得物を光らせにじり寄る刺客たちに、春季は跪いた姿勢で、左腕で背後を庇いつつ脇差の柄に手を伸ばす。障害物の多い室内で間合いの長い刀を振り回すのは得策ではない。
 雷蔵は春季の背中越しに敵の姿を見ていた。その眸がすうと冷たく透き通るのを、後ろを向いている春季は気づかなかった。

「やぁ、出歯亀とは野暮じゃないか。それもこんなに大勢で」

 なにごとも返さぬ刺客たちに、春季はやれやれと鼻白んでみせる。おどけた所作だが、しかし目は隙なく左右を窺っている。柄を握る手に汗が滲むのを、軽口で誤魔化しているところがあった。

「さて、誰に派遣されてきたのかな」
「貴様が仙台吉仲か」
「相手に名を訊くなら先に自分から名乗るのが礼儀だろ」
「その命、頂くぞ」
「人の話無視するしさ」

 二、三人が一度に踏み込んできたのを、身を逸らせて躱す。雷蔵の腕を引き寄せ、座敷を隅角へと転がった。隅の方へ雷蔵の身体を押しやり、体勢を立て直す間に脇差を抜いた。間一髪、身を起こした直後に飛んできた苦無を弾き飛ばす。その勢いで、迫ってきた一人の膝下を掻き切った。
 春季が、見た目の頼りなさに反しそこそこできると知って、一旦攻撃の手がやむ。黒装束たちは、策を練り、仕切り直しするように、じりと間合いをはかる。しかし、元々雷蔵たちを軟禁するために用意した部屋だ。塗篭のような作りになっているこの部屋は、庇のある西一面からしか外出られない。後ろに逃げ場はなく、完全に囲まれていた。

「先ほどの口ぶりだと、狙われることに心当たりがありそうですね」

 支柱と春季の背の間に挟まれながら、雷蔵がのんびり訊いた。

「こんな清廉潔白な俺に後ろめたいことなんてあるはずないだろ」
「大方、これまで弄んできた女の誰かに恨みを買ったんじゃないですか?」
「何それ、焼餅?」

 春季は正面を向いたまま、低く笑う。
 そんな戯言も「あいにく餅は煮餅派でして」とサラッと流して雷蔵は焦点を脇へ滑らせた。

「ところで、助けを呼ばないので?」
「声の届く範囲の者はきっと殺されてるよ」

 道理だな、と雷蔵は両目を眇める。
 春季の呼吸が若干乱れている。急激な運動と、緊張のためかもしれない。だが傍から微かに伝わる震えは、違うところから来ているだろう。武者震いでもなく、それは―――
 黒装束が音も無く動いた。春季は息を詰める。
 飛んでくる暗器を打ち落とす間に、間合いを詰められる。辛うじて一の太刀は防いだが、その瞬間、隙のできた頬を殴られた。口の中を切って錆び臭さが広がる。狙い撃ちになりかけたところを、歯を食いしばって、再び向かってきた脚の首を掴み、引き摺り倒す。腹に一撃が入る。しかし呻きを上げたのは黒装束の方だった。慌てて退いた彼の膝には小刀が刺さっている。

「ごほごほ!」

 激しく咳き込みながら、それでも前を見ることは止めない。

「……ねぇものは相談なんだけどさ」

 乱れる息の下で、春季は己を取り囲む暗殺者に声を投げる。

「命、狙ってるのは俺だけっしょ? この子さ、別に俺たちと関係ないし、たまたまここにいただけで、あんたたちの顔も知らない。見逃してやってくんない?」
「……」

 無言の中の無情な現実に、半ば予想通りとはいえ春季は顔を歪める。
 一方の雷蔵が異なる空気感で言い添える。

「うーん。こちらとしても巻き込まれて心中だなんて、心の底から願い下げですね」
「こんな時になんだけど、君って本当薄情だよね」

 がっくりきてしまった。この状況でもなおこれだけの冗談が言える相手に、春季は呆れを通り越して感心してしまう。本当に事態を理解しているのだろうか。
 だが、不意打ちを狙った殺気に、ハッと春季は我に返って目を見張る。危ないと叫びながら、後ろの頭を一緒に抱き込んで蹲る。肩に熱い衝撃が走った。胴体のあった位置の支柱に刃の一閃が刻まれる。

