ふいにユストは物思うように視線を滑らせた。

「その昔、アッシジのフランチェスコという人がいました」

 突然始まった物語りに美吉は不思議そうにしながらも、何も言わずに耳を傾けた。
 ユストの瞳は海に向けられ、一層深い青に染まっていた。

「元々裕福な家庭の生まれで、放蕩息子だった彼は、ある時思い立って騎士となり戦に身を投じて、捕虜となり、病気にかかったそうです。そんな時、崩れかけた小さな教会を見つけた。彼は教会を修復せよという神の啓示を受け、生活や財産を捨て、再建にすべてを注ぎました。太陽・月・風・水・火・空気・大地を愛し、称賛し、死までも親しみをもって迎え入れました。小鳥へさえ真剣に説教したといいます。何より彼は、異教に対しても理解を示し、宿敵ともいえる回教(イスラム)の徒たちと悠然と親交し、そして協和を訴えました。港に私たちとは違う、灰色の服を身につけた裸足の宣教師たちがいたでしょう。彼らフランシスコ会の創始者です」

 言葉を切って、くすりと笑う。

「結局どれだけ憎み、縁を切っても、私の中に教会は根深く、呪いの鎖のごとく存在しているようです」
「あんたは、その聖者みたく生きたいのか」

 美吉の問いかけに、ユストは軽く驚いた。自分でもなぜこの話を思い出したかが分からなかったというのに。

「そう……そうなのかもしれませんね」

 ただ、最早フランチェスコのようにキリストの教えには則らず、宣教もする気はないが。
 修道服を捨てた今のユストは、ほかの南蛮人と同じような装束に身を包む。
 ここからが新しい旅立ちだった。

「私には母国でそれをなすだけの度胸も器もありませんが、この国ならできそうな気がします。己の信ずるものを隠さず口にできるこの国ならば」
「……何でもありってわけでもないけどな」

 独り言にも近いつぶやきに、ユストはハッとしながらも、あえて口を噤んだ。不可抗力とは言え、美吉の過去を視てしまったことは言わぬほうがよい気がした。けれどそれがあったから、ユストは考えを改めることができたともいえた。これまでずっと、自分ばかりが不幸なのだと無意識に思っていた。村が襲われたことも、自分の立場も、すべてが神の悪戯としか思えなかったから。だから行き場のない怒りに翻弄されてしまった。
 けれどどこの世界にも、理不尽な悲劇はあり、悲しみ苦しみながらそれでも生きている人がいる。皆が皆それぞれに違い、それぞれの苦しみを抱えている。何故自分ばかり、と世を恨むのは、何か的外れなような気がした。

「ミヨシさん、もし無事ライゾウさんに会えましたら、『申し訳ありませんでした』と『ありがとうございました』と伝えていただけませんか」

 ユストは美吉を見た。本当は直接自分の口で言いたいが、美吉から、これから向かう先は素人が来る所ではなく足手まといになると言われたのだった。今のユストは『悟り』だけでなく結界をつくる力も失った徒人だ。恐らくこれまでも、すべてあの精霊が憑いて力を貸していただけに過ぎなかったのだろう。
 美吉は例のごとく「めんどくせえが、まあ了解しといてやる」と息をついた。

「そういえば俺、あんたの名前ちゃんと聞いていなかった」

 今更のような台詞に、異人の青年は笑み、誇らしげに名乗った。

「ユスト・デ・フェレイラです」

 洗礼名のジョゼと、二つ目の姓のルイは棄てた。これが元々の自分だ。
 へえ、と美吉の瞳がはじめて面白そうに輝く。

「『正義の人』か。いい名前だな」

 美吉の左眼は真を射抜く。
 そのことを改めて悟って、ユストははにかんだように相好を崩した。『ユスト』は父がくれた名だった。正義を愛する父だった。

「俺の家も鍛冶師だったよ」

 美吉が懐かしげに言う。そこに暗い過去の影はなかった。

「運命でしょうか。私はこの地に導かれたのかもしれません」
「そんなもんかね。まぁ俺は運命論よりも一期一会派なんだけど」

 偶然と思うからこそ、大切にできるものがある。「らしくなく説法めいたこと言っちまった」と美吉は唇をへの字にしていた。

「あなた方二人に出会えて本当に良かった」

 万感の思いを込め、右手を差し出す。
 奇妙な顔をした美吉は、はたと警戒して身を退いた。その反応を見てユストはああと思い至る。

「ご安心ください、もうあのような真似はしませんから」
「あ、そう?」

 存外あっさり納得して、とりあえずだらりと右手を出す。
 固く握手を交わしながら、ユストは静かに言った。

「ご武運を。どうかお二人に神の御加護がありますように」

 美吉は微妙な表情を浮かべながらも、「あんがと」と力なく微笑んだ。
 異国の風と交わりあう国で、村と家を失った二人の鍛冶屋の子はそれぞれの道を目指す。




 歌を歌っていた女は、ほろりと落ちた毛を耳へかけた。
 空に浮かぶ雲を追う。昨日は激しい落雷があったが、今日はからりと気持ちよく晴れていた。
 ふと視界の下の方に過った黒い影に、はっとして目を道に向ける。が、生憎それは身体の大きな南蛮僧で、知らぬ姿に思わず溜息が漏れ出た。
 そういえばあの小さな伴天連も見かけない。毎日ここを通っていたというのに。

