14.鍼の穴より天のぞく



 炎と喧騒を背に、三人は目についた坑道のひとつへ身を滑り込ませた。

「道は?」

 先導して走る美吉に、騒音にかき消されぬ程度の大きさで雷蔵が呼びかける。あてもなく逃げているように見えて、実はそうではない。美吉が目指すままに、その後を追う。
 前を行く美吉はいつもの眠たげな顔はどこへやら、引き締めた面持ちで、ひたすら神経を研ぎ澄ましていた。振り向きもせず駆け続けながら叫び返す。

「生憎“あれ”の気配は途切れちまったが、地上への気ならなんとか捉えられる。さっきよりも地中深くに落ちたから、その分出にくくはなったけどな……追っ手の方はどうだ?」
「今のところはまだ。でも時間の問題と考えた方がいい」
「そんなに凄腕なのか、そいつ」

 美吉がちらりと肩越しの一瞥を送る。
 はっきりと口にされたわけではないが、美吉は先程の忍びの一団を指揮していたのが雷蔵と縁浅からぬ者だということを、何となく察していた。
 路傍の術を破るには、相手が術に移行する前から監視していなければならない。しかし尾行されていたのならば、地において超感覚を持つ美吉が気づかないはずはなかった。従って彼らは出口の方で二人を待ち伏せていたことになる。
 こちらの動きを読んでいたとなると、恐らく雷蔵を噂ではなく実質的に知っている者。おまけに雷蔵の口ぶりからすれば、どうにも穏やかとは言いがたい仲らしい。
 顔見知りなら、こちらの手の内は一定程度バレているが、逆に相手の力量も知っていることになる。今後打つ手をどうするかは雷蔵の評価次第だ。
 雷蔵はさして深刻そうでもない様子で、淡々と口を開いた。

「腕は悪くないんだけど、およそ短絡思考の奴だから、統率力はさほどない。ただやたらと執念深い奴でね。追ってくるとなると集団じゃなく一人でどこまでも追ってきかねない」
「随分と面倒くさい野郎に懐かれたもんだな」

 心底嫌そうに渋面をつくりながら、美吉は再び正面を向き直った。目の前に三方向に分かれた岐路が迫る。そのまま迷わずに右端に入った。

「で、一体何したんだ?」
「まあ、昔色々とね」

 何やら含むところのある言い回しに、美吉は更に眉間を皺寄せた。これは相当な恨みを買ったに違いない。

「美吉こそ“あちら”の方はいいのかい」
「どちらにしろここまで深く落ちたら〈寺院〉までの抜け道はもう一度探し直さなけりゃいけねーからな。時間的に無理。今はとりあえず一度外に出ることが先決だ。そんでもう一遍対策を立て直すしかない」
「そうだね」
―――って、ちょっとちょっと!!」

 目を伏せやれやれと嘆息する雷蔵の傍らで、俄かに第三の声が上がった。先程から肩に担がれ、まるで荷物のように運ばれているなびきである。
 自分を無視して緊張感のなく会話を交わす二名に、甚だ不本意な体勢を無理矢理ひねりながら、怒り半分混乱半分で己の存在を主張する。

「そもそも、何なのさこの格好!」

 憤怒のためなのか何なのか顔面を真っ赤にしながら俄然抗議するなびきに、

「だって一緒に走ってたら追いつかれてしまうし」

 さして問題を感じていない調子で雷蔵は答える。さすがに普通の娘の身で、男の、それも忍びの足について来るのは至難の技だろう。だからといって悠長に歩調を合わせてやれる状況ではない。
 道理なのでなびきもぐっと押し黙る。だがやはりこの格好はあまりにもあんまりだ。

「もっとまともな運び方はないわけ!?」
「とはいえさっきみたいに横抱きだと走りにくい……」
「ぎゃーッッ!!」

 困惑気味にあっさりと出された単語に、なびきは更に赤面して叫んだ。先程の自分の姿の居た堪れなさと恥ずかしさは、なけなしの乙女心に耐え切れない苦痛だ。これは一体何の報いなのか。

