9.一寸先は暗中行路



 道すがら転々と篝火が灯っているおかげで、闇に惑う心配はない。
 炎の揺れる方角からあらかた通気口の場所も発見していた。これで、たとえ〈寺院〉へ登る道を発見できなくても、いざというときの逃走路は確保できる。
 その際の逃走方法は実はかなり強引なのだが、美吉もいることだし何とかなるだろう―――と雷蔵が逃走計画を練っていたところで、

「んん?」

 いくらか進んだ時に、美吉がひくひくと鼻を動かした。
 先を言っていた雷蔵が怪訝に振り向けば、彼は立ち止まり道の先の先を見極めるように目を細く眇めた。

「どうした?」
「当たりかも知んねぇぞ雷蔵」

 体勢はそのままで、ぼそりと美吉が低く呟いた。

「薄々だが、火の香りに交じって“あれ”の気配を感じた」

 その内容に、雷蔵も表情を改めた。ということは、ここから〈寺院〉の敷地は近いということか。

「本当に?」

 どっちだと訊きかけたその時、ハッと顔を上げ美吉の肩越しに向こうを睨んだ。

「誰か来る」
「げっ」

 ほぼ同時に気配を察知した美吉が嫌そうに顔を顰めながら後ろを見る。
 まだ影も形も見えないが、二人が来た道から数人の気配が確かにこちらに向かっていた。そう遠からず追いつくだろうことは、常人には聞こえない微かな足音の振動から知れた。

「三―――いや二人か」
「ああ。走ってる―――急ぎかな」
「てか俺達フツウにやべぇだろ」

 のんびりな雷蔵の口調に美吉が突っ込んだ。
 見る限りこのあたりに隠れられそうな場所などない。

「とりあえず先を急ごうぜ」

 言うなり音もなく走り出す美吉へ雷蔵は何かを言いかけたが、あっという間に遠ざかる背に、反響を気にして大声をかけるわけにもいかず、仕方なく付いて走る。
 が。

「ってまたかよ!!」

 いくらも進まずに上がった美吉の声に、雷蔵が「大声出すと気づかれるよ」などと緊張感なく窘める。だが美吉はそのようなこと構っていられないようだ。
 二人の目の前にはこれまた綺麗に二股に分たれた道。

「まずいな。どうする?」

 二つに一つ。どちらかに逃げ込めば上手くしのげるが、選択を誤ると見つかって一巻の終わりだ。
 徐々に近づきつつある気配をチラチラと気にしつつ、隣の相方をうかがう。

「別にどうもしないさ。美吉忘れてるみたいだけど、俺達今幻術かかってるんだよ。まだ解けた気配はない」
「あれ?」

 ようやく気づいたように、美吉が間抜けな声を上げた。そういえばそうだった。

「もっと早く言えよ」

 なんだか一人損をした気分だ。八つ当たり気味に非難する声も虚しい。

「さっき言おうとしたのに美吉が走り出すから」

 やれやれと肩を竦め嘆息する雷蔵に、美吉はうう、と詰まりながら、はたと思い至った別の論点から反駁する。

「でもどう言い訳するつもりだ。見張りなんかがここにいたら明らかにおかしいだろ」

 これは当然の疑問であった。というか、幻術どうこう以前に根本的な問題だ。
 だが雷蔵の様子は変わることなく、いたって余裕の口ぶりだった。

「『にわかに厠に行きたくなって探してたら迷いました』でいいんじゃない?」
「……そんなあからさまに嘘くさい方便が通用するのかよ」

 何か名案があるのかと期待していただけに、美吉はがっくり肩を落とす。
 だが雷蔵はケロリと、

「まぁ通用しなかった時はその時だよ」

 ある意味一番大胆で大雑把だ。これでよくもまぁ忍びをやってこれたものだと美吉は最早感心すらする。

「どちらにしろ逃げ場はなさそうだし、とりあえず賭けてみるしか……」

 だんだん常人の耳でも聞こえるようになった騒々しさに、美吉は深々と溜息をつきつつ開き直った。
 二人して分岐点に佇み、待つこと数十秒。二つの坊主頭が篝火に照らされ浮かび上がってきた。

「何だ!?」
「お前達、姿を見ないと思ったらそこで何をやっている!」

 やにわに怒声が飛んで来る。
 走ってきた二人組はどちらも壮年で、法衣の種類もあの見張り番たちよりも上位と見受けられる出で立ちだ。恐らく中間職か、その上役だろう。
 壮年の僧侶二人は立ち尽くす雷蔵たちを見るなり、目元を険しくした。
 だがよほど急ぎの用なのか、表情に焦燥が見え隠れしている。
 ゼイゼイと肩で呼吸をしながら、再度声色厳しく問いただしてくる彼らに、雷蔵はいつもの彼からでは考えられぬほどおどおどといかにも怯えた素振りを見せた。誰だお前と美吉が心の中で思わず突っ込む中、先ほど言った方便をそのまま告げる。演技でなく内心から美吉はハラハラし、汗だくで成り行きを見守った。手はいつでも千本(はり)を放てるよう懐で待機中だ。
 だが美吉の杞憂に反し、僧侶たちは下っ端ごときどころではないのか特に疑問を持つことなく雷蔵の言い分を鵜呑みにすると、険しい顔つきはそのままで、

「奥へは近づくなと言っただろうが、馬鹿者!」
「厠は逆のほうだ! お前達は戻れ。二度とこちらへは来るんじゃないぞ!!」

 そう口々に言い捨て、こうしてはおれぬとばかりに分かれ道の一本へバタバタと駆け去っていく。
 からかう様に雷蔵は隣を眼だけで見上げた。

「厠は逆だってさ」

 ああそうかい……と美吉はそこはかとなくやりきれない返事で返した。
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