「ええっと」

 突き刺さる視線に、眼を泳がせながら、後頭部を掻いた。全くなんで俺がこんなこと、と心中で愚痴る。

「まあまあその、話がよく見えないんだが、とりあえずちょいと落ち着こうじゃないか」

 とにかく言葉の通じる方へ努めて穏やかに働きかける。

「なあ兄弟、仏の教義とは苦行による解脱が第一じゃなかったか? こんなことで無心が揺らぐようじゃ悟りは遠ざかる一方だろ。この苦難も修行の一つだと思ってさ。しっかり苦行を積んで、世俗の煩悩を捨てて、何事にも乱されない不動心を会得すれば、何が正しいか自然とわかるもんだ。ほら偉大なる仏陀も言っているだろ。この世は因果応報、他人は他人、自分は自分ってな」

 ハテそんなこと言ってたっけかと我ながら思ったが、頭に血が上っている僧侶たちの自尊心を回復せしめるには十分効果があったようだ。

「ここは一つ懐の広~い深~いところを見せても損じゃないと思うぞ。これぞ試合に負けて勝負に勝つってな」

 これほど口数多く喋ったのはどれくらいぶりだろう。早くも顎が疲れてきた。全く慣れぬことはするものではない。
 だがこの演説は功を奏したようで、僧侶たちは、うむ、そうだな、などと頷き、「相手にするだけ時間の無駄」と興醒め感が漂い始める。
 意外とすんなり納得してくれて、美吉はホッと息をついた。もともとこんな役回りは柄じゃない。
 だが僧侶たちと違い、後ろの方々はそう簡単に解放してはくれそうにもなかった。

「お待ちなさい」

 折角去りかけた僧侶たちの足が止まる。
 あーあ、と美吉は面倒そうに髪の毛をガシガシ掻き乱す。

「聞き捨てなりません。彼らの質問に我らは正しく解答した。その上でこちらからの質問に沈黙した。これは我らの言うことこそ真理であるという証でしょう。そのことを認めぬどころか、過ちはこちらにあるというその結論はいかがなものか」

 それから嫌味ったらしく鼻で笑う。

「そのように逃げずとも、我らは仏教徒ではありませんから別に衣をはぎ取るような真似はいたしませんよ」
「何を! 我らがいつ言い負かされたなどと」
(あーもう、此奴らうぜぇ……)

 再び紛糾しそうな様相に、いよいよ美吉は眉根を寄せた。

「ちょっとそちらの伴天連さんよ」

 仕方なく前にでて、ちょいちょいと指をさす。

「あのさ、お宅らも一応他人ん()に踏み込んでんだから、それなりに礼儀ってモン弁えようぜ。郷に入れば郷に従えって諺知ってるか?」
「私たちは十分理解を示していると自負しておりますが」
「あ、そう? ならここは空気読んで引き下がってくれないかなあ」
「それはなりません。悪魔に唆された者たちによって我らの神が冒涜されたまま、良しとするわけには」

 飽きずにぐちゃぐちゃ言い始めた異人に「超面倒くさい!」と本気で頭を抱えたくなった。

「ああそう、要するに問題が解決できればいいんだろ。じゃあ率直に訊くけど、あんたらがしつこく唱える創造主って結局どんな姿形をしてるわけ?」
「その質問の前に、貴方はどう思われ―――
「おいおい、まずこちらの問いに答えるのが礼儀だろ。質問に質問で返すのは故意に回答を避ける卑怯な逃げとみなされるぞ」

 大方それが常套手段なのだろうけど、といえば、壮年の伴天連僧は表情を険しくした。

「創造主は我らと同じような姿をしております。創造主が人間を自らに似せお作りになられたためです」
「ふーん、で、あんたは見たことあるの?」
「創造主のお姿を拝見することは叶いません。しかし正しい行いと信仰心によりその憐れみ深い御心を感じることはできます」
「いや、そういう精神論は要らなくてさ。実際あんた自身が会って、その目でちゃんと見たのかって聞いてんの」
「……人は生きている限り主にお会いすることは叶いません」
「じゃあ何であんたは見たこともない其奴が存在するって言えるの?」
「神の子イエス様がそう仰られました。そして奇跡の御業をもって我らにお示し下さったのです」
「悪いけど俺たち別にそのイエス様とやらと知り合いじゃないし、『お話』だけじゃ信じることはできないんだよ。創造主が居ると言うなら、あんたがそれを証明してみせないと」

 この切り返しにぐ、と伴天連僧は言葉に詰まった。

「ではあなた方はどうするのです」
「あぁ?」
「あなた方の思う真の御作者を、どう我らに証明するのです」
「うん、証明できないな」
「……は?」

 清々しく笑ってあっさり認めた美吉に、彼は肩すかしをくらってポカンとした。

「そうだよ、お互い証明できないんだからどっちが正しいのかなんて水掛け論だろ? ならいいじゃん。これにて喧嘩両成敗」
「そ、そういうわけには参りません!」
「我儘だなぁ。それともあんたらカトウリカの神ってやつは、自分が一番じゃなきゃ気が済まない、相手を論破して喜ぶような、そんな器量の狭い御仁なわけ?」