「うるせぇな、やつらに見つかるだろうが!」

 先行する美吉からすかさず文句が飛ぶ。ハッとして慌ててなびきは口を覆った。
 仕方ない、この格好もかなりいただけないが、さっきよりはマシだから我慢しよう……そう自己暗示をかけるように繰り返し念じ、なびきは再び口火を切る。

「ていうか、さっきから勝手に話進めてるけどあんたたち何者なわけ?」

 至極尤もな質問だ。遊行僧だとばかり思っていた人物が、およそ想像を越える超人ぶりを見せたのだから、むしろ疑問に思わないほうがおかしい。
 雷蔵はうーん、と軽く逡巡し、

「さっきの彼らと同じようなものといえばそうかな」
「さっきのって……それってもしかして、忍びってこと?」

 なびきはふと不審気に眉を寄せる。
 あえて明瞭な答えは口にしない。だがこの状況に至ってなお冷静な雷蔵の口調に、肯定の気配を感じ取り、信じられない、となびきの唇が動く。それは信じがたいだろう。見てくれだけをとって見れば。
 しかしあの戦いぶりや、その後の手際のいい逃走劇を思えば、頷くしかない。

「それで……今はどこに向かっているの?」
「とりあえず地上に出られる道を探してる」

 答えたのは美吉だった。ところがなびきは、すかさず反駁した。

「無理だよ! この中は関係者ですら分からないほどの入り組んだ構造になっている。道なんて見つけるなんて途方もない話、迷うのがオチだわ」

 だが美吉は動じなかった。

「普通はそうだろうな」
「え?」

 なびきが目を見張って首を捻る。眼の端に微かに捉えるもう一人の法師は、特に焦った様子もなく、息切れもなく、まるでとうに知り尽くした道を行くがごとく真っ直ぐに進んで行く。

「大丈夫だよ。美吉に任せておけばね」

 不意に横脇から柔らかな声がかかる。謎めいたその内容に、なびきは訳が分からず瞠目し続ける。
 どういうこと?、と求める視線に、しかし雷蔵は気づかぬふりをした。一言で説明できるほど単純なことではなく、また言ったところで理解はできまい。百聞は一見に如かずだ。
 そのうちに、途中いくつかの上がり坂や隠し階段を経て徐々に上へと上がって行く中で、ようやくなびきにも美吉が何らかの方法で地上へ続く道を正確に選びとっていることに感づいた。どのような手段によってかまでは彼女には不明であったが。
 そうやってどれだけ上って来た所だろうか。

「止まれ!」

 唐突に美吉が鋭く囁いた。
 同時にその背が止まる。
 雷蔵もすぐさま反応して足を止める。急停止になびきが「きゃっ」と声を上げた。

「な、何?」

 肩から下されながら、なびきが不安気に、先の方で背を向ける法師の様子を窺う。美吉は慎重に何かを探すように視線を天井一帯へ彷徨わせている。
 雷蔵を見上げれば、彼は平素の如くありながらも、心なしいつもより真面目な面持ちで朋輩の行動を見守っていた。
 ただならぬ様子の二人を見比べながら、ただなびきは黙然と戸惑う。
 すると、美吉の目がある一点で止まった。狙いを澄ます様にスッと双眸が細くなる。

「下がって」

 さっと雷蔵が囁き、片腕を上げて、斜め後ろにいたなびきを更に後方へと促した。
 訳が分からずに混乱しつつも、言われるままに背後へ一歩二歩と退く。
 刹那、美吉がおもむろに腕を素早く振り上げた。
 なびきには見えなかったが、その瞬間に美吉の手から細く長い鍼が放たれ、天井の一点に突き刺さる。
 途端、その頭上の岩天井が粉砕し、粉末状となって勢い良く降り注いできた。
 パラパラと降り掛かる屑を腕で遮りつつ、雷蔵は顔を上げた。
 美吉の姿を探せば、彼はやはり離れたところで飛び散る粉を避けていた。

