15.人まどわせる四弁の花



 長いようで短かった夜が薄っすらと明けるころ。
 充分な休息を取った(とはいっても寝ていたのはなびきだけだが)三人は顔を突き合わせ、腕を組みながら談義していた。

「で、結局あいつらは何者なんだ?」

 美吉が項垂れながら胡乱気に呟く。そもそも問題はそこなのだ。
 最もよく事情を知っているだろうなびきは、二対の目を受けて気まずそうに視線を落とした。暗い翳りがその顔に過ぎる。
 やがて、訥々と語りだした。

「実際、よくは分からないんだよ。ただいつの頃からかあの辻に〈神殿〉が出来て、初めはただの新興の宗派みたいなものだったんだけど、僧侶達が演説口上を始めてからかな、あんな風になってきたのは。〈永遠の命〉を旗に活動しているという話だったけど」
「そういえば、随分前の話だけど、お父上がどうとか……って言いかけてたよね」

 ハッとしてなびきが、側で木に凭れている雷蔵を仰ぐ。
 まさかちらりと口走っただけの言葉を記憶に留めていたとは思いもよらなかったようだ。しかし、それ以上の何かが一瞬だけ彼女の瞳を揺らがせた。

「……私の父は」

 ふと俯く。僅かに髪の影から覗く唇が、かすかに震えた。

「医学者だった私の父は、町の人とは違ってあいつらの言うことを頭から信じようとはしなかった。むしろあいつらのやっていることを怪しんで、密かに潜入して調べようとした」

 でも、と呟く。

「結局父は帰らぬ人となった……あいつらに、殺されたんだ」

 なびきの双眸に、強い光が点った。強い、強い―――そして深い、怒り。

「父がいなくなる前に言ってた。あいつら裏に何かあるって。ただの新興の教えじゃない、別の企みがあるって。父には確信があったようだった。何かを掴んでいたに違いない」

 だから、消された。

「あの透波達に、か」
「いや、それは多分違う」

 小さくぼやいた美吉の言葉を即座に否定したのは雷蔵だ。
 残り二人の疑問の眼差しが同時に向けられる。
 雷蔵は別の方をじっと見つめながら、静かに言葉を綴った。

「俺達を待ち伏せして、襲ってきた透波―――あれは『影梟衆(かげきょうしゅう)』と呼ばれる者達だ」
「『影梟衆』?」

 鸚鵡返しに訊き返したのはなびきだけだった。
 その名を耳にした途端、美吉がはたと目を見開き、不意に押し殺した声で呟いた。

「影梟衆って言やぁ、あれか」

 知っている様子の美吉と雷蔵を見比べ、なびき一人が頭を傾げている。
 影梟衆とは、その道の者ならば必ず一度は耳にしたことがある、名うての忍び集団だ。
 伊賀甲賀のように土地柄に由来するものでも、或いは京里忍城のように巨大な組織でもないが、棟梁一人が率いる無所属の忍び衆で、依頼を受ければ何でもやる。
 ただし他の忍軍と異なるのは、彼らに、言うなれば義侠的な信念があるところだった。
 彼らは堅気の―――関係の無い人物は決して巻き込まない、手に掛けない。
 通常忍びと言えば冷酷非道など意に介さず、卑怯な手は何でも使うというものだが、この影梟衆だけは異質で、義に厚い集団として有名だった。それは代々棟梁となる者に受け継がれてきた伝統でもあるようだ。
 しかし、だからと言って仕事に手を抜きはしない。逆に目覚しいほどの働きぶりで、今まで受けた依頼で失敗したことはないと専らの評判だった。もちろん手を出さないのは堅気の人間相手だけで、同業者やその手の輩に対しては容赦はせず、殺しや騙しにも躊躇はしない。ただ無関係な一般人の暗殺まがいなことはやらないのが基本姿勢だ。それをせずに仕事を完璧に遂行するのだから、その手腕は並の忍びの衆など比べ物にはならないほどのものであることは間違いなかった。
 その義の忍び衆が、堅気であったはずのなびきの父を、依頼主からの要請とはいえ手を下したとは到底思えない。

「すると、やはりあの坊主とか神主もどきたちがって話か」

 深刻そうな面持ちで美吉は顎に手をやる。神職のくせに人を殺めるとは、どこまでも堕ちたものだ。その口元に昏い翳りが掠める。
 なびきは、胸中で渦巻き溢れる様々の思いを堪えるように唇を引き締めた。

