって相手の感情の揺れ幅に引き摺られているのかもしれなかった。美吉は、憤りに呼応して火の気が強まる。それが封印の水の気を上回るとまずい。
 雷蔵はアーロンの震える肩を一瞥する。

「それに、彼は良心の呵責にたえかねてここに来たみたいだし。なんか俺たちに言いたいことがあるんじゃない?」

 背越しに伝わってくるのは無言だけ。どうせ『眼』で、そこまでとっくに知っていたのだろう。ただ美吉には許せなかったのだ。『神』に名の元に我が身の行いを正当化するものも、『神』に依存する者も。

「……懺悔しに来たんだろ。言えよ。俺はもう『知って』るけど、でもそれはお前の口から言わなきゃいけねぇことだろ」

 顔を覆い、丸めた背を震わせながら、アーロンは促されるままに絞り出すように呻いた。

「僕はこれが神の道を広げるための手助けとなると信じたんだ。そう思って誤魔化した。でも、それでも、やっぱり怖かった」
「何が怖い」
「たとえ相手が異教徒であったとしても、神の教えに背いているのではないかと……僕は、罪なき他者に盗みの罪を着せてしまった。何より、僕自身の醜いエゴのために」

 アーロンは鼓膜を震わす細やかな歌声を忘れられなかった。蜜を含んだような黒い瞳が、憂いに潤む眼差しが脳裏に焼き付いていた。届かぬ想いを乗せ、遠い眼差しで歌う女性。清艶ともいえるたおやかな姿は、西欧にはない繊細な情愛と切なさをアーロンに教えた。
 あの想いの先、あの視線の先にいた人物に、強い嫉妬を覚えた。同時に強い罪悪感に苛まれた。御主ゼウスの僕として、修道服(ルペータ)を纏い帽子(ビレタ)を被る者として、決して抱いてはならぬ感情だった。
 なのに、身を切るような思いを抑え込んでいたところに、思いもよらぬ形でその男が目前に現れ、振り子が大きく揺れた。
 その心の隙が、囁きに耳を貸してしまったのだ。
 少年の精神の動きを『視』ていた美吉は、一瞬だけ柱の反対側にいる雷蔵を見やった。

「誰に命じられた」
「……イルマン・フェレイラに」

 覆い隠す手の間から、ぽつりとこぼれおちる名。
 雷蔵たちの顔は、静かに確信を深めていた。

―――……やはり喋ってしまいましたか」

 突如響いた声音に、アーロンが勢いよく顔をあげた。
 振り向き、その翡翠の瞳がふたつ、柱の陰から現れた姿を映して恐怖に見開かれる。

〈イ、イルマン……〉

 ユストは相変わらず愛想笑いを貼り付かせながら、薄氷のような蒼い目を向けていた。

〈お前はもっと柔順だと思ったが、見込み違いだったようだ〉

 底の冷えきった声音だった。アーロンは氷柱に射抜かれたように打ち震えた。声を失し、跪いた両膝を動かすことさえできない。
 すっかり竦んでいる部下を冷たく一瞥し、ユストは横を通り過ぎる。そして柱につながれている二人へ首を巡らしたところで、唐突に美吉が弾かれたように頭を振った。

―――ぐッ!」
「アウッ!!」

 ほぼ同時にユストが顔を歪ませ、耳を押さえて身を屈した。
 美吉は歯を食いしばっている。首筋に浮き出た脈から堪えている衝撃の強さが分かる。きつく瞑ったその左目から、つうっと一筋赤い雫が伝った。
 血涙―――
 即座に事態に気づいた雷蔵が身をよじるようにして叫んだ。