「なん……」

 砂埃が気管に入ったのか、軽く咳き込みながらなびきが目を上げる。
 すると、そこには見事に空いた孔と、すぅっと入ってくる新鮮な空気。
 はっきりとは判じ難いが、孔の向こうには夜空が広がっているに違いない。

「……」

 なびきは唖然とその孔を見上げる。驚きのあまり開いた口がふさがらない。 

「お見事」

 隣で遠くを窺うように眼の上に手を掲げながら、雷蔵が場違いな明るさで口笛を吹いた。
 美吉はだるそうに肩を回し、

「行くぞ」
「了解」
「え、行くって……あんな高いところどうやって出るの」

 天井から地上まではかなり高さがある。とてもじゃないが普通には登れない。
 困惑するなびきに、「まあ見てなよ」と雷蔵は笑い、美吉を見た。

「どっちが先に上がる?」
「お前の方が身が軽いし、腕力もあるだろ。俺にゃこの女は持ち上げられん」
「な、なに失礼なこと言ってんのさ!」

 言外に体重のことを言われたと察したなびきが、反射的に美吉の頭を殴る。

「痛てぇな。何するんだよ……」
「自業自得」

 目をじとりと据わらせる美吉に、なびきが食って掛かる。ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を背後に、雷蔵は我関せずとばかりに孔を見上げた。顎に手をやって、計る。それからふむとひとつ頷いた。

「とりあえず先に上がるよ」

 言うや否や、地を蹴り穿たれた孔に向かって跳んだ。壁の凹凸を巧みに使い、数えるほどの動作で軽やかに頂点まで辿り着く。
 地上は山林の中だった。木々の陰の向こうに黒い屋根の連なりが見える。
 風に乗って微かなざわめきが聞こえた。恐らく突然の侵入者に僧侶達が捜索しながら総出で警戒を強化しているのだろう。この場所はさほど離れてはないが、見つかりやすいところでもない。この時点で脱出は成功だった。
 雷蔵は辺りに人の気配がないことを確認すると、おもむろに懐に手を突っ込んだ。
 そのままごそごそと動かし、出てきたのは一本の長縄。着物の下、腰に巻きつけてあったものだ。忍びは常に身体のいたるところにそれと分からぬよう道具を隠し持つもの。あの僧たちの取り調べが甘く、帯と勘違いして上手い具合に見落とされたのだ。
 それの片端を適当な樹の幹に撒きつけ、もう片端をスルスルと孔の下に垂らして行く。
 程なく引っ張り返され、「いいぞ」という小さな声が届いた。

(さてと、もうひと踏ん張り)

 唇を軽く舐め、縄を引く。人一人分の重みを増した縄を、腕の力だけで引き寄せて行く。
 やがて腰に縄を巻き、しがみつく様にしてなびきが現われる。顔色を真っ青にしながら、地上に膝をつきようやくホッと安堵の表情を浮かべた。

「お疲れ様」

 縄を解き、ポンポンと頭を叩いて雷蔵が微笑めば、色の悪かったなびきの頬にすぐさま血が通い、気まずそうに視線をそらした。

「ったく、本当に面倒臭いったらありゃしねぇ」

 間を空けることなく登って来た美吉が、いささか鼻息荒く吐き捨てる。

「これからどうする?」

 遠くの騒動を眺めやりつつ、雷蔵が尋ねる。
 美吉は髪を掻き回しつつ、なおざりな口調で言った。

「とりあえず此処から離れよう。奴らに嗅ぎつけられる前に、なるべく山の奥深くに身を隠さないとな。色々考えるのはある程度落ち着いてからだ」
「妥当だね」

 雷蔵も同意を示す。この広い山の中ならば、一所に留まらず絶えず移動しつつ、痕跡さえ消しておけばそうそう足取りを辿ることはできないだろう。忍びの手口は忍びが最もよく知っている。

「行こう」

 脱力した様子のなびきを促しながら、三人は山林の中に入っていった。
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