13.油断大敵、怨み火ぼうぼう



「くそ!」

 手すりに走り寄り下方を見下ろした行尊は、僧形に合わぬ悪態を吐いた。思わぬ騒動にいつにない焦りと悔しさを覚え歯軋りをする。

「追え! 逃がすな!!」

 急いて僧兵たちに号を飛ばすが、闖入者の姿は爆裂の火花と煙と惑う人々に紛れ、すでに見えない。

「出口を固めろ! どうせ奴らに抜け道は分からぬ、追い立てて袋の鼠にすればいい」

 舌打ちを堪え、指示を出しながら己も向かおうとする。
 その背に、後ろから笑みを含んだ声がかかった。

「甘ぇな。忍びは必ず攻め込む前に退路の確認をしておく。たとえ退路がなくとも無理やり創り出しかねん、奴らは―――いや、特に奴ならな」

 素早く振り返れば、先ほどまで人の気配などなかったはずのそこには、独特の忍び装束に身を包んだ齢二十歳半ばから三十路前ほどの男。散切り短髪の、精悍ともいえる顔は、しかし右頬に大きな刀傷を持ち、鬼気迫まる迫力を備えていた。

不知火(しらぬい)!」

 名を呼んでから、行尊はあからさまに厭わしげな表情をつくる。

「先程の忍びどもはお前の仕業か」
「おう、そうさ。誰かさんが人の忠告も聞かず、全く無防備と言ってもいいほど警備に手を抜いてたからな」

 不知火と呼ばれた忍びは悪びれた風もなく軽く肩を竦める。行尊は眉間の皺を深くした。
 彼はこの不知火という男がどうにもいけ好かなかった。もとより忍びという輩自体好ましくない。所詮は闇にしか生きられぬ血塗れた人殺しの集団だ。
 その中でも特にこの男が気に障る。野蛮で血の気の多い、まさに野の獣。常に血の匂いが染み付いて離れない。

「勝手な行動をするな。それに血の穢れに染まった忍びどもを安易にこの場に入れるなと言っておいただろう」
「っせぇな。要は蹈鞴場に入らなきゃいいんだろ?」
「そういう問題ではない」
「だがそのおかげで奴らにまんまと好き勝手動かれたじゃねぇか」

 ぐっと行尊が詰まる。甚だ癪だが、この男の指摘はもっともだった。

「だから言っておいただろうが。奴はただの鼠じゃねぇってな。『呪鎖』とやらを施した牢くらいで捕らえこんでおけるわけがない」

 あーあ、と盛大に嘆息し、不知火はここぞとばかりに言いたい放題言う。

「口を慎め。私はお前の雇い主だぞ」
「“あんた”じゃないだろうが。そんでもって俺はあんたらに仕えているんじゃなく、御頭の命に従ってるだけだ」

 なんとも傍若無人で口の回る男だ。行尊は舌打ちしたくなった。
 卑しい鼠どもが下手に知恵づくと、こちら側としては扱いにくく厄介なだけで、一利もない。
 “あの方”は一体何を考えてこの影梟衆(かげきょうしゅう)などを雇われたのだ、と心の裡で疑問を吐露する。その道でも名の通った選りすぐりの忍び衆であるというから、いた仕方なく了承したが―――第一、この男もさることながら御頭というあの男も胡散臭いものだ。全く疑わしいことこの上ない。
 脳裏に、一忍軍を統率するには随分と若い頭領の顔を思い浮かべる。油断ならぬ鼠というのであれば、むしろこの者たちこそがそうだと行尊は思っていた。
 そんな行尊が言い返すべき言葉を捜しあぐねていると、不知火はそれよりもとばかりに見事打ち倒された部下の情けない姿へ、チッと舌打ち交じりに蹴りを入れた。

「しっかしアイツ、十年も経ってるっつーのにちっとも腕落ちてねぇなオイ。俺の手持ちの中でも精鋭の野郎どもがまるで赤子扱いとは」

 完全に昏倒している中忍たちを見下ろし、不知火は忌々しげに唇を歪める。
 それにやや見下した素振りで、行尊は嘲笑した。

「名に聞こえた“梟”も噂ほどではないな―――だが案ずることはない。この迷宮を抜けられる者などおらん。掴まえるのも時間の問題だ」
「そこが甘いっつってんだよ」

 吐き捨てるような不知火の台詞に、行尊は柳眉をピクリと吊り上げる。

「お前は奴の見た目に騙されて軽く見てるがな、俺の知る限り『薬叉の雷蔵』っていう男は化物並に腕が立つ上に、えらく計算高い。勝算のねぇ戦は絶対しねぇ野郎だ。やべぇと思ったらさっさと逃げるし、そうすると痕跡ものこさねぇ」

 段々憎しみの篭ってくる不知火の口調は、過去に何かあったのだろうかと行尊に勘繰らせてしまうほど刺々しい。
 だが不知火は構わず続けた。

「アイツがあんな派手に勝負に出たってことは、何か考えがあるってことだ。用意周到な奴のことだからな、何を切り札に持ってるか分かったもんじゃねぇぞ」

 だから甘く見ないほうがいい―――そう続けようとしたところで、これ以上は聞く耳持たぬとばかりに行尊は踵を返した。

「おいおい」

 さすがに憎悪も殺意も忘れ、不知火は鼻白む。

「泣き言を言う弱虫に用はない。先ほどの伝令のこともある。早くあのお方にお伝えせねば」

 行尊は傲然と言い残し、一瞥をくれることもなく地上へ出る道を目指す。
 僧兵に囲まれて去るその頑なな背を見送りつつ、やれやれと不知火は嘆息した。今回の依頼主は少しばかり面倒臭い。
 それから眼先を戻す。ここに倒れ伏している部下達は当分使えそうにもない。雷蔵もさることながら、共にいた法師姿の男もなかなかの使い手のようだ。
 一方、未だ喧騒やまず収拾のつかぬ地下を見やりながら、不知火はグッと拳を握る。その場に誰かいれば、にわかに生じた殺気に中てられ、慄いたことであろう。不可視のそれはびりびりと岩壁を打つ。
 凄烈な憎悪と敵意を宿す眼で、侵入者たちの消えた方をじっと睨み据え、酷薄な笑みを口端に浮かべた。

(薬叉め―――ここで会ったが百年目だ。昔日の恨み、今こそ晴らさせてもらう)
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