「そんなそんな、これでもまだ手柔らかい方ですよ」

 庇う背越しに言葉が返ってくる。場違いな受け答えに春季は思わず目を向けかける。

「なん―――
「少なくともそちらのお客様よりは、ね」

 不意に、声の調子が変わったように思えた。
 一瞬気を取られた隙に、黒い殺気が傍に迫った。
 同時に刃が視界に入る。あまりの速さに、春季はハッと目を瞠ってそれを凝視した。間に合わない―――
 思わず閉じかけた目に移ったのは予想を大きく裏切る光景であった。
 春季のまさしく目の前で、袈裟がけに降ろされた刀を、別の刀が受け止めている。だが春季ではない。彼は脇差を動かしてはいない。
 凶刃を抑え込んだ刀の柄を握る手は、春季の右脇から伸びていた。見覚えのある刃紋にハッとして見やれば、いつの間にか己の左腰に佩いた大小がともに鞘のみになっている。
 これにはさすがに殺し手も驚いたらしい。僅かに覗いた双眸が見開かれていた。

「全く世話のやける若様だ」

 背後から何の感慨も感じさせぬ呟きが聞こえた。
 
「下がっておいで。私がやった方が早い」

 え、と思った時には、衣紋をぐいっと力一杯引っ張られて喉が詰まった。
 仰向けになった鼻先を剣風が過ぎる。まさしく紙一重だった。背中から倒れむ向こうで、風が鳴り、甲高い金属音が響き渡る。
 雷蔵は僅かな差で飛んできた複数の苦無(クナイ)の中から、一番早いものを宙で掴むと、手首の返し一つで持ち替え、身に当たりそうなものをすべて叩き落とした。誰かの息を呑む音がする。すべては一瞬、それも左手のみでの仕事だった。刺客たちの間で動揺が広がる。
 だが相手に持ち直しの隙を与えないのが雷蔵のやり方だ。

 左手の苦無を別方面に放って牽制しつつ、一足飛びに一番近くにいた刺客の懐に入った。呻き一つ上げる暇もなく、黒一色に包まれた身体が崩れ落ちる。驚く間もなく、次々に敵の頭数が減る。それも一人ずつではなく、何人かまとめて打ち倒されていく。剣捌きは早すぎて目に捉えられない。ただ刀を握る手先が動いたかと思えば、気づけば敵は刃の下に崩れ落ちている。剣閃の残像すらない。おまけに雷蔵の動きは刀だけに頼ったものでなく、体術も交えており、攻撃防御は変幻自在だった。

 一息ついた間を狙い、二人が一度に仕掛けてきた。雷蔵は危うげなくこれを受けたが、二人分の刀の威力が相当に強かったのだろう、後ろへ飛ばされかけたのを、姿勢を低め、重心を後ろに移すことで押え留めた。板敷を摩擦する音が響く。そのごとに裾を払ってのぞく襦袢やらに何やらに春季は場違いにもハラハラした。ああもう女の子なんだから……と本人に代わって余計な心配をしている。
 一方当人はといえば当然ながらそのようなこと気にも留めない。ふっと身を低めたと思えば、倒立の応用で手を軸に回し蹴りを放つ。遠心力を利用してくるりと体勢を元に戻すと、すぐさま刀での応戦に切り替える。
 春季は声も無く、ただただ唖然とその情景を見つめ続けるしかなかった。

「貴様……」

 たかが小娘一人と最初こそ侮っていた黒装束の刺客たちは、思わぬ展開に慌てた。一斉攻撃を仕掛けるが、その刃が獲物に届くことはない。歯が立たないどころではない。

(これはもう、格が違う)

 あっという間に、十人はいただろう刺客たちのほとんどが叩き伏せられていた。まさしく一陣のつむじ風が吹き抜けた後のようだった。
 残る二人の刺客は、一定の距離をもって慎重に機を窺っていつつも、完全な形勢逆転に動揺していた。おまけにそれが、(見た目は)年端いかぬ少女であるとなれば、狼狽が隠せないのも無理ないことである。

「おや、君達さっき一太刀ずつ相手したはずだったけど」

 気がついたように言い、フッと挑発的に微笑む。

「まだ立っているってことは、それなりに腕があるってことだね」
「……」

 二人がごくりと唾を飲み込む。顔の大半を覆い隠しているのに関わらず、彼らは個として認識されていた。これが殺気の欠片も感じられぬ相手だから余計に恐ろしい。いや、殺気どころか、目の前に佇む人物からはあらゆる感情が感じられない。顔は笑っているのに、喜楽でもない。透明な空気を相手にしているような掴みどころのなさだった。危機感ばかりが激しく募る。鋭く研ぎ澄まされた、無機質な刃が目の前で人の形をなしていた。
 互いに目配せし合う。
 一呼吸ののち、一人が唯一の脱出口である庭先に脱兎のごとく走る。

(連絡へ向かう気か)

