10.鉄鳴(かねな)りの夜行路(やこうろ)



 慌しいく道の奥へと消えていく背を眺めながら、美吉はぼんやりと呟いた。

「思ったんだがよ……ここの連中ってちょっと抜けてるよな」

 普通こんな入り組んだ道に厠探して入ってくる奴いるかっつーの、という美吉のぼやきにも、飄々と雷蔵は笑う。

「元々荒事とは無縁な素人集団なんだろう。おかげで俺達も動きやすい」

 そんなもんかな……と美吉は頭をひねるが、すぐさま「ま、いっか」と考えることを放棄した。この辺り、この二人は同類である。およそ適当な性格なのだ。

「で、どうするよ」

 走り去っていった左の道を未だに見やりつつ、美吉は問う。
 雷蔵はといえば、地にしゃがみこみながらもう一方の道を調べていた。
 岩床を観察しつつ「うーん」と軽く唸る。

「あの二人の様子だと、指令者がそっちの道にいるって可能性が高いね」
「んでお前は何してんの」
「いや、こちらの方にも頻繁に踏みしめられた跡があって」

 そう言って雷蔵はその状態のまま指差す。そこは確かに、自然のものではない凹みと照りがある。明らかに人の足によってできた擦り減りだった。
 ああ―――と美吉は同意した。

「『視』ることはできる?」
「うーん……金気の中だと“あれ”無しには調節が上手くいかなくてな。経穴程度ならいけるんだが……」
「そっか」

 ふむ、と雷蔵は左右の道を見比べた。

「どっちだと思う?」

 訊いてるのは、なびきたちが向かった方だ。

「どうだろうな。指令者がいるっつーんなら、あの行尊って男の確率が高いだろ? しかもこっちの方から鉄鳴りの気配がするし。―――けど、そっち側からも“あれ”の気がしてくるんだよなぁ」

 といって親指で示したのは、右。
 雷蔵はパンパンと膝を叩いて立ち上がった。

「つまり、右の道を行けば〈寺院〉に出るってことか」
「かもな」
「どうする? 分かれようか」
「いや、今ここを二手に分かれるのはあんま得策じゃないだろ」

 まぁね、と雷蔵は相槌を打つ。見知らぬ敵地の懐だ。寡数で多数に対する場合、兵力を分散してはいけないのが兵法の基本。戦力となるのが一人よりも二人の方が、何かあったときに対策が立てやすい。

「どうせなびきって女を助けなきゃならねぇんだろ? ならこっち先行こうぜ」

 美吉が選んだのは左の道だった。
 だが意外にも、問うような眼差しを雷蔵は向けてくる。

「何だよ」
「いや、美吉のことだからてっきり『早く帰りたいから』とか言ってさっさと右に行っちゃうかと思ったんだけど」

 美吉は「先に」と言った。ということは、後で道を戻って右側に行くつもりだということだ。そんな、見ず知らずの女のために二度手間になるようなことを、この極端なまでの面倒臭がり屋が選ぶとは思わなかった、と言えば、

「お前な……」

 心外だとばかりに美吉は盛大に顔を顰める。

「いくらなんでも他人見捨てるほど俺は鬼じゃねぇよ。こう見えても医者の端くれだ」
「そうだよね」

 と言って意味ありげに笑う雷蔵に、美吉はひそかに青筋を立てた。

「文句あるか」
「感心してるんだよ」
「そんな気配は全く感じないが……」

 むしろ良いように面白がられている気がする。きっと気のせいでないだろう。
 美吉は腹いせに、鼻歌でも歌い出しそうなノリで左の道に入る雷蔵の後頭部へ一発蹴りを入れてやりたい気分になったが、どうせ躱される上に、あとでどんな仕返しが来るか分かったものではないので思いとどまった。さすがに我が身は惜しい。
 とりあえず溜息でなんとか腹の虫を宥めつつ、雷蔵の後に続いた。
 だが、言葉にはしないものの、意外に感じたのはむしろ美吉の方だ。
 彼の知る雷蔵という人間は、およそ何かにこだわったり、特定の人間に執着を持つような男ではない。一見人当たりがいいので騙されがちだが、実際は自分に関りのないものに対しては物だろうと人だろうと一切気に留めない。任務遂行に邪魔になる人間となれば平然と切り捨てる。そこには何の感慨も見受けられない。そういう男だった。
 しかし非道無情の冷血漢なのかと思えば、どうもそういうのとはまた少し違うらしい。なんというか、自分を含めてすべてにおいてどうでもいい、という印象があった。
 美吉にもそのきらいはあるが、雷蔵の場合は美吉のように投げやりなのではなく、どちらかといえば極端に淡白―――あるいは、あらゆることに無関心と言った方がいいだろうか。
 かといって別にその言動のすべてが偽りであるというのでもない。少なくとも見た限りでは、いつだって思ったとおりに行動しているし、話をしている。
 たがそれは、どこか空ろな洞に上塗りされた人格のようでもあった。そしてその空虚の裏には、決して“無”ではなく、“何か”がある。黒塗りの闇ではない、だが他人には決して見えぬ深淵。
 奥底で静かにたゆたう“それ”を、ほんの時折だが、美吉は感じ取ることがあった。
 だから雷蔵は世間一般でいう鬼というよりも、どこか人としてあるべき感情が凍てついているのではないかと見ていたのだが―――
 見捨てるというのであれば、むしろ雷蔵の方がしそうなことであるのに、しかし彼はなびきを助ける意向だ。

(まさか惚れたとか?―――いやいやいや)

 美吉はちらりと雷蔵は盗み見て、まさか、と心の中で首を振る。

(こいつに限ってまさかそんなことはなぁ?)

 そんな美吉の思考を中断させたのは、当の雷蔵の声だ。

「聞こえる?」
「お? ―――あ、ああ」

 急なことにどきりとしながら、何のことか一瞬分からず戸惑うが、ふと耳を澄ませば遠くにカーンカーンと甲高い響きが聞こえた。―――『鉄鳴り』だ。
 考えごとに没頭してたせいで気づくのに遅れたが、よくよく聞けばかなり多くの人の気配や声もする。
 出口が近い。
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