縁側に並んでいた影がふと動く。二人のうち片方が立ち、何言か言い残してこちらに向かってくる。
 佐藤こと佐介はそれを少し離れたところで見ていた。すれ違った男は一瞬佐介を見てへこへこと頭を下げ、慌てて去っていく。
 縁側に残った方はといえば、ポロンポロンと楽器を戯れに弾きながら、どこか手持ち無沙汰げだ。
 佐介は去っていった男の方を眺めやりながらそちらへと近づいた。

「今の奴、下働きの一人じゃねーか?」
「さぁね」

 笑みを含みながらも、その声音はさして関心が無さそうだ。
 辺りに人はいない。初めのうちつけられていたはずの監視役は、いつの間にか失せていた。上手く丸め込まれたのかもしれない。

「最近琵琶弾きの『西の方』に悩み事を相談する者が絶えないって噂だが」

 随分大盛況みたいだな、と目だけで軽く睨むように見下ろす。
 ちなみに相談しに行く者は皆琵琶の音に引かれているようで、音曲を耳にしているだけで何故か胸の内を吐露してしまい、奏者は始終無言にも関わらず残らず一方的に話し切って、すっきりして帰るのだという。

「そういう君も悩み相談?」
「馬鹿言うんじゃねぇよ」

 そこらの人間と一緒にするなとばかりに佐介は歯を剥く。

「〈編み解き〉は心の内を聞き出すのにはいいんだけど、耳にした人がことごとく影響を受けてしまうのが困りものだね」

 雷蔵は珍しく疲れたように嘆息した。その顔も、いつになく青白い。
 操るのとは違う、頑なな矜持を自ずから溶解させる旋律。本来心に思い悩むことがある者だけが反応するのだが、屋敷の人間の半数以上がすでに足を運んでいた。そうなると雷蔵も手を留めるわけにもいかず、こうして連日弾き続けなければならない。
 殊に龍弦琵琶は奏するだけで少しずつ精気を奪われる。手慰みに軽く爪弾くだけならそうでもないが、編み解きなどは、人の心を聞き、そこに積もる負担を変わりに引き受けるのだから余計に疲れる。駄洒落ではないが、まさに「思い」は「重い」のだ。

「まあ、おかげでこうして堂々と会いにきても疑われずにすむわけだけどな」

 佐介が肩を竦めつつ、「で、例の件は?」と促す。雷蔵は春季の言っていた話を語って聞かせた。
 「なるほど、刺し違えてでも、と」佐介は皮肉げに口角を上げる。

「あの分だと見込みは微妙だね」
「だろうな」

 春季の様子はどこか自暴自棄にも似た、無謀な賭けをしているようだった。緻密な計算づくで事を為そうとしている風には思えない。そういう者はどこかで失敗する。もちろん時勢というものがあるから、何かの機運を得る可能性も否定できないが。
 どうしたもんかなぁ、とぼやいていた佐介は不意に周囲を気にするように、声を落とした。

「そういえば面白い噂を小耳に挟んだぜ」
「何?」
「源実治の親父の幸綱だがな。実治がまだ一歳の頃遠駆け中に落馬して、その時の怪我が原因で不能になったんだと」

 雷蔵は顔を上げて佐介を見た。

「周囲には隠していたようだが、妻が知らぬはずがない」

 ということは、美生の方は分かっていて春季母子を引き取ったということか。

「一歳じゃ、仙台春季の年齢と合わない。一体奴は誰の子なんだろうな」

 戯れに佐介の指が伸び、弾かれた弦が嫋と鳴った。
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