「父はがいなくなって……それからだよ、あいつらが寺に来たのは。父が、あいつらの大切な“何か”を盗み出してどこかへ隠したらしいんだ。私が父から何かを聞いているんじゃないかって疑っているみたい。下手な態度をとれば、和尚様や弟達を酷い目に合わせるって。何度知らないと言っても信じてくれなくて……」

 人質を捕られ、逃げ場を奪われる。それでも一時的な軟禁状態からはなんとか解放されはしたが、厳しい監視の目と圧力をかけられ続ける毎日。
 そんな時に来たのが、雷蔵だった。

「間が悪いっていっちゃ悪いな」

 美吉が眠たそうに中空を仰いで嘆息する。
 影梟衆は雷蔵のことを知っている。勿論その過去も。なびきが偶然にせよ意図的にせよ、引き入れ接触した時点で、疑惑の対象となることは目に見えた。

「私……戻らないと」

 不意になびきが思い立ったように立ち上がる。
 その表情は固く、昏い。
 美吉がはぁ?とばかりに目線を向けた。

「何言ってんだ」
「だって、襄偕和尚はまだやつらに捕らえられているんだよ。お寺だって幼い弟と妹しかいない。私が逃げたら、何をされるか分からない。その忍び達が手を出さなくったって、行尊なら平気でやる」

 蒼褪めた必死の形相を向けながら、なびきは訴える。休息をとり心に余裕ができた分、他のことにも頭が回り始めていた。
 よく考えれば、自分は今とてつもなくまずい状況にいるのではないか。ただ一人の肉親であった父を失い、家族と慕う人々までも失うかもしれぬ恐怖にようやく思い至り、なびきは背筋がすぅっと冷えるのを止められなかった。
 急くように踵を返しかけるなびきを留めたのは、雷蔵だった。

「やめた方がいい」
―――何でよ」

 キッと睨み据えてくる瞳に、雷蔵は動じた風もなく淡々と答えた。

「今戻ればそれこそ彼らの思う壺だ。事態は一向に好転しない」
「だからって……!」
「人質とは生きていてはじめて意味をなす。逆に、殺すつもりならとっくに殺している。君をおびき出すという利用価値があるかぎり、まだ命の保証はされていると考えていい」
「だな」

 美吉もそれに賛同する。まあ、保証されるのは「命」だけだが、と心中に漏らす。

「それよかも、いかにしてその事態を打破するか、だろ。奴らを根本から叩き壊滅させるのでなければ、あんたや人質達の安全は永遠にありえない」

 あとを引き継いだ美吉に、なびきの双眸が今度はそちらを睨みつける。

「じゃあ、どうすればいいっていうの!」

 とうとう声を荒げ、駄々を捏ねるように2人の法師に訴えた。
 しんとした山中の雑木林に、ザワリと葉の音が撓んで響いた。寒々しく、どこか不吉さを醸す木霊。
 不自然に訪れた重い沈黙の中、雷蔵は落ちてくる木の葉を目で追うともなしに追う。表、裏とひらひら舞う赤茶けた緑を見つめながら、これまでの情報を整理していた。
 始まりは、あの辻だった。
 辻界隈に立つ〈神殿〉は、毎日定刻に〈神血(かむち)御酒(みき)〉なる酒を配り始める。
 その酒を得られるのは特定の盃を持った者のみで、高値のその盃を持っている者こそが正式な信者として認められていた。そして人々は、我を競って〈神の血の酒〉を頂こうとする。それによって、彼らの言うところの『教義』の『真理』を得られるからだという。
 ここでの謎はその『教義』だ。そもそも、彼らが一体どういった信仰をもつ宗教なのか。

「……町の皆は何故〈神血の御酒〉を手に入れようとするんだろう?」

 何の前触れも無く振られた問いに、なびきは涙に赤らんだ眼差しを、怪訝そうに向ける。
 数拍の沈黙の後、

「……よくは知らないんだけど……なんでも、それを飲むと極楽浄土に行けて〈永遠の命〉が得られるとか何とかって話だよ」

 胡散臭いと言わんばかりの口調で説明する。
 永遠の命。雷蔵は考え込むように口元を拳で覆った。先程も聞いた言葉だ。極楽浄土というのはおそらく伝え聞いた何者かが、仏教的な言い回しとして用いたのだろう。真実か否かはさておき、この言葉は何かしらの鍵かもしれない。
 永遠の命を得んがために、人々は神酒を求める。では多額の盃の意味は―――

(金集め、か)

 なびきの父は、彼らに裏があると言った。行尊の顔を思い出す。そして広大な地下坑道。蹈鞴場に鍛冶場。造っていたのは、何か。

(およそ穏やかならぬものだとするならば)

 兵器―――
 そして、雇われの凄腕の忍び集団。
 ただの金儲けが目的ではない。

(費用―――何らかの資金繰り?)

