5.懐かしき邂逅は



 本人たちの意思などお構いなしに、それ(、、)は突如として訪れるものだ。
 まさかこんなところで会うとは―――久方ぶりの友人を前に、月並みにも雷蔵は思ってしまう。しかし、よりにもよって今である。こんな場所で、こんな形で再会をする羽目になるとは、さすがに思いもよらなかった。
 しかも、まさに“見しやそれともわかぬまに”敵同士ときた。
 一瞬懐古の色に揺れた瞳は、すぐに何の感情も映さないそれに戻る。

―――本当に、久しぶりだね」

 噛み合わさっていた苦無の刃を、相手の力の方向の延長へ滑らすようにして、切り離す。

「まさかこんなとこで会うとは……」

 と、先ほど思ったことを口に出して雷蔵は忍び装束を見据える。強い敵意に彩られる目に動じないのは、それを向けられる理由に心当たりがあったからだ。

「もう十年―――か」
「ああ。里が滅んでからな」

 佐介は雷蔵を睨みつけながら、吐き捨てるように言った。滅ぶ、という部分に力が篭る。敵意の炎が更に燃え上がるようだった。
 やはり、と雷蔵は思う。
 佐介は―――かつての同胞は、“あのこと”を許していないのだ。
 それもまた予想していたことであったから、雷蔵も特に何を言おうともしなかった。

「で、何で君がここにいるわけ?」
「てめぇこそ。そんな胡散臭ぇカッコして、何してやがんだ」

 互いに臨戦体勢を取りつつも、佐介の言い様に雷蔵は苦笑する。確かに、暗器を構える僧侶というのは胡散臭いかもしれない。

「まあ、ちょっとした野暮用でね。佐介こそ、今は彼女に仕えてるわけ?」
「まさか。雇われてんのさ」
「彼等がやっていることを知っていてかい」
「関係ねぇな。あいつらが何をしようと、俺にはどうでもいい。俺はただ言われたことをするだけだ。この時においては、邪魔者を排除することとかな」

 ふぅん、と雷蔵は鼻を鳴らす。
 雷蔵が知る佐介は情に厚い男だった。だからあやめの所業を知っていながらも、彼女たちを手伝うというのはどこか信じがたいものがあったのだが。
 果たして佐介の言が真実心からのものなのか、それとも他に裏があるのかは、雷蔵には分からない。が、今はそれは問題ではない。

「本当に戦る気?」
「ここにきて今更何を言いやがる」

 さすがに呆れたように佐介は言う。それから眼光を鋭くし、

「もういいだろ。―――再会の挨拶はここまでだ」

 その言葉を合図に、佐介の姿が霞む。
 傍から見れば、消えたように見えたかもしれない。
 雷蔵は瞬間的にひらりと半身を引いた。紙一重で、腹部すれすれを銀の煌きが電光石火で過ぎる。返す刃で佐介は横へ薙いだ。その切っ先を、雷蔵はすかさず手に持った苦無で下から打ち上げる。
 攻防の応酬は、息をつかせぬほど激しさを増した。
 裏拳を放てば叩き流され、腕を払えば同じく腕で防御される。刃は刃で応じ、接近すれば衝突し離れるといったことを繰り返す。堂の中に、風を切る音と金属を打ち合う甲高い響きが反響した。
 闇の中、黒い影が疾風の如く交錯する。それはもはや常人離れした速さと言っても良かった。

 雷蔵は戦いに向ける意識の傍らで、ふと考える。
 明かりは消えているのにも拘らず、先ほどから目が利く。もともと仕事柄、夜目は人一倍利くように慣らされていたが、それにしても相手の細部を視覚ではっきりと捉えることができるということは、おそらくどこからか光源が入り込んでいることになる。
 ちらりと目を上へ流せば、天井の、太い梁がめぐらされたさらに向こう側に、かすかだが月明かりが確認できた。角度からして、まだ子の上刻(11時)を過ぎたころだろうか。

 呪詛には適した時間帯というものがある。もちろん上級の術者になればなるほどそのような制約は関係なくなってくるが、それでも成功する確率が高い方を普通は選ぶ。呪詛は一歩間違えれば己の命を呪い殺す諸刃の術であるからだ。
 そして、呪詛に適した時間とはすなわち丑の刻。『丑満つ時』とも呼ばれるように、闇に生きる異形たちが最も活発になる時間の区切りである。

 もしあやめを止めるならば、丑の刻までになんとかしなければならない。先ほど垣間見た限りではあやめの“中”にいる妖がどの程度のモノなのか判別がつかないが、下手に力を増されると厄介だ。それに、もしまだあの老夫婦の息子とやらが無事なのであれば、呪詛の贄に使われる前に防がなければならない。
 そんな考えに一瞬集中力が削がれる。ハッとした瞬間には、右腕に振動が走った。

