嘘ついたら針千本 飲ます
指切った



 目覚めた時の違和感は忘れていない。


 潮を含んだ風が冷たく身を打った。美吉は多くの船の停まる港海と、その向こうに青く盛り上がる島影を望みながら、己の左眼に触れる。
 その拍子にふと肩に背負ったものが擦り落ち、引っ掛け直した。

「ミヨシさん」

 後方を振り向くと、ユストが軽く帽子をあげて挨拶をしてきた。

「お加減はいいんですか」
「まあ別に大病とか大怪我ってわけじゃねーし」

 掌から肘まで巻かれた包帯を見降ろし、美吉は嘆息する。どれも軽い火傷程度だ。雷蔵の処置のおかげで、消耗した精気も地気によって大分取り戻すことができた。

「……」

 無言をどうとらえたか、ユストが沈鬱な面持ちで瞳を落とした。

「ライゾウさんの行方は相変わらずですか」

 美吉は傍らの地蔵像の頭部を撫で、「ああ」と抑揚なく応じる。

「『伝言』さえないなんてな」

 ざらざらとした無機質な石の感触を感じながら、独りごちる。


 目が覚めた時には、美吉は見慣れぬ小屋の床の上にいた。起きた直後こそ記憶が揺れ、意識が定まらず、徐々に浮かび上がる情景に錯乱しかけたが、すでに自己の意識と身体の主導権が戻っていることを実感すると、ようやく冷静な思考力が戻ってきた。
 ひとまず『戻れた』ことにほっとしながらも、深い自己嫌悪に襲われた。消し炭となった人間。『あいつ』がまたやってしまったのか、と。
 呪眼のためか、美吉は天目一箇であった時の記憶を共有している。だからこそかの神を憎み、それを宿す自分に嫌悪していた。

 正気の時だって、流れ透波として、かつては依頼を受けて人を手に掛けたことは幾度もある。それは生きるためだったけれど、決して好んでやってたわけではなかった。これ以上他人の人生を背負うのは懲り懲りだと思ったから、裏の依頼を引き受けることをやめたのだ。なのにあの神はそんなこと構いもせず、いとも容易く命を奪う。まるで『美吉(じぶん)』に見せつけるように。お前は所詮無能な『器』でしかないのだと知らしめるように。
 何故止められなかったのだろう。この身体は自分のものなのに。やりきれなさに歯を噛み締め、己の腕を掴んできつく爪を立てる。
 この眼を抉ろうとしたこともあった。だが、一度神に捧げた瞳はどれだけ傷つけても必ず再生する。自害したくとも、神を解き放つこととなるので選べなかった。あまつさえ、こいつならば神ごと殺してくれると、半ば自棄になって身を投げ出した相手には、逆に命を拾われるというおちだった。

 生まれつき特別な力があったわけじゃない。ただ産まれ日の守護神が楽々福神であった、それだけの理由で器に選ばれた。それでも美吉は、なぜ選ばれたのが自分だったのだろうと口にしたことはなかった。この苦しみを背負うのが誰かではなく自分で良かったのだと、そう思うことにしている。
 村で最も信仰をあつめていた楽々福は「砂鉄吹く」、天目一箇や金屋子よりさらに古い鍛冶の神である。かつてはその楽々福神を祀り、その霊験をもって天目一箇神の荒魂を封じていた。はるか昔かの神がこの地に災いをまき散らしたのを、当時村で霊力の高かった神官が、村で最も腕の優れていた鍛冶師の鍛えた刀に、命と引き換えに封じ込めたという話だ。
 とはいえ誰も荒魂を実際に見たことも、触れたこともない。だから封じられていると言っても実際にそれがどういうものかなど一人として知らなかった。それでも村人の中に言い伝えを疑う者はいなかったのは、たたらの民としての血に、畏怖が染み込んでいたからだ。

 天目一箇神や金屋子神は、砂鉄の取れる踏鞴と鍛冶の地には必ず宿る神霊である。つまり同じ神が各地無数に散らばっていることになるが、本来そこに明確な意識はなく、その地に住む民の思念によって性格が形作られる。こうして同一にして異なる神霊となる。
 そしてこの村に宿った天目一箇神に与えられたのは、金屋子神を妻とし、死の金気を司る荒ぶる神という「定義」だった。
 これゆえに村の祖先たちは、天目一箇神を慎重に扱ってきた。そしてついに暴走した荒魂を封印することに成功したのである。
 この封印の要を守るのが楽々福神だった。村の覡が美吉に行ったのは、蹈鞴と鍛冶の風習に従って片目を贄とすることで神霊の器とし、楽々福神の加護によって封印を施すという、一種の強行手段だった。本来成功するかも分らぬ賭けだったはずだ。しかし、折角成功したその封印を何故ああもあっさり開放してみせたのか。神官とともに惨殺された巫女は、覡の想い人だった。その憎しみが、彼を封印の解呪と言う凶行に走らせたのかもしれない。
 覡の執念で、美吉の中に封じられた神を兵器として解放したことによって、村の自滅をも呼んだ。密告者は出世と金に眼の眩んだ村人の一人であったが、結局真実ごと炎の彼方に葬られた。

