「迷信かと思われるでしょうが、確かに私たちの村には神がいたのです。でなければ―――」 鏡を抱える手が震えていた。 「でなければ、こんな呪いは説明がつかない」 「さっきも言ってたな。呪いって何なんだ」 美吉は訝しげに眉を寄せた。 「……それは祖父の時から、祭りの途絶えとともに始まったと言います。山には獣や菜の数が減り、川の魚もまた減りました。稲は育たなくなり、畑は痩せ衰えていくばかり。天候に変わったところはなく、他の村にも異変がないのにも関わらずです。 「遭いかけた」という言い回しが引っかかる。神隠しはその実、多くが神や妖の類ではなく、人攫いや事故など現実的な原因による場合が多い。中には真に説明のつかぬものがあるが、いずれにしても未遂というのは珍しい。 「発見当時、その子は気を失っていて殆ど覚えていなかったのですが、ただ何かに呼ばれたと言っていたそうです」 美吉の疑問を見越して、少女は説明を加える。 美吉は少し考え込む風に口許に手を当てた。 「異変が起き始めたのと、祭りが廃れたのが同時期だと言ったな。何故祭祀を行わなくなった?」 「―――長老の話では、ある時から急に神が応えなくなったと」 低く少女は呟いた。 「御座村は神山に囲まれているせいか、異能を持つ子どもが生まれやすい土地柄です。その中から選ばれた巫覡が神と交信を行うのですが、当時の これもまた聞くだに妙な話だった。美吉の知る限り、神も妖魔も、その源は人の信心だ。信仰のあるところに神は生まれ、逆にいえば人々の信仰心が失われぬ限りその存在が消えることはない。 となれば、外部からの何らかの力によって消滅ないし追い遣られてしまった可能性が高い。 それと少女の述べた呪いと関係があるのは充分に考えられた。 「それで、何故そこで神通力のある人間を探すことになるんだ」 「村の長老は、神が失われたのは呪いのためだと言いました。村全体にかけられた呪いを解くには外の力に頼るほかなく、なおかつ神を見出すことのできるのは神に通ずる能力を持つ者しかいないと。私は長老からこの神鏡を渡され、神通力を持つ方を探すよう命じられて、旅に出たのです」 その鏡はかつて神宝として社に祀られていたものだという。村で使いこなせる者は限られていることから、少女に白羽の矢が立ったようだ。だが他にも同じ使命を受けて旅だった者がいると彼女は語った。 それだけ、現状が切迫しているということか。 少女の面は依然として昏い。血の気が足りぬせいばかりではないだろう。 (こいつは雷蔵の管轄だ。俺の手には余る) 確かに美吉は強い力を身に宿してはいるが、その使い道―――呪術の方はさして修行を積んでおらず、あまり得手ではない。それに微調整が必要な術道は、基本的に不安定な美吉の力とは相性が悪い。 わずかに逡巡してから、美吉は己の左目に意識を集中させた。普段は現の光をほとんど映さぬ眼だが、“力”を解放すれば、現には表れぬ“真”を視通す。 本来、無断で相手の過去や裏を暴くのは気持ちの良いものではない。しかし少女の言っていることが本当かどうか判断するにはどうしても必要だ。美吉としては、殊この手合いの話に敏感にならざるをえないため、たとえよろしくないことと分かっていても、己を守るためには呪われた力に頼ることも厭わない。 (そういえば、『忌むのではなく、飼い馴らせ』と言ったのは師匠だったな) 封じたところでどうせそこに在ることは変わらないのだから、いっそのこととことん利用すればいいと、紫香は生前に言っていた。 この力を使いこなせるようになれば、かの神と向き合うこともできるだろうか。 そんなことを片隅で思いながら、美吉は少女に視線を向けた。瞼に力が籠り、かすかに細まる。 慎重に知りたいことだけに絞って力を研ぎ澄まさせる。うまくやらねば彼女の辿って来た膨大な記憶がすべて瞬時に流れ込んできてしまい、こちらが耐えきれず潰れてしまいかねない。 無言の美吉を訝しげに見つめ返している少女を通し、その奥へと手探りしながら潜る。次々と目まぐるしい映像と情報が左目を通して脳裏を支配する。 その中で視えたものに、美吉ははっとする。 (これは―――) 声を出しかけ、すかさず抑えこんだ。怪しまれぬように目線を逸らし瞼を閉じる。 胸内は僅かに早鐘を打っていた。 (偶然なのか? それとも) 謀られているわけではあるまい。少女の苦悩も歎願も嘘偽りのないものだ。 運命など信じてはいないが、これも眼に見えぬ誰かが糸を引く罠なのだとしたら。 (……いいだろう、乗ってやろうじゃないか。イチかバチかだ) いずれにしろ関わってしまった以上、この少女をこのまま見捨てるわけにもいかない。甘ちゃんだと分かっていても、こればかりは性分なのだ。 視線の先を睨み据え、心を定めて一つ大きく深呼吸をした。 「ったく、仕様がねぇな」 頭をがしがしと掻いた。 「要は、その村へ俺を連れていきたいってことなんだろ」 「信じて……くださるのですか」 自分から懇願しておいて、にわかには信じられぬと言わんばかりに少女は大きな瞳を更に大きくして美吉を凝視した。 