「ああ、あんたかな。なあ姐さん」

 残念そうに目線を外した時、不意に後ろから大きな声がした。
 驚いて見返ると、なんだかやる気のなさそうな法師が笠の下から手を振っていた。
 最近の自分はつくづく僧侶に縁があるらしい。
 しかし同じ法師でも、やはり待ち人ではなかったそれに、思わず顔に出てしまったのだろうか、

「お望みの相手じゃなくて悪いな」

 とその若い法師は苦笑した。

「あいつ訳あって先に旅立ってさ。だから伝言―――ってわけじゃないけど、まあ代理」

 思わぬ言葉に、「え?」と慌てて身を乗り出す。

「多分あいつ、あんたんとこに耳環を片方置いて行っただろ?」

 なんでそれを、と瞼が震えた。胸に拳を当てる。袷の下に、紐を通して胸に下げていた。

「それ作ったの俺だからさ。あいつが『失くしたからもう一個作れ』だなんていうから疑問だったんだ。それな、売れば多分、身請けに十分な額になると思う。今は薬が効いているからいいけど、あんたのその身体じゃもうその商売は続けられないよ。折角拾った命捨てたくないなら、さっさとやめることだな。『その道』の奴は呼んでおいたからそいつに売れ。じゃ」
「え? ちょ、ちょっと」

 一方的に好き放題言うなり、お役御免とばかりに立ち去ろうとする背を、慌てて呼び止める。
 だらりとした姿勢が、軽く振りむき、笑う。

「あとはあんた次第」

 そう言って、法師はのんびりした足取りで離れていく。その後ろ姿を、ただただ唖然として見つめた。
 背を向け歩み去る法師が、笠の下で鼻歌交じりに「ああいうのが趣味なのか。意外や意外」と呟いたのは、女の耳には届かなかった。
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【参考文献】
ルイス・フロイス『日本史~キリシタン伝来のころ~ 1~4』(東洋文庫)
『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)

○キリシタン関連用語

物の名前・服装などはほとんど本で使われているものを採用してます。ルビ振ってあるようなところもほぼ同じ。
ただし私があまりキリシタンやキリスト教に詳しくないので、間違った記述の仕方をしている可能性があります。パーデレ以外の人(イルマンとか)の役割もよく知りません。中学時代に桐生操の本でトラウマになったので魔女狩りもさわり程度しか調べてません。本当は魔女狩り=異教徒弾圧というのは少数例みたいですけどね。性交の豊穣祭祀は日本の民俗でそういうのがありますが、ここではサバトでの乱交パーティーイメージをくっつけてみました。
あと一部ラテン語なども採用してます。「接吻」(オスクルム)とか使う時は気恥ずかしかったですが、ちゃんとヨーロッパ文化のキスが日本においてどう訳された(主には「吸う」)かだなんて論文もあったりして面白かったです。結局これがホッペちゅーだったのか口ちゅーだったのかは不明。日本で宣教師たちがやっていたかも不明。
一番困ったのは名前です。洗礼名とか、カトリックでは霊名らしいですけど、ラテン語での意味とか調べたかったのに、その手の本は全然ないので半分適当です。「ユスト」は日本でそういう洗礼名を受けた人がいましたが、欧米では洗礼名としては一般的でないようです。

○キリシタン関連エピソード

これもほぼ参考文献2冊の中から。
挨拶のハグをするところとか、男色批判、雅楽へのコメントは『ヨーロッパ~』にあったもの。
坊主との宗論は『日本史2』第二十六章(P.20)と第二十九章(P.63)に記されている問答を主に引用しつつ改変してます。
不思議な十字架事件は1558年(永禄元年)に起きたもので、『日本史1』第十八章(P.214)。
その他宣教師たちの仏教に対する認識もその中から拾い上げてます。しかし読んでいると、あまりにもキリスト至上主義なので仏教徒でなくてもこう、鼻持ちならぬ気分になりますね。折角なのでもうちょっと読み込んでも良かったなと思います。こんな機会がない限り絶対読まないのでちょっともったいなかったです。

○鍛治神

ほぼ定説通りで書いてるはず。ただし天目一箇が金屋子と夫婦関係になってるのは完全な創作です。定説は、同一神か別々に独立した金神かです。
天目一箇と金屋子は親が異なるとも言われますし、天目一箇は一本だたらとか一つ目一つ足の姿で、金物作りの男神、金屋子は同じ鍛冶神でも火の神ともされ、一般的には女神(男神の説もあり)です。この女神の金屋子が嫉妬深いから女はたたら場に入れない(神様が怒る)と言われます。このあたりは山神と同じです。これは私見ですが、製鉄業内における神さまの担当分野が違うのかなと思いました。
楽々福神は「砂鉄吹く」からきていて、上の二神よりも更に古い神と一説にいわれます。
丙午の年、丙申の月、庚申の日というのは大法螺です。とりあえず因業深そうな干支の組み合わせであるひのえんま(火の気が一番強い時)と庚申さま(金の気が一番強い時)を合わせて、その間を取った(丙申)だけです。1546年(天文15年)生まれ設定なので干支の組み合わせも計算できるはずなんですが、生憎1599年以前の旧暦での月干支を出してくれるサイトが現時点ではまだないので分かりません。普通に計算すると8月1日になるようです。

○神論

単なる自論です。信じないで!

○呪文

いつもながら適当なんですが、水封じは『老子』の一節の捩った創作、『ヒフミの神歌』『布瑠の言』は本当、玉響では『送神の儀』の祝詞を盛り込みつつ前後は創作。その他は純度100%の創作です。唱えても何も起こりません。残念!