 阻もうとして、雷蔵はそちらに膝を向ける。が、残る一人が牽制するように突進してきた。
 それを一歩退いてから、巧みに相手の懐をすり抜け、すでに庭へ降りた刺客目掛けて刀を投じる。足元に刺さった刃に怯んだ隙に、そちらを目指して駆け出した。
 その背後で、残った片割れの方が標的を変え、春季に向かっていくのを視界の端に捕らえる。だがあえて捨て置き、目線の先のみに集中した。
 てっきり春季を助けに行くと思いきや、見向きもせず真っ直ぐこちらへ向かってきたことが予想外だったのだろう。日に照らされる中で、刺客が狼狽えた様子で雷蔵に対峙する。だが一方で、彼は当初の獲物の抹殺任務を遂行できるかと期待もした。

 春季はといえば、突如として方向転換してきた敵に対し、刀を構え待った。雷蔵がどういうつもりかは知らなかったが、迫り来る敵は迎え撃つ所存だった。たとえ腕が敵わぬとしてもただでやられてたまるものか―――柄を強く握る。
 ところが、時にすれば瞬きほどの間で目と鼻の先に差し迫った刺客は、得物を振り上げたところで、にわかに静止した。
 春季の間合いに入るほんの一歩手前。その位置で、攻撃の体勢はそのまま、膝をつく。小さな呻きを漏らして胸を掻き毟ったかと思えば、どうっと横向きに倒れた。

 再び想定外の流れに、雷蔵に足止めを食らっていた片割れが言葉無く愕然とする。それから雷蔵を振り見た。忍び刀を横一文に構え、後退りする。
 この最後の刺客こそが恐らく彼らの「頭」なのだろう。他の者達とは腕の切れが明らかに違った。だが雷蔵に慌てた様子はない。
 唯一残った刺客は、目の前に立つ人物の奇妙な静けさと、仲間の原因不明の敗因に不気味さを覚えた。だが相手はすでに得物を手放して丸腰だ。今ならば、と意を決し地を蹴った瞬間、急激に身体の不調を感じた。病の類ではない。唐突に手足が重くなり、意識に靄がかかる。回る視界の中、その症状に覚えがあるのことに彼は気づいた。これは忍びの扱う薬だ。同時に、ある風説を思い出す。かつて千の忍に匹敵する強さを持ち、万の薬を自在に操ったという忍びのことを―――
 雷蔵が地を蹴る。一瞬の間で、刺客は落ちた。
 その場に、静寂が戻る。

「……殺したのかい?」

 障子に凭れるようにして、座り込んでいた春季が静かに問う。

「いいえ」

 雷蔵は首を振る。跪いて、地面に伏す黒装束の被り物を外した。表れた顔は悪鬼ともいえる形相でこちらを睨んでいる。一目で事切れていると分かった。雷蔵が手を出すよりも早く、彼は自ら倒れたのだ。大方奥歯に毒を仕込んでいたのだろう。
 他の者も同様だった。刺客で生きている者は一人もいなかった。だが雷蔵は誰一人として殺していない。すべて峰打ちで済ましていた。気を失う寸前、最後の気力を振り絞って全員が自決したのだ。意識を失うことはすなわち死を意味する。
 捕らえられ、身元を探られるよりも早く、自ら命を絶つ。闇に忍ぶ者のやり方だった。
 背後で感嘆めいた春季の声がする。

「それにしても驚いたよ。空蝉、君って実はすごく強かったんだね」
「昔取った杵柄です」

 何ということでもないとばかりに、雷蔵は地に刺さった刀を抜いて刀身を検め、刃零れのないことを確認すると無言で春季に鞘を求める。春季はその場から投げ渡した。
 それを鞘に納めた時、ようやく遠くからバタバタと複数の足音がした。

「春季殿、ご無事か!? 今向こうで下仕えが何者かに殺され―――

 手勢を引き連れた実治随従の一人が庭に飛び込んでくる。が、そこに広がる光景を目にして、ぎょっと目玉を剥き、唇をパクパク動かした。それもそうだろう、何せこの区画一体で使用人たちが殺害されているところを発見し、一大事と大慌てで駆けつけてみれば、ここはここで見るからに妖しい黒ずくめの屍累々たる有様だ。
 春季は「ああ」と気まずそうに頭を書き、弱った笑みを浮かべた。

「いやまぁ、色々あってさ……」

 と、視線を泳がせたところではたとなる。キョロキョロと左右を見回した。

「? どうかなされたか?」
「いや……」

 春季は当惑気に首を振る。いつの間にか雷蔵の姿はどこにもなくなっており、側には鞘に納まった刀のみが残されていた。
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