 今でこそ少しは制御がきくようになったが、強力な神はいつだって内から美吉を脅かしてくる。夢では己が手に掛けた人々の怨嗟の声が心を苛む。先代継承者であり忍びの師であった紫香が美吉を拾い、人としての情や生きる術や精神と力の制御の仕方を叩き込んでくれなければ、とっくに狂っていただろう。
 天目一箇が完全に表に現れたのは、これでに四度目だ。一度目は村で、二度目は師が殺された時、三度目は北で、そして四度目の今回。うち後者二回は雷蔵のおかげですぐに鎮まった。誰かが封じなければ、天目一箇神は丸一日経って自然に眠りにつくまで、破壊の限りを尽くす。



 そこで美吉は違和感に気付いて、手から顔を上げた。あるはずの気配がなかった。近くにいれば必ず感じるはずの天の〈秘伝〉の気が。
 そうして、部屋に様子を見にきたユストから、自分の気を失ったあとのことを聞いたのだった。
 別れるまで雷蔵はたしかに山にいたが、頼まれた荷を手にユストが戻ってきた時には、忽然とその姿が消えていたという。ユストは心配げに、残された荷を美吉へ手渡した。
 何かが妙だった。これまで雷蔵がこうして突然前触れもなくいなくなるということはなかったし、何かで別れ別れになっても必ず『連絡』は残していた。
 美吉は自分が背負っている楽器を見つめる。
 何より、あの雷蔵が龍絃琵琶を置いていくなどあり得ない。
 目覚めた直後、休養を唱えるユストを説き伏せて現場まで案内させた美吉は、呪眼でそこに起こった過去を視、刻まれた伝言を知った。

『気になるようなら俺たちの根城まで来るといい』

 あの男は知っている。藤浮虎一太―――影梟衆の棟梁。確か京里忍城所属であった雷蔵とは旧知の仲だったはずだ。
 理由なく人を襲う男ではない。害意もなかった。何か事情があるに違いない。
 彼らが去った後の森林に、入れ違いになるように覆面をした別の透波者たちが数人がそこに現われ、何かを探るようにして消えていったのが視えた。彼らはそこにいる美吉の存在に始終気づかぬままだった。雷蔵が最後に掛けた願い呪のおかげだろう。〈秘伝〉に宿る神霊は聡いから、ユストが戻って来た時には結界を解いていた。

「行くのですか」

 片腕を吊ったユストの問いに、美吉は地蔵から手を離した。

「メンドイいけど、しょうがねーだろ。コイツのこともあるし。第一 ―――

 と肩を竦めて龍絃琵琶と薬一式の入った荷を示し、微笑いながら、

「あいつには借りてばっかだからさ。何か厄介なことに巻き込まれてんなら、今度は俺が返さないと」

 『二人しかいないから』

 耳に残る言葉。同感してしまう自分に苦笑する。同族(なかま)を何よりも渇望していたのは、多分自分の方だ。雷蔵はどちらかというとそういうことに淡泊だから、あえて自分に合わせてくれているのかもしれない。
 先住民族である〈龍の民〉と出雲族の生き残り。薬師と医師。審神者と依代。〈秘伝〉の天の継承者と地の継承者―――
 互いに対極でありながら、相通じるものがある。あまりの符号の一致に、いっそ出来すぎているとさえ思う。

「……今度こそちゃんと返さないと、あとでどつかれる」

 ああ面倒臭ぇな、ともう一度言って、美吉は視線を巡らし頭を掻く。

「当てはあるのですか」

 大体のことを美吉から聞いたユストは、少々不安げに問う。

「んー、ない」

 美吉はあっさり答えた。しようがない。虎一太は故意か偶意か肝心の本拠地の場所を言わなかったのだ。
 あまりの無策ぶりにさすがのユストもやや頬を引きつらせる。
 「でも」美吉は一つ瞬きをしてユストに目線を戻した。懐を抑えるようにして、目を伏せる。

「まあなんとかなるだろ。天地は引き合うからな」

 謎めいた台詞は、ユストには理解できぬものだった。きょとんと首をかしげている。
 美吉は薄く瞼を上げる。
 〈秘伝〉同士は引かれ合う。この広い日本で、互いに無作為に旅をし、幾度別れても高い頻度で再会するのは、無意識のうちに〈秘伝〉が呼び合っているためだ。そう、まるで磁石の対極のように。
 だから意識して辿れば、きっと呼び寄せられる。