「やれやれ危なかった」

 ふう、と息をついて雷蔵は笑う。咄嗟に挙げた右腕の袂は、長い刃に貫かれていた。

―――殺し合いの最中に考え事とは随分余裕だな、おい」
「それほどでも」

 場違いに明るく笑う顔を軽く睨み、佐介はチッと舌打ちをして刃を引き戻す―――ように見せかけて、無防備な脇を狙って横薙ぎにした。
 それを大きく後ろへ跳んで躱す。すかさず次撃を屈んで避けると、続けて襲ってきた下からの膝打ちを片手で受け流し、更に板間の床へと伏せる。
 転がって半身を返しざま、足技で相手の足首を狙う。その敏捷さたるや、飛矢の比ではない。
 佐介は軽く呻くと、床を蹴って飛ぶ。ただの足払いでも、まともに喰らえば骨すら折れることを、彼は知っていた。
 辛うじて躱した佐介が床に足をつけるよりも早く、身体を跳ね起こした雷蔵が左の横合いから更に回し蹴りを放った。

「くっ!」

 右利きの人間は得てして左からの攻撃には相対的に弱いものだ。それは訓練を積んだ忍びでも例外ではない。補えるほどに身体能力は高めているが、それでもほんの僅かな差異を完全になくすことは難しい。
 迎撃のために右手に持つ刀を繰り出すには、雷蔵の攻撃の方が早い。佐介は咄嗟の判断で左腕を翳し、右手で支えをして受け止めた。滞空している状態での防御は、踏ん張りが利かないため力でふっ飛ばされやすい。
 案の定佐介の身体は、堂の壁へと激突した。
 しかし雷蔵はそちらを見ずに、ハッと上を仰ぐと瞬時にその場から離れた。直後、雷蔵が立っていた所に、刃を下向きに立てた状態で佐介が現れる。切っ先が床に刺さり、大きな割目が走った。
 佐介は舌打ちをした。その上半身は、袖のない衣になっている。
 代わりに先ほど激突したと思われる壁の下には、忍び装束の上羽織を着た丸太が転がっていた。

「くそっ」

 誰へともなく毒づき、後ろを振り返った。雷蔵は堂内にただ一つ置かれた屏風の上でちょこんとしゃがみ込んでいた。
 膝に頬杖をつきながら、佐介を眺めやって茫洋と微笑む。

「諦めなよ。君は強いけど、准上忍(きみ)じゃ上忍(おれ)には敵わない」
「うっせぇ!!」

 佐介は憤慨したように怒鳴り上げた。

「何故本気を出さない! てめぇが今の隙を逃す筈がねぇだろ!」
「そりゃあ俺に君を殺す気はないもの」
「今更何を抜かす!!」

 裂帛の気合を発しながら我武者羅に斬りかかって来る。
 金箔を張った屏風が真っ二つに割れる前に、雷蔵はその上から離れた。
 佐介は刀を手に踏み込んでくる。だがどの剣閃も狙い通りに当たることはない。手法構わずといった風に、ただ闇雲に刃を振り回す。剣先に心の動揺が現れすぎていた。雷蔵にとってこの状態の攻撃を躱すことは赤子の手を捻るよりも容易い。
 ひらりひらりとすべて躱され、佐介の中に焦燥と苛立ちが募る。

「だから無駄だって」

 全く息切れのしていない涼しげな風貌に、腸が煮えくり返る。

「糞ったれ!!」

 佐介が叫びながら、更に強く踏み込んで袈裟斬りに刀を打ち下ろのすと同時に、雷蔵は前以上に大きく跳んだ。
 そのまま、決して高くはないが低いともいえない天井の梁の上に着地する。
 佐介を見下ろし、柔らかに微笑みながら、よく通る声で静かに言った。

「分かっているだろ―――君は俺には勝てないよ、『按察使(あぜち)衛門佐(えもんすけ)』」

 悔しげに歯噛みしていた佐介の表情が、その呼称を耳にした途端歪んだ。
 それはかつての佐介の通称だった。『按察使』とは中央から派遣される地方監査の役人、そして『衛門佐』とは宮中の中郭を警備する衛府の次官のことを言う。だがいずれも指すところは京のそれではない。
 佐介は数拍俯き加減に歯軋りすると、おもむろに顔をあげ激昂したように怒鳴った。

「どうして殺さねぇ!! 情けか? 哀れみか!? それとも償いのつもりか!!」

 刀を横へ振り切り、月明かり幽かに浮かぶ梁上の男を睨みつけた。瞳には烈火のごとく激情が燃え上がっている。

「そんなことをするくらいなら、どうして“あの時”見捨てた!!」

 体の底からの叫びに、堂の壁がビリビリと振動した。
 雷蔵はじっと黙ってそれを甘受する。

「何故里を見捨てて逃げたんだ!!」

 佐介は大きく刀を振りかぶった。剣圧で、床に大きな亀裂が生じる。
 そう―――雷蔵と佐介は、山城にかつて名を馳せた忍び衆『京里忍城』の同志だった。地方探査方監察役にして、陽動隊と対をなす陰動隊の副将として指揮統括していた佐介は、その役どころからもっぱら職名を『按察使の衛門佐』と呼ばれ、一方忍薬所で(かしら)を務めていた雷蔵は『典薬寮頭(てんやくりょうのかみ)』と呼ばれていた。
 そしてそれだけでなく―――

