だるまさんがころんだ



 美吉から必要な物資を手に入れたし町もあらかた見尽した。当初の期待通り、大陸や南蛮との貿易盛んなこの地方の薬問屋では珍重な薬種を思う存分蒐集できた。野暮用を済ませた今、長居は無用と、雷蔵は早々にこの地を発つことにした。美吉はまだ残って大陸の医書などを探すつもりらしい。
 何も面倒事は起こっていない今のうちに離れるが吉という思いとは裏腹に、雷蔵の六感は不穏な気配を感じ取った。案の定、翌日大村は大嵐に見舞われた。
 海辺なだけに大荒れに荒れ狂っている。あれだけ活気溢れていた港場も、怒る浦波に揉まれ人っ子一人いない。
 夜になって更なる大時化の予兆を感じ取った雷蔵は、出立を諦めて風雨が去るのを待つことにした。雨儺(あまやら)いはしなかった。元々自然の循環を人為的に操作するのは好まないし、嵐は規模が大きい分、追いやらうのに力を消耗する。「起こす」ことは存外容易なのだが、すでに発生したものを「消し」たり「止め」たりするのは倍に骨が折れる作業なのだ。
 それにしても出立を決めた途端に季節外れの大風とは、仕組まれている気がしてならない。雷蔵は珍しく納得がいかない面持ちだったが、美吉はさして気に留めた様子もなくこれ幸いとぐうたらを決め込んでいた。
 明くる日の陽高くになってようやく晴れ間の覗いたころ、雷蔵は無人寺を後にした。街道は街を真っすぐ突っ切った外れにある。街へ出るついでに朝餉をとるべく、美吉も途中まで同行した。
 事件はその時に起った。




「何が主の教えだ!」

 穏やかならぬ怒声に、雷蔵は振り向いた。遅れて美吉も「んや?」と変な声を出して振り返る。
 路上には、黒い衣の異色集団が互いに険しい顔を突き合わせていた。

「そのような曖昧な存在を吹聴して、秩序を乱さんとしておるに違いない」
「何を根拠にそのような」

 僧侶の不穏な一言に、黒服に外套をつけた伴天連僧らも負けじと言い返す。
 間に挟まれた人々がおろおろと惑っていた。おそらく異人たちが説教を行っていたところに、例のごとくたまりかねた僧侶衆が乱入したのだろう。
 昨今では珍しくない光景だった。
 周囲では野次馬が「やれまた始まったぞ」「今度はどっちが言い負かされるかな」などと不謹慎にも談笑しながら見物していた。

「さらばお尋ね申しますが、貴僧が広めにおいでになったこのデウスとは、具体的な形態を持ち、人がそれを見、また眼をもって認めることができるでござろうか」

 いきり立つ若手を抑え、物腰落ち着いた僧侶の一人が穏やかに先制をしかける。

「その疑問にお答えする前に、あなたはそれについて何とお考えか。また、有形的実体と精神的実体との間にはどのような区別がありましょうか」

 伴天連僧の一人がまるで一騎打ちに応じるような勢いで問い返した。

「拙僧には何らの区別もなきものと思われます。その差別は名目にのみ存することで、実際には一切のものは同一のものでござる」

 なれば、と仏僧が続けざまに質問を返した。

「日本、支那および暹羅(シャム)の諸国で崇拝され知られているもっとも聖い釈迦のことを何とお考えなさるか」
「私には、釈迦も私どもめいめいと同様に死ぬべき一個の人間で、天地の創造主によって創られた一つの被造物と思われます。ところで、この創造主がおられるのは、どこだとあなたはお信じになりますか」
「その存在は多くの名称を有しておられる。支那では盤古皇といい、日本ではイザナギ、イザナミと申して、この世におられた最初の男女であり、これらの教法が伝わってまいった暹羅では、また別の御作者があると申しておる」
「もしそうだとすれば、この三つのうちどれを、あなたは真の創造主とお考えになりますか」

 これに、仏僧は答えあぐねてむっつりと押し黙る。それも無理からぬことで、この日の本においてはたとえ仏教僧であっても時に神道に依拠するところがある。元々仏教は神や創造主などといった存在について説く教えではない。むしろそういった概念から解脱し、涅槃の境地に至ることによって救いを得ることを教義とする。釈迦はその実践者であって、神ではない。人々の崇敬がいつしか彼を神格化し、さらには他の信仰と結びついて、今のような神秘的な世界観になったのである。この点においては、仏教は本来宗教ではなく、儒教と同様、「道」を説くだけの思想なのだ。
 そのことを理解しているのであれば、双方ともこの質問の無意味さに気づくはずだった。
 だが一方の仏僧は沈黙し、そしてもう一方の伴天連僧はこの沈黙を己の勝利ととったか、せせら笑った。
 頭にきたらしい仲間の仏僧が一歩前に踏み出す。