 伴天連たちの顔がカッと真っ赤に染まった。しまった、と美吉は己の口を覆う。不本意な口論を強いられ、更に聞き分けのない相手にいささか苛立っただけで、別に火に油を注ぎたかったわけではない。全く口は災いの元とはよく言ったものだ。
 どう言い繕おうか迷っているうちに、彼らが怒涛の勢いで迫ってきた。

「デウスを愚弄するなど!」
「この悪魔の手先めが!」

 口々の罵りに、美吉は己のこめかみあたりでプツンと言う音を聞いた気がした。
 左眼に力を込める。

「悪魔だ何だと、だからどうした。そんなの、手前らが勝手に自分にとって都合の悪い存在をそう名付けているだけだろ」

 突然低くなった声音に、異人たちの唇が止まる。
 眠たげに垂れていた双眸は、今や一転して鬼気を宿して鋭く細められていた。

「『人間が一番高級で高尚な被造物』だって? いかにも人間サマのご都合主義に満ちた言い草で反吐が出らァ」
「何ということを……っ」
「そういえば十七年ほど前だったか、平戸で不思議な事件があったな。僧侶に命じられて切支丹の墓に立つ十字架を切り倒した三人の男が、後日互いに殺し合い、自害し、不慮の死を遂げたとか。それをあんたらのお仲間は『神罰だ』なんて言いふらして喜んだそうだが」

 伴天連僧たちは互いに戸惑い気味に顔を見合わせる。

「そ……それがどうしたというのです」

 美吉はニヤリと笑んだ。瞳に暗い陰りを宿す。

「別にどうもしないさ? 二言目にはやれ博愛を謳い人殺しを戒めるくせに、自らに対する冒涜は死をもって贖わせて正当化なんて、すげえ神サマだなーって思うだけで。因果応報ってのはてっきり仏の教えだと思ってたが」

 「口を慎め!」と野次が飛んだが、美吉は意に介さなかった。

「んでもって、人殺しを戒めるわりに、遠路遥々戦争しになんかも行っちゃうんだもんな。恐れ入るわ」
「聖戦は人殺しではない!」
「人が人を殺してんのに変わりはねぇだろ。それとも切支丹じゃなきゃ人間じゃねえって言うなら別にいいけど。そういえば大昔この国にもそういう奴いたよ。最後には滅んだけどな。知ってるか? こういうの、俺たちは『驕れるものは久しからず』って言うんだよ」

 一切の表情を排し、どこまで冷え切った声音で、容赦なく言の刃を突き刺す。

「なあ教えてくれよ。あんたらの教義で『右の頬を打たれたら』ってあるだろ。あれの続きはなんつうの?」

 一歩踏み出した美吉に、最前で論争を繰り広げていた男が、戦いた風に後退する。伴天連僧たちは言葉を失くしていた。美吉の勢いに呑まれ、青褪めてさえいる。
 明らかな怯えを含んだ幾対もの眼差しに、美吉はより一層昏い面持ちになる。胸の内にどす黒いものが次々と増え渦巻く。左眼が疼いた。
 ああ、胸糞悪い。苛々する―――

「はいそこまで」

 奥底に沈みこみかけた思考が、唐突に襟首を引っ張られたことで、止まった。
 いつの間にか雷蔵が傍らにおり、美吉の衣紋を掴んでいた。

「もう充分でしょう。周りをご覧なさい、あまり見苦しいところを見せると肝心の衆心が離れますよ。今日のところは互いの顔を立てて譲られては如何ですか。退き際も重要です」

 雷蔵がやんわり双方を諌めると、伴天連側も仏僧側も金縛りから放たれたようにハッとなり、人々の胡乱な眼差しから逃れるようにそそくさとその場を離れて行った。
 見物人も、好奇の目を二人の有髪僧に向けながらも、ひとまず散り散りに去っていく。

「行こう、美吉」
「あ、ああ」

 袖を引かれて、美吉は我に返った。
 促されるままに木陰へ移動する。

「……」

 石の上に腰を落ち着ける美吉は、服の上から胸を鷲掴みにした。どくどくと動悸がする。唾を呑んだ。

「頭は冷えたかい」

 立って垣根に凭れかかりながら、通りの方を眺めたまま、雷蔵が静かに問いかける。
 「ああ」とつぶやき、そろそろと深く息を吐いた。

「我ながら情けねえな。忠告されたばかりでこの様だ」
「いや、俺も迂闊だった。悪かったね」

 『神』という語に美吉が過剰に反応してしまうことは知っていた。それでも大丈夫だろうと見込んで放り込んだ自分の読み違いだ。

「謝るなよ。余計情けなくなるだろ」

 落ち込んで項垂れる頭へ、「うん、ごめん」と小さく返した。
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