「で、そういうお前こそどーすんの、これから」

 ユストはぱちくりと瞬きを繰り返した。尋ねられるとは思っていなかったようだ。

「私は―――このままこの国に留まろうと思います。もう協会には戻れませんし、国に戻る気もありません」

 今回のことでユストは様々なものを失った。片腕も、拠り所も、『悟り』の力も。でもそれで良いと思っている。
 ユストの起こしたことへの追及は、宣教師団もヤクザ者たちも互いに指導者を失った衝撃と、だいうす寺の原因不明の炎上騒動の中で、幸か不幸かうやむやになってしまった。ユストに従っていた農民の信者たちは元々何も知らぬし、南蛮人仲間は己が加担したことが露見するのを恐れて口を閉ざした。協会は今回の一件で藩といざこざに発展することを恐れ、ユストを追放することで体面を保つ処断を下した。
 ただアーロンだけは違った。牢にから救出され、慕っていたユストに裏切られ傷心していた彼は、ユストが協会を離れる時に現れ、そして己の心のうち―――協会の行いへの迷いと、人として抗えぬ感情のあることを打ち明け、涙ながらにユストを見送った。
 そんな後輩へユストは礼と謝罪の言葉をかけることしかできなかった。自分に、純粋な彼へ道を示す資格はとうになかったから。
 キリストへの信仰心はとうに失われ、戻りそうもない。そうした状態で協会に居続ける意味はなく、そして国に帰っても異教徒の居場所はない。
 ただそれでも己が手に掛けてしまったロレンソへの後悔の念と、騙してしまった人々への謝罪の気持ち、他の命を奪った己への罪の意識はなくならない。きっと永遠に。

「あのさ」

 不意に美吉がだるそうな、あるいは物憂げな調子で口を開いた。眠たそうな目つきが瞬く。

「俺が言うのもなんだけど、あんま深く考えすぎるなよ。いくら悩んだって、現実は変わらない」
「……ミヨシさんなら、深くは悩んだりしませんか」
「まー性分ばかりは変えられんな」

 直接的な答えは避け、美吉は何ともいえぬ笑みを浮かべた。

「ただ昔よりかは少し変ったかもな。どうしようもないことをぐだぐだ悩んで、引きずられんのがなんだか馬鹿馬鹿しく思えてきちゃってさ」

 ふと懐かしさが込み上げる。
 あれは確か、初めて邂逅して、一方的に喧嘩を吹っ掛けて、ぼろぼろに返り討ちにあった時だ。

『そこに意味はあるのかい』

 自分が何者なのか悩み、自棄になっていた美吉に、雷蔵はそう訊き返した。

『君が求めるなら答えるよ。でも君は結局どちらであってほしいの? 人か神か化け物か、そんなものは所詮ひとが勝手に作った概念(ことば)に過ぎない。そんな価値観にどれほどの意味があるんだろう。鬼や畜生だって誰かを慈しむし、人間であっても残虐非道な輩はたくさんいるよ』

 他人が苦しむのを悦ぶ者も、自分の利益のためなら何でもやる者もいる。同族で憎み合い、奪い合い、殺し合う。そんなのが掃いて捨てるほどいるのは、この乱世が証明している。美吉自身もまた嫌というほどそういう人間を見て来た。

『そんなのと同じでも、それでも「人間」がいいというなら、俺はそう答えよう。でもたとえ俺がそう言っても君自身が信じてない以上は意味ないし、人間でないと言ったところで、どうせ自嘲しながらも傷つくだけなんじゃないのかい』

 ずばずばと鋭い突っ込みに、さしもの美吉もぐうの音も出なかった。ただでさえ力で叩きのめされて満身創痍だというのに、容赦ない言葉の追い打ちで、余計落ち込んでいくようだった。そんなどん底状態の美吉に、雷蔵は不意に微笑ってみせた。

『人外の力をもって人に仇なすのが異形だというなら、俺だってそうだ』

 この一言に、どきりとした。そういうつもりではなかったが、雷蔵に気にした風はなかった。

『俺にしたら人か否かだなんてどっちだっていいしどうでもいい。少なくとも今君が流している血と俺が流している血は同じ色をしている。同じように頭で考え、心で感じ、言葉を話す。だから俺と君の間に違いはない』

 ここまで爽やかに言い切られてしまうと、強引ながら無意味に説得力があるから不思議だった。美吉がそれ以上悩むのが馬鹿馬鹿しくなったという理由だ。それとも「どちらでも構わない」と言われて気が楽になったのかもしれない。「同じだ」と言ってもらえて、救われたのかもしれなかった。

(ちと寄りかかりすぎてるかも)

 多少の自覚はあったが、こんなことを迂闊に漏らしてこの目の前の異人に知れたらまた「シュドー反対」などと誤解の上説教されかねない。本人には断じてそのつもりはないわけだから甚だ不愉快だ。
 少々気恥ずかしさと気まずさのある記憶の海から立ち返った美吉は、沈黙を誤魔化すべく、「あー、だからさ」と前髪を掻いた。

「要するに後ろを見続けるのはやめたわけよ。どんなに悩んでも時間は巻き戻らないし、起きちまったことは取り返せないって気付いたから」

 前を向いて、受け入れるしかない。悩まないとはいわない。今だって自己嫌悪が胃を圧迫する。でもだからといって現実が変わるわけでもなく、失われたものが戻るわけでもなく、自分はそれらを抱えて生きなければならない。
 ある時は神と畏れられ、ある時は鬼と恐れられながらでも。
 自分が自分を認めなければ、先へは進めないのだから。
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