「貴僧のご意見を承りたいが、人が生命をもつものを殺すのに、貴僧にはそれが大したことには非ずと思われるか」

「我らがここで語る全能の主デウスが、天地万物をお作りになった時、下級の被造物は上級の被造物の下におかれました。そして上級の被造物は高等なものであるから、彼らはその段階に応じて、下級の被造物によって自己を養い、生命を維持するように定められたのです。かくて、蚊は蜘蛛の食物となり、蜘蛛は小鳥の食物となり、小鳥は小鳥でまた猛禽に捕えられて人間の養いとなる。このことから獣類、禽類、魚類は、この世でデウスがお作りになった最も高尚な被造物である人間に、食物として役立つために創造されたことがおわかりでしょう」

 朗々と、自信満々に伴天連僧は答える。が、本人はそう言っているつもりなのだが、いかんせんまだそこまで倭語に熟達しているわけでもない。結果、僧侶たちには半分ほどしか通じていなかったようだ。どうやら質問の答えを得られなかったと自己判断した僧侶は、再度問い直した。

「しからば、もしキリシタンが人間を殺しても、大したこととは思しめされぬか」
「デウスは諸物が人間の意に従うようにそれらを創造されました。しかし同時に、デウスは人間がデウスの命じられた誡めを守ることを欲しました。その誡めの中の第五番目に、人を殺すべからず、と述べてあります」
「もし、人を殺すべからずと、デウスが命ずるならば、デウスは悪事を犯した者を殺すことを禁ぜらるるか」
「それどころかさらに大きな悪事を防止するために、デウスは国家と領国内で、悪事をするものを司法の規則と彼らの犯行の軽重とにしたがって罰するよう定められました。それがなければ、国家や国の秩序が保たれないからです」
「だがそれは矛盾ではないのか……・」
「否、我々は……・」

 喧々囂々、舌鋒を尽くし白熱する二つの勢力と、見物衆の輪を外れたところで、美吉と雷蔵は見事に我関せずを貫いていた。早々に興味を失って背を向けており、出店を物色しながら「あれはどうだこれはどうだ」と朝食選びで別の議論を交わしている。
 そんな墨染二人組を目ざとく発見した僧侶が声高に怒鳴る。

「おい、そこの二人!!」

 甚だ無視したかったが、一気に周囲の注目を浴びてはそうもいかない。笠を被った二つの頭がどうでもよさげに振り向けられた。
 僧侶は顔を真っ赤にしながら、

「貴様ら、我らがこれほどにも異教の魔の手から我らの同胞を救わんと苦心しているというのに、助太刀どころか見向きもせぬとはどういう了見だ!」

 美吉が顔を顰めて後退る。とんだ言いがかりもいいところだ。

「どうも何も、どうでもいいとしか言えんしな」

 露骨に嫌そうにあしらえば、更に叱責が飛んだ。

「大体にしてなんだその形は! 貴様らのような堕落僧がいるからこんな南蛮共に愚弄されるのだ。貴様らも曲がりなりにも仏僧ならば、責任をもって我らの衣を守らんか!」

 仏教世界の宗論では、論破した方が言い負かした方の衣を剥ぐという仕打ちがあった。衣をとられるのは恥辱の証なのである。
 だからってなんで関係もない自分たちにまで責任を押し付けられなければならないのだ、と美吉は憤懣やるかたない。

「美吉、行ってきてよ」
「はあ? なんで俺が」
「だって面倒臭そうだし」
「人に押しつけんなよ。俺だってんな面倒臭ェのは願い下げだ。つうかお前の方が口八丁はお手の物―――
「ってことでよろしく」

 断固拒絶を一切無視し、雷蔵は笑顔で美吉の背中をポンと叩いた。傍目から見れば軽く触れただけだ。だがそこに含まれた威力は半端なかった。
 有無を封じられる勢いで、美吉は前方に吹っ飛んだ。そのまま野次馬の群中に突っ込み、もみくちゃのうちに気づけば輪の内でたたらを踏んでいた。
 ジロリと双方に睨まれ、美吉はへらっととりあえず愛想笑いをかけてみる。汗が流れた。一瞬だけ背後に恨みがましい一瞥を送るが、投げ入れた張本人はどこふく風で手を振っている。
 おのれ、あとで覚えてろよ、と心の中だけで悪態をつきつつ、殺気立った注視に美吉は慌てて体勢と乱れた衣を整えた。
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