軽く世間話をした後、人の気配を察して佐介は去って行った。ほどほどにしておけよ、という忠告を置き土産に。
 今回の来訪者は女中だ。勝手に身の上話を始める女に、いつもどおり無言で龍弦琵琶を奏で続ければ、相手は満足して帰っていった。
 誰もいなくなった縁側で、雷蔵は手を休めながら、不意に佐介が以前残した言葉を思い起こす。

 ()け、(たす)く者。

 それは佐介が己の名に誓った、己の生き方だった。
 佐門家は元々里でも古い一族で、忠の誉れ高い家柄だった。代々子には助けを意味する字を当てる。中でも佐介の父の助三郎は変わったこだわりを持つ人で、八人きょうだいのうち長男から順に、佐上(さがみ)、佐介、佐之丈(さのじょう)佐勘(さかん)、太助と名づけ、女には佐中(さなか)佐女(さめ)佐更(ささら)と名づけた。どれも宮中の位を表す長官、次官、判官、主典と、後宮の順位を表す中宮、女御、更衣に因んでいる。子供に階級付けするなんて、と母親は渋い顔をしたそうだが、扱いは平等であったから、当の子供たちに気にしたふうはなかった。

 だからというわけではないが、佐門家は里長を守る近衛府や衛門府につく者が多く、佐介もその例に漏れず衛門府に所属しながら、やはり家訓に従い誰かに献身することを生涯の誓いに定めていた。
 その当時佐介は左衛門佐(さえもんのすけ)という地位にあった。位は従五位上。しかし同時に地方監察役の按察使(あぜち)も兼任していたから、実質は従四位下だ。
 一方雷蔵は典薬寮頭だった。位は長官(かみ)でも従五位下。位階だけ取るならば、佐介よりも下位になる。

 だが実際の都と、京を模した隠れ里の違うところは、殿上―――すなわち内里(だいり)にある長の屋敷に上がることを許され、詮議に参加する権利を持つのは上忍だというところだった。実力で分けた上・中・下の括りで言うなら、佐介は上と中の間の准上忍(これは京里忍城独自のもので、中忍と上忍では力量においてあまりの落差がありすぎたために設けられた)、対する雷蔵は上忍。里の決まりでは、等級は位階の上にくる。何故ならばその位階とは所詮正式な識別ではなく、京に模した綽名のようなものでしかなかったからだ。つまり朝廷に因んだ便宜上の官位では佐介が上でも、里の正式な制度としては雷蔵の方が上ということである。

 名目とはいえ、佐介が次官(すけ)の位だったのは偶然だ。しかし佐介自身が決めた己の『佐する相手』は、直属の上司である衛門督(えもんのかみ)ではなく、もっと身近な長官格だった。
 雷蔵は今でもよく覚えている。佐介たち佐門家の者は、十五になると元服の儀があり、そこで一句詠まねばならない。それは同時に辞世の句となり、忍びの覚悟を問う一生物であったから、下手なものは詠めない。
 ところが佐介はそういった手合いが滅法苦手で、前日まで句作に相当に悩んでいた。慣れぬ詩集や手習い書と向き合いながらうんうん唸っている姿に周りは揶揄を飛ばしていたものである。
 そうして、元服の日を迎えた。

  我が真名は (たす)()くるものなれば 我が生き様もかくあらんとぞ定む

 それが佐介が詠んだ句だった。字足らず字余りの、句とも呼べない(うた)だが、佐介らしい率直さが出ていた。
 しかし元来、佐門の句は一門外には極秘である。辞世の句になるものを安易に言いふらすことなどしないから当然だ。何よりそれは、忍びの覚悟を詠んだ神聖なものであるから、他者の耳に触れることを極度に厭った。
 それを何故雷蔵が知っているかというと、本人から聞いたからに他ならない。
 佐門の人間がそれを教えるのは、己が身命を賭して仕えると思い定めた相手にだけ。それを知ったのは、佐介の長兄であり同格上忍の佐上と話していた時だった。世間話のつもりだったが、佐上からその話をさり気なく聞かされた時の、雷蔵の心中は複雑だった。佐介は、当人が主張するところでは一応親友であったし、何より彼が自分に生涯を委ねることの因果関係が全く理解できなかった。だが当時雷蔵はすでに次期里長の最有力候補(希望したわけではなかったが)と目されていたので、その延長と思うことで何となく結論付けたのである。

 ところがその後程なく里は外部の奇襲によって瓦解。里の忍たちもほとんどが死に、或いは方々へ散った。
 その中で佐介がどのような経緯を辿ってきたのかは知らない。だが、どうやら新たに―――あるいは真に仕うるべき人物に出会えたらしいのは、雷蔵にとっても素直に喜ばしいことだった。
 それでも未だに佐介は、かつて立場や実力の面だけでなく、根本的な部分で雷蔵にどうしても頭が上がらないところがある。積年の習慣もあるのかもしれないが、三つ子の魂というよりは、佐介の中の雄としての本能が、より強い同族に対しかくあれと命じているのだ。
 「たすけすくる」―――それは佐介の座右の銘とも言えるものだが、同時に雷蔵には、佐介が己の名を以ってこの後の生き方に呪をかけたようにも思えた。

 佐介といい、春季といい、人に尽くそうと思う者の原動力は、およそ忠誠心とは程遠いところにいる雷蔵には分からない。それが当人たちの生き甲斐だというのならそれでも構わないが。
 佐介は忍びとして、春季は武士として、それぞれに己の道を定めている。では、自分はどうだろう。
 忍びは所詮忍び以外の者にはなれない。陰に生きるほか、道がない。佐介はそうも言った。
 ならば自分は何故こうしているのだろうか。忍びではなく、といって徒人にもなれず、仮身の僧形でただ流浪(なが)れるだけの日々。目的も終わりもない旅途。

 否、あったはずだ。確かに何かあったはずなのだ。そう、探している―――誰かを。

 ふと我に返り、雷蔵は目を瞬いた。近頃無意識のうちに同じことを考えている。
 弦を弾いた。けれど音は鳴らない。いや、物理的な音は立つが、そこには『響き』が伴なっていない。奏者の指によって解放される、魂を振わせる『声』が。久々に思い切り歌い、人の思いをたっぷり吸って、腹が膨れたのだろう。今は眠っている状態に等しい。

「お前は、あわよくば俺の心も解こうという気なのかな」

 囁きかけながら、沈黙を守るその白い木面を撫でた。
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