 一体何のために、そのような莫大な資金を要するのか。
 木の葉が舞う。枯れて赤茶けた色合いが揺れる様に、乱火の相を重ねる。
 不穏な匂い。―――きな臭い、炎の気配。
 〈神殿〉の親元はあの馬鹿でかい〈寺院〉だ。そしてその〈寺院〉は、一幕藩の年寄屋敷の敷地内。
 そこに見えてくるものは。

「あ、そういえば」

 雷蔵の思考を打ち切るように、ふと美吉がぽん、と掌を打つ。
 二人が視線を向ける中、彼はおもむろにゴソゴソと懐を探り出したかと思うと、ひとつの小さな器を取り出した。
 曙の光に晒せば、それは柔らかな雲の明かりを受けて鮮やかな朱に染まる。
 朱の漆を塗られた盃。そう、それはまさに、信者達が手に持って酒を受けていた、あの盃だった。

「どうしたの、それ」

 なびきも雷蔵も呆気にとられた様子で見つめる。
 美吉は首を傾げながら、

「町に入る前に、どこぞかの坊主とぶつかって荷物を取り違えられたって言っただろ? その坊主の風呂敷包みに、こいつが入ってた」

 つまり。

「その僧が信者の一人だったっていうことか」
「多分な」

 ちょっと見せて、と雷蔵は美吉の側に膝を付き手元を覗き込んだ。なびきもそれに倣う。3人が顔を突き合わせて、小さな盃をまじまじと観察する。

「見てみ。底の方に金で押印が入ってる」

 言いながら美吉が盃の内側を指差す。
 三人の影が掛かって見難いため、スッと空の光を受けるように器を傾ける。
 すると、確かに盃の底に、金色が反射して浮かびあがった。
 四つの円が、一部重なり合うようにしながら上下左右に連なっている。
 まるで四弁の花を象ったかのような、至極簡素な印。
 その形状を見止めた瞬間、雷蔵の双眸が見開かれた。
 隣ではなびきが不思議そうに目を瞬いた。

「何だろ、これ……」

 家紋で見られる四輪違い―――にしてはいささか形式が異なる。

「そうそう、これを見た時に何かを思い出しかけたんだよ。なんっかどっかで見たことがあるような感じがすんだけどなー」

 うーん、思い出せそうで思い出せない、と美吉は猫背を更に丸めながら、眉根を寄せて唸った。と―――

四輪(しりん)だ」

 え?っと美吉となびきが、同時に視線を発言者に向ける。
 たった今呟きを漏らした雷蔵は、依然盃の底をジッと見据えたまま、低く繰り返した。

「四つの円は〈四界しかい)〉。〈四界〉の交わりを表す神印だよ」

 顔を上げ、美吉を見る。

「覚えてない? 『四ツ輪衆(よつわのしゅう)』だ」
「あ?―――あー、もしかして『四ツ輪の乱』の」
「何、よつわのしゅう、って」

 またもやひとり分からずきょとんと二人を見比べるなびきに、雷蔵は再び盃に目を落としながら静かに説明する。

「何年か前に若狭の国で大流行した新興の教えだよ。派生は道教とも密教とも言われているけれど、どことも異なる独特の教義で、一時期は凄まじい勢いで広がり盛り上がった信仰だった」

 言いながら、四連の円の金縁をなぞる。

「この四輪は森羅万象の理を表していて、一番上の輪が命の誕生を表す〈生界〉、右が生長を表す〈盛界〉、下が衰えを表す〈衰界〉、左が生命の断絶を表す〈死界〉。あるいは、〈始〉〈進〉〈退〉〈終〉とも言う。この四つで〈四界〉。自然界の消長や輪廻を象徴しているんだ。分かりやすくたとえるなら、例えば四季の流れとかかな」

 春夏秋冬は、命の誕生する春、繁茂を促す夏、枯れゆく秋、すべてが眠りに落ちる冬。こうして季節は巡り、また春が来て、自然界は延々とこの流れを繰り返す。
 雷蔵は続けた。