「何だよ、信じて欲しくねえのか?」 「いえ、そんなことは……ですが、その、本当について来て下さるのですか?」 「俺が頷かなきゃしつこく纏わりついてくるつもりだろ。それはそれで面倒臭ぇからな」 図星だったのだろう、少女がはっと気まずそうに恥じらった。透視した際に、たとえ断られてもすっぽんのように食いついこうと決意を固める少女の心が見えたのだが、別に透視しなくとも少女の顔を見ていればその程度は一目瞭然だった。 「だが期待はするなよ。生憎と俺にゃ呪いをどうこうできるなんて保証はできねえんだからな」 力強く頷く少女を横目に見ながら、美吉は沈思した。 そして立ち上がるや、街道を見渡しあるものを探す。確か茶屋に至るまでの道端で見かけたはずだ。 果たして、茶屋を越えたところの草叢の中にそれを発見する。 美吉は少女を見下ろし唇を開いた。 「そういやお前、名前は?」 「え?」 何を問われているのか惑い、ようやく理解した少女が「 「よし。じゃあ紫、ちょっとここで待ってろ」 少女を置いて、美吉は大股でそこへ向かった。 「雷蔵」 通り過ぎ際、不意に耳元でした声に、足を止めた。 「どうかした?」 少し先を行っていた少年が不思議そうに問いかけてくる。 いつぞやはこうして歩みを止めれば刺々しい声をかけてきたものだが、あの一夜以来がらりと態度が替わり、今ではまるで子犬のように慕ってくる。よほど感動したのだろうか。人の心とは奇妙なものである。 その彼が飽きもせず楽しげに旅話をしていたところで、急に立ち止まった同行者を訝り、振り返って首を傾げている。 雷蔵は横を見下ろしていた。そこには草むらに埋もれるようにして、地蔵が立っている。 どこにでもいる赤いべべをつけた石造りの地蔵だ。とても言葉を発するような代物ではない。 だが雷蔵はそこに確かな術の気配を感じ取った。 (呪がかかっている) 浅葱は気づいていない。当然である。これは、特定の人間にのみ伝わるように練られた術だ。 「ちょっと待っていて」 雷蔵は一言言い置き、地蔵に近付くと、跪いて掌を合わせた。 傍から見ている分には法師が地蔵菩薩に合掌念経しているようにしか見えない。 だが実際は、地蔵に託された『言』を受けているのだ。 送り主は分かっている。どこぞかをフラフラしている相棒だ。 ―――妙な娘に捕まったと、言はそこから始まった。 年の頃はまだ15かそこらで名は紫という。どう見ても似合わぬ一人旅なのだが、少々込み入った事情があるらしい。話を聞く分には相当厄介で、どうやら自分の手には負えそうにもない。何より気にかかるのは――― 長くはない念言を受け取って、雷蔵は瞑目したまま得心する。 (なるほどね) 因果なものだ。自分たちはとことん波乱の星の下にあるらしい。 ちなみに彼らは今、越後の中ほどにいるという。一方こちらは伊勢の北である。九州からは主に商人の荷船を乗り継いできていた。浅葱は本来は西回りで岩瀬湊か能登あたりの越国を目指そうとしていたが、折り悪く海が大荒れに荒れ、とても船が出せないということで、已む無く瀬戸内を通り南回りで白子浦へ至り陸路で北上しているところだった。雷蔵個人としてはあまり近寄りたくない尾張国が隣であるものの、伊勢は神力に満ちた場であるから、何とか逃げきれるだろうという判断もあった。 雷蔵は双眸を開くと、一つ瞬きをした。ふむとばかりに逡巡し、軽く腰を上げた。錫状がしゃらんと涼やかな音を立てる。 そして徐に、錫状で地蔵の頭を二回叩いた。傍らで手持ち無沙汰げにしていた浅葱がぎょっとする。幸い人気のない道だから誰かに見咎められることはなかったが、それにしても不敬無礼極まりない。罰当たりもいいところである。 しかし雷蔵は気にした風もなく、声を発した。 「『美吉』」 気負いなく呼びかけると、地蔵の頭に手を乗せ、再び双眸を伏せた。そのまましばらくじっと念じる。 念言は念による言伝だ。各地至る所に路や境を鎮守するため立てられた道祖神や地蔵を媒介として、遠く離れた相手に言葉を伝える術である。一度放たれた念言は、受け手に最も近い道祖神によって報せられる。そして相手を指定するには、その人物の名と、互いをつなぐ共通の所有物が要る。雷蔵と美吉の場合は〈秘伝〉が“それ”だ。念言は“それ”を証として受け手を認め、受け手は“それ”を鍵として念言を受け取る。間違っても他者には念言の内容はおろか、存在さえ分からぬようにできているのである。なかなか画期的な通信手段なのだ。 直接面会することを禁じられた天地〈秘伝〉の継承者たちは、古くからこうした手段で相互に連絡を取り合ってきた歴史があった。京里忍城の里長屋敷の奥庭には、その専用の地蔵が置かれていたのを、雷蔵も目にしている。 伝えるべきことを念に乗せ終えると、目を開け手を離した。 そしてすっかり目が点になっている浅葱へ「行こうか」と声をかけ、何事もなかったように歩き始めた。 |