「てめえは〈秘伝〉の継承者だろ。あの最強の奥義を唯一伝授された人間だろうが! なんであの時にそれを使ってくれなかった。それさえ……〈秘伝〉さえ使っていれば」

 喘ぐように、訴えるように続ける。

「織田の軍など敵じゃなかった。里が燃えることも、皆が死ぬこともなかったんだ」

 そう。京里忍城は、十年前、織田信長の透波狩りの犠牲の一つとなった。
 普通ならば決して外部の人間が突破することのできないはずの『結界』を越えて、彼らは侵攻してきた。
 そしてその中、雷蔵は〈秘伝〉と呼ばれる巻物ひとつを持って、隠れ里を脱出したのだ。悲鳴と炎に包まれる里を背後にして。
 雷蔵は何も答えない。佐介の言っていることは事実だ。だから弁明する気はなかった。弁明は許しを乞うための行為であり、雷蔵には許しを得る資格もなければ元よりそのつもりもないのだ。
 床に刻まれた大きな裂傷。それが佐介の心に負った傷を表しているようで、ただ瞼を伏せた。

「何で何も言わねぇんだよ!!」
―――…」
「何とか言えよ!!」

 手裏剣が足許に刺さる。京里忍城特有の、十字型の中に五芒の星を彫り込んだものだ。
 それを無表情に見やり、雷蔵は梁の上から飛び降りた。
 軽く着地をすると、そこに容赦ない剣の一撃が襲う。二撃、三撃と続くが、それすらも軽く往なす。佐介の動きには隙があった。制そうと思えば簡単にできるだろう。
 しかし雷蔵は決して攻撃に転じることはなく、感情の凪いだ瞳を旧友に注いだ。

「何を言ったところで言い訳にしかならない」

 はっと佐介の双眸が見開かれた。

「それとも言い訳が聞きたいの?」

 紙一重で躱しながら、淡々と問う。

「言い訳だろうが何だろうがどうでもいい! 俺が知りたいのは真実だ!」

 返ってきた言葉に、雷蔵はしばらくの間逡巡するように目を伏せ、そして開いた。

「それが命令だったからだよ」

 攻撃の手が止む。
 佐介は肩で息をしながら、はたと瞠目して、雷蔵を見た。

「何があろうと〈秘伝〉を渡してはならない。必ず落ち延び、守り通せ―――これが長の最期の言葉だった」
「……だから、里を見捨てて逃げたって言うのか?」
「そうだよ」
「それじゃ理由にならねぇだろ、何故使わなかったんだ! 逃げるなんてことしなくとも、織田の軍勢を撃退できた筈だろ!?」
「だからだ」
―――えっ?」

 憤っていた表情が、一転虚を突かれたものになる。
 それを見返して、雷蔵は淡々と答えた。

「敵があの『織田信長』だったからこそ、〈秘伝〉を使うことができなかったんだ。諏訪に連なるかの血筋の力は伊達じゃない。あそこで俺が〈秘伝〉を使っていたら、間違いなくあの男に『捕捉』されていただろう。さすがの俺でも、〈秘伝〉を継承したばかりで逃げ切る自信はなかった」

 信長は、と続ける。

「彼はまさしく戦乱の申し子だよ。誰よりも強く、天を覆す力を秘めている。あの男は自他が称するほど悪の権現でもないけれど、でももし〈秘伝〉の力を手に入れれば、必ずこの世に災厄を起こす。〈秘伝〉とはそういうものなんだ。使い方次第で正にも負にも働く。たとえ継承者が死んだとしても、あの男ならば無理やり〈秘伝〉を我がものにすることすらできる恐れがあった。それだけは何があっても防がなければならない。―――前代であった長はそれを肌で感じ取っていた。だから俺に〈秘伝〉を託して離脱を命じたんだ」

 佐介はあれだけ射抜くように注いでいた視線を逸らし、苦々しい顔をした。信じられない、という顔でもある。
 雷蔵は構わずに言う。

「信じる信じないは君の自由だ。俺はどちらでも構わない。少なくとも里を見捨てたことに変わりはないからね」

 返事はない―――もしかしたら信じていないのかもしれない。
 しばらく見て「ただ」と雷蔵は続ける。どこからか風が入ってきたのか、幽かに服の裾が揺れた。

「俺はあまり君と戦いたくはないんだ」

 佐介がハッと顔を上げる。しかし―――急に眼が眩んだように、しきりに両瞼を瞬いた。膝が木張りの床の上に落ちる。
 佐介は自分に起こった異変の原因に気付き、今にも閉じそうな目を必死にこじあけて呻いた。

「て……めぇ、薬を」
「悪いね。これが終ったらちゃんと決着をつけよう」

 その言葉は果たして届いたかどうか。赤毛の忍びはついに地に伏した。
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