塗籠から部屋に戻って来たところを不意に呼び止められる。佐介だった。空き部屋の陰から手だけで招く。 雷蔵は惣之助に先に戻って休むようと声をかけると、空き部屋へ身を滑り込ませた。 「仙台の身元について探ってみたぜ」 襖を閉めきった闇の中、開口一番佐介は囁いた。 雷蔵の双眸が煌めく。 「それで?」 「大当たり。お前の読み通りだったよ」 暗中で佐介はにやりと笑み、委細を説明する。聞き終えてから「やっぱりね」と雷蔵は頷いた。 「それにしてもよく気づいたな」 不思議そうに瞬く同胞へ笑ってみせる。 「簡単な連想法さ」 仙台春季は謀反計画の首謀者だ。そのうえで一度目は御前直属の「影」に、二度目は身内から命を狙われた。ところが一方、実治は特に何の害にも遭っていない。ということは謀叛計画とは関係なく、春季は最初から一人目標にされていたとしか考えられない。では一体何故なのだろうか。春季が命を狙われるのに他にどんな理由が隠されているのか。そう考えた時に、ふと彼の出生の謎が引っかかったのだ。 ようやく得心がいったかのごとく、佐介は梁に背を預けた。 「道理でなあ。ていうかお前もつくづく間がいい時に居合わせるよ」 「俺としてはもうそろそろこんな面倒事からお役御免となりたいところだけどね」 一体何の因縁なのやら、とやや顔を顰めて言うのに、キヒヒと揶揄するような笑い声が返る。 「因果だな。まあお前が居なけりゃ俺も命がなかったかも知れないけど」 雷蔵が寸前で制止しなければ佐介は確実にあの毒酒を口にしていたはずだ。 しかし雷蔵は、それはない、とばかりに首を振った。 「君だって訓練は受けただろ。女郎紅は無味無臭だけど、舌の痺れですぐ気づいたと思うよ」 佐介や雷蔵たちは幼い時から忍び修行の一環として、種々の毒の味や効果を己の身をもって少量ずつ試すことを繰り返している。更に厳しい修練の末に、どんなものでも口にする時はまずすぐに呑み込まず、少量を取って舌の上で確かめる癖が身についていた。また、毒にはある程度身体を慣らしてもいる。雷蔵ほどではないにしても、佐介にも多少の耐性はあった。街中の茶屋でさえ、どれだけ安全と分かっていても無意識に確認してしまうのは、もはや職業病に近い。 「まぁそれはいいとして」 小さく咳払いをしてから佐介が話を本題に戻す。 「例の平野某という男についてだが」 気持ち声色を落としてから、囁く。 「少々時間がかかったが、『裏道』の情報屋を当たってみたら分かったぜ。最近平野の子飼が『薬種問屋』連中とツナギをつけたらしい。そこで『薬種問屋』間の網を探ってみたところ、近頃この地域で女郎紅を売った例は一件だけときた。下手人は奴でまず間違いない」 『薬種問屋』は佐介流の隠語で、毒を専門に扱う売人のことだ。佐介は富豪の下人を装い、裏社会の情報屋から聞き出した方法で売人と接触し、それとなく直近で女郎紅を買い求めた者がいるか聞き出したのである。女郎紅は毒薬として珍しくはないが、常用されるというほどでもないので、売買の記録はすぐに調べられた。 「危うく俺まで道連れにされるところだったのかと思うと胸糞悪いが」 運悪くも同じく偶然居合わせた同胞は口を尖らす。雷蔵は微笑するに留めた。 「ところで何だけど、君に言っておかなければいけないことがある。今回のことについて、悪いけど恐らく大きな内乱とかは起きずに終わると思う」 これに、佐介はまるで予め承知していたかのように、ややふてくされた表情で吐き捨てた。 「どうせ丸く収めちまう気だろ」 「別に内紛を防ぐつもりではないんだけど、この分なら結果的にそうなってしまうだろうね」 雷蔵は肩を竦めた。 「すべては一本の線で繋がっているんだ。そして俺もこれ以上こじれる前にさっさと終わらせたい。けどもし君が止めるというなら」 「止めねえって。止めねやしねえからひとまずその怪しげな小瓶をしまえ」 佐介は慌ててすかさず何やら取りだそうとしている雷蔵の腕を抑えた。 「おや、随分と素直」 「無駄と分かってることはしねぇだけだい。大体こんなお粗末なお家騒動程度じゃ、こちらとら何の足しにもなりゃせん」 「分かってるね」 にこりと笑って雷蔵が応じる。佐介は依然面白くなさそうだが、この男にばったり会ってしまった時点で事態が思うように運ばなくなるのは薄々予感していたことであり、早々に諦めはついていた。 佐介の同意を得たこともあって、雷蔵は先に計画の内容をつぶさに語る。 「それで? 事を起こすのはいつだ」 「まだしばらくはかかりそうだね。惣之助殿の感覚が戻るのを待たなきゃいけないから」 大丈夫なのか?と疑わしげな佐介の問いかけに、本人次第だよと応じる。佐介は唸った。 「けど、本当にそれですべてが解決するんだろうな」 「その点は任せてくれ。ただ佐介には悪いけど、その時まで綿菓子殿が変なところでうっかり死んだりしないよう見張っていて欲しいんだ」 本気で命を落としかねぬ危険は今のところ二度とも雷蔵が押さえたが、そう運よくいつでも居合わせるとは限らない。佐介には陰から春季の行動を見守り、危険が迫ったら適当に護ってもらいたかった。この場で春季に死なれると、雷蔵としても計画上困る。 「あーあ、やだやだ大の男のお守りなんて」 肩を竦めて愚痴る佐介に雷蔵は小首を傾げる。 「君が普段やってることだってそう変わらないだろ」 「おい、うちンとこの殿様とあんな万年常春男を一緒にするなよ」 「はいはい」 歯を剥く佐介を雷蔵は適当に往なしながら、その胸元をトンと叩いた。 「期待してるよ、衛門佐」 その一言に佐介は不覚にもドキリとして口を詰まらせた。それから憮然とこめかみのあたりを掻く。もう過去のものだというのに、未だに『衛門佐』の称号を聞くと、反射的に矜持めいたものが擡げてしまっていけない。全く人遣いが荒いわりに煽てが上手い奴だ、と心中で毒づいた。しかし「任せろ」と答えるのは癪なので、別の悪態にすり替える。 「ちぇ、結局タダ働きかよ」 いいさ、ここまで来たらとことん使われてやらぁ―――自棄になってブツブツと吐き捨てながら、話は終わりと襖を引く。 先に表へ出ようとしたその背に、雷蔵はふと告げた。 「そうそう、明日は雨は降らないよ」 何事かと振り向いた佐介は、何を言われたか分からぬ風でいたが、やがて何も訊き返さず「そうか」とだけ頷いた。 |