「そしてそれは、人間にも同様のことが言える。ただ、これがちょっと変わっていて、人間の場合は〈始生(しせい)〉〈歩生(ほしょう)〉〈往生(おうじょう)〉〈転生(てんせい)〉となるんだ。つまりこの世とあの世の両方の世界を含めて、まず魂は母胎から生まれ、生を歩み……までは他と一緒なんだけど、三段階目で死んで冥界に下り、流転を経て再び人界に戻る。この輪は魂魄を象徴していて、四つの連なりがその輪廻転生の様を表しているという」

 人差し指で輪を辿りながらくるりと四つの円心を繋ぐ。「そして」と四輪の重なる中心にピタリと指を止めた。

「これが、〈永生(えいせい)〉」
「〈永生〉?」

 震えるようななびきの声音に、そう、と答える。

「表す意味は、“永久(とわ)”」

 雷蔵の瞳が微かに細まった。

「自然界の流転、魂の輪廻―――これは森羅万象の理であり、その中にある人間も例外なく逃れることはできない絶対の真理だ。当然、死も当然訪れるべくして訪れる。しかしこの輪廻の鎖を解き放つ唯一の道が、このすべての輪の重なりあうところ。四つの円心の路から放たれ、この中心の〈永生界〉まで魂を昇華することができれば、何の苦しみもない平安の天上にて永遠の命を謳歌することができる―――それが四ツ輪衆の唱える教義だ」
「教義……永遠の、命―――

 その言葉を下に乗せ、ハッとなびきが顔を上げて雷蔵を見た。
 それに、やはりなびきの方に目を向けていた雷蔵は頷く。

「あの〈神血の御酒〉が授ける『真理』―――〈永遠の命〉というのは、つまりその魂の昇華のことだ」
「だけどさ」

 横合いから美吉が口を挟む。

「あまりに大きくなりすぎた四ツ輪衆は、その教義の妖しさゆえに朝廷に目をつけられて禁教となったはずだぞ」

 その時の騒ぎは美吉も覚えている。四ツ輪教を邪教と見なした朝廷によって、厳重な禁令が出されたが、強力な締め付けに信徒達が暴動を起こしたのだった。信徒の大半は、一般の農民や下層民たちであった。彼らは貧しさやひもじさから、あるいは人生の辛酸から解き放たれたくて、四ツ輪教に救いを求める。
 しかし、一大一揆と化した暴動はやがて鎮圧される。鎮圧されてからは、その締め付けはますます厳しくなったと聞く。

「分からないけれど、隠れた信徒達が場所を変えて新たに活動を始めているのかもしれない。実際あれは若狭国の中だけの話であって、他の国々にまでは波及していなかったから」

 当時朝廷がその勢いを恐れ、他国に分派する前に禁宗令を発し、その上緘口令まで敷いたのだ。
 実は、裏には庶民だけでなく支配層にまで信者が現われたから、朝廷は必死になって隠そうとしたのだとも噂されているが。何にしろ、一国内に情報を収めたことが、逆に知名度を低め、その分抜け道を作った。名前を変えてしまえば、朝廷もそれとすぐには気づかない。むしろ、気づいたころにはまたとてつもなく強大な勢力になっているであろう。

「そうか、だからだったのか」

 一転、一人得心した風に呟く雷蔵に、美吉が「何が?」と問う。

「横溝の屋敷に連れて来られた時、屋敷のあちらこちらで石灯篭や吊り灯篭にこの四輪の紋様があしらわれていたんだよ。簡素だから一目には見逃しがちだけど、よくよく考えれば珍しい紋様だから妙に印象に残ったんだ」

 白砂が敷き詰められていたことにも納得がいく。
 となれば“あれ”もまた―――

「成程な。こりゃあいよいよヤバそうな感じになってきた」

 頭を掻きながら面倒そうに顔を顰める美吉。なびきは頬や目元を強張らせて、思いつめるように盃を見つめている。
 雷蔵は〈寺院〉の方角を茫洋と仰いだ。空はすっかり明るんでおり、木々に囲まれた向こう側に薄っすらと紫を帯びた柔らかな黄光が見える。

 年寄屋敷に〈寺院〉。それも、裏にいるのは禁教となった四ツ輪衆。

 昏く、ねっとりと瘴気のように渦巻く陰謀の香りを嗅ぎ取って、雷蔵は光を映す双眸を、何の感慨も乗せず眇めた。
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