「双方、『閉じろ』!」

 頭を抱えていたユストは、その言霊を拾い上げて反射的に『扉』を閉めた。
 瞬間、二人は揃って詰めた息を吐いた。はぁはぁと呼気を荒くして、脂汗を滴らせる。

「美吉」
「大丈夫……だ」

 美吉の左目からは涙のごとく血が流れている。同様に、ユストも両耳からかすかに出血していた。

「……まさかとは思ったけど」

 雷蔵は肩から力を抜くように嘆息した。まだ動けず茫然としているユストをじっと見つめる。

「君は『悟り』だね」

 『悟り』。
 人の心裡や記憶を『聞き取る』者。

「……」

 ユストは明答せず、耳を庇うようにしたまま雷蔵と美吉を見返していた。

「君の『悟り』は美吉の『眼』と競合する。互いに反発相殺しあうんだ」

 裡を見通す者同士が対抗すれば無限回廊に陥る。いうなれば合わせ鏡の状態だ。

「……ということは、ミヨシさんも」

 ふと昏い目つきでユストは唸った。

「道理で『聞こえ』ないわけだ」

 くっと笑う。

「制御している中でどれだけ頑張っても『聞こえ』ないものですから、全開放してみたのですが……なるほど」

 『悟り』はあらゆる人の声を聞き取ってしまう。範囲には限度があるが、それでも入ってくる情報量は半端なく、とても脳の処理が追いつかない。だからユストは普段はその力に閂を下ろし、開放するのも数割程度で留めていた。美吉と同じだ。しかし美吉の場合、そこまで繊細な微調節はできない。少し前に彼が目に感じた痛みは、ちょうど力が零れていたところに、ユストがいつもよりも広く“扉”を開けたために起きたものだった。

「まさか『同じ』だったとは……これはいい」

 亡霊のごとく、ゆらりと黒い衣が立ち上がる。シャラリと衿口から銀の十字の飾りが落ちた。
 それをしばらく見降ろしながら、嘲笑めいた色合いを口に乗せる。

〈イルマン、一体あなたは〉

 戦慄くアーロンを黙殺し、ユストは指を鳴らした。と、ユストの背後から、ぞろぞろと人影が集まってくる。
 ごろつきめいた男たちと、農民数人、それから―――

〈イルマン・ロドリーゴにレイナルド〉

 驚きとともにアーロンは彼らの名を呼んだ。ユストの周りにほかの宣教師の顔ぶれがいることは不思議ではないが、それは表向きでの話だ。ユストの行いは、誇り高きクリスチャンならばとても黙認されたものではないはず。協会の証たる黒衣をまとい、聖なるロザリヨをいただく彼らが、何故背徳者と共にいる?
 しかしアーロンの疑問に答える者はなく、ユストは〈彼らにクルスを〉と短く指示した。すかさず農民たちが二人のそばに近寄り、縄を解く前にまず手にしたロザリヨを二人の頚に掛けた。

「っ」

 美吉が微かに眉宇を寄せる。かけられた途端、四肢が不自然に重くなった。どうやら銀十字に何か術がかかっているらしく、左眼には胸元から伸びる不可視の文様が手足に絡むのが視えている。先んじて縄抜けはしており、指一本動かせぬわけでもないが、兵法三十六計といくには少々不利だ。
 雷蔵もまた、胸の十字を見つめ、黙考した。おそらく美吉も同じものを視ているだろう。不動縛に似ているが、見たことのない術式だった。術を成立させる要、すなわち理と式が解けなければ、術を解くことはかなわない。

「お二人をこちらへ」

 ユストが周囲を取り囲む屈強の者たちに命じる。
 二人は柱から解かれて、両腕を抱えられる様にして立たされ、連れて行かれる。といっても脚はのろのろとしか動かせぬから、ほとんど引きずられるようなありさまだ。重枷をかかえたまま無理やり急かされるのは辛い。

「そっちの小僧は?」

 ユストは、なすすべもなく膝つくアーロンに見向きもせず、踵を返した。

「物置へ放り込んでおきなさい」

 男たちに無理やり引きずられる茫然自失のアーロンを、美吉は肩越しに黙然と見やっていた。
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