7.脱走者 見張りの当番の回ってきたその僧は、いささかうんざりした顔で、階段を下りていた。この時間からは二人での監視体制になるからマシといえばマシなのだが―――手の提灯で闇に沈む冷たい階を照らしながら、重く溜息をつく。 いつまでこんなことをし続けなければならないのだろう。町に入る外の人間を掴まえては、地下牢に閉じ込めて。上は一体何を考えているのか。下っ端の自分には何も教えず、ただ命令を下すのみ。聞いてもはぐらかされるばかりだ。ただ彼らの信念を尊敬し、崇拝しているので、今は何も言わず従っているが、俗世から脱し悟りと救いを求めるために出家した身としては、この行為は正直あまり快いことではなかった。上は、「これも我らの切なる宿願を果たすため。決して罪深きことではなく、むしろ神もそれを必ず望んでおられる」と言うが、そう信じきれぬのは自分の信心が足りないせいなのか。 打ち沈む気持ちの中、進む足取りも自然と重くなる。僧は再び、はぁーと長い溜息をついた。 灯の先に到着点を見つけ、心なしほっとする。この階段は何度往復しても慣れない。一段下るたびに何やら不気味さが増すようで、不快だった。だがここから先は、頼りない提灯の火だけでなく篝火もある。 境を踏んで、岩肌の続く細い通路を進んでいくと、ずらりと並ぶ牢房が見えてくる。果たしてここのご家老は、何の目的でこのようなものを作ったのだろう。想像もしたくないことに、僧は首を振りつつ座り込んでいる相方に近づいた。 声をかけようとして異変に気づく。反応がないと思いきや、前番のその僧は槍を抱え込むようにして寝息を立てていた。 呆れて彼は天を仰いだ。 それから、己の持つ長柄の石突で眠りこける相手の頭を小突く。 「おい、起きろ。何を暢気に寝ているんだ、見張りの意味を分かってるのか?」 なかなか起きない僧に業を煮やして肩を強く揺さぶれば、ようやく彼は寝ぼけた声を放って薄く瞼を上げた。 「ん~? なんだぁ?」 「なんだ、じゃない。任務中に居眠りとはなんたることだ。万が一奴らに逃げられたらどうする。上にバレれば、ただじゃすまないぞ!」 多少語息荒く言えば、ようやく頭に血が巡り始めたのか、相手はハッと目を見開いて、慌てて首を振った。 「そうだった。すまん、なんだか急に眠くなって、気がついたら」 「疲れることもあろうが、任務は全うせねばな。我ら下っ端にはそれくらいのことしかできん」 「そうだな」 未だに睡魔の名残を残す目尻を擦りつつ、僧は立ち上がる。 「迂闊だった。本当に、こんな時に人質に逃げられでもしたら大事―――」 はは、と軽く笑いながら気まぐれに牢へ目を向け、 「……!?」 笑みの形で、僧の表情が硬直した。微かに頬が引きつる。 もう一人が訝しんでその視線の先を見やると、列なす牢房の一番奥。そこひとつだけが、もぬけの空になっていた。 「っ、どういうことだ!?」 初めから入ってなかったのだろうか。いや、確か牢は全部埋まっていると聞いた。 焦りと緊張で切羽詰った顔を相方へと向ける。だが彼もまた、蒼白になった面を見せるだけ。 「鍵は!?」 慌てて袂を探る。変わらずの重みを感じて、彼は困惑と焦燥の入り混じった顔を上げた。 「ある……」 「ちゃんと閉めたのか!?」 「あ、ああ。あの時にちゃんと―――」 「確かなんだろうな!」 二人して誰もいない暗い牢に近寄り、扉を確かめる。だがそこにはしっかりと頑丈な錠のかかったままだ。しかもこの牢だけは、特殊な鍵を使っているのだと、予め聞いている。 「どういうことだ!!」 訳が分からずに、番をしていた僧へ当たり散らす。だが、彼も今にも泣きそうな様子で、震えながら小刻みに首を振った。 「わ、わからん……」 哀れなほど真っ青だ。 こんなことが知れれば、ただではすまない。 特殊な鍵を使っていたということは、それだけ重要人物ということではないか。 「牢を破ったのではないとすると、中に抜け道が!?」 そんなことはありえないと、常識とこの地下洞窟の構造を教えられた理性では分かっていても、混乱する頭ではそれ以外の方法が思いつかない。 怯える僧を叱咤しながら、急いで旋錠を解く。手が震えるせいでなかなか鍵穴に差し込めず、もどかしさを感じながらも、ようやくカチ、と小さな音を立てて錠が開いた。 差し込んだ鍵もそのままに、押っ取り刀で格子扉を開く。そこで一息呑んで、恐る恐る提灯を中に差し出しながら、足を踏み入れる。おぼろげな灯に返るのは、ただただ黒光りする岩肌ばかり。そのどこにも、人影らしきものは見えない。 よもやどこかに抜け穴でも開けたのか。 そう思い、二人が牢の中で戸惑いながら首を巡らす。―――その頭上。 鉄格子の上部、その両角の天井を背に、岩の凹凸を利用して器用に張り付く2人の法師の姿があった。 彼らは互いに目配せし――― ふと頭部に何かを感じて、下にいた僧侶の片方が何気なく首を仰がせた。 「ぅわ……っ」 「!?」 ドガッと鈍い音が岩肌に反響する。 突如舞い降りてきた人物によって、声を上げる間もなく、見張り番の僧侶は揃って昏倒した。 「ふぅ」 軽く息を吐き、ぱんぱんと手を叩きながら、二人は立ち上がる。 「さて、どうする?」 小気味よく首の骨を鳴らしながら、美吉は雷蔵に訊いた。 「そうだねぇ、とりあえずこの二人には俺達の代わりに此処に入っていてもらおうか」 「バレねぇか?」 己の髪の毛を引っ張りながら、一応言ってみる。倒れ伏す二人組は、顔はごまかせども、頭部の寒さ度は似ても似つかない。 だがさして重要な問題ではないというように、雷蔵は微笑した。 「君、俺を誰だと思ってるんだい?」 「いや誰って言われても」 茫洋と呟きかけて、その意に思い至り、「あ」と手を打った。 美吉が察したのを確認してから、雷蔵は再び地面で伸びている見張り番たちに目を落とす。 「幻術をかけて、しばらく俺たちと彼らの姿を取り替えよう」 雷蔵は薬術の他に幻術も修めていた。それは彼が生来特殊能力者であったがために、隠れ里京里忍城の長により、妖術まがいの外道の法を扱う忍び連中に対抗する戦力として教え込まれたものだったが、潜在的な力の強さが相乗して、そちらの技能は並外れて高かった。だからこそ、他の忍びたちに怖れられたとも言える。 「でも術自体はそんなに長くは持たない。彼等が目を覚ませば、その分早く術が解けることもある」 「あんま悠長にしてらんないってことか」 その割には二人ともいささか悠長である。 「一度上に出るか?」 「いや。君の話からすると、地上の入り口は外から鍵をかけられてしまっているんだろ。打ち壊しても良いけど、時間がかかる上に目立ちすぎる。外の状況も分からない」 雷蔵は視線を走らせながら述べる。 「隠密行動をするなら、それよりもこの二人に成りすましたほうが何かとやりやすい」 「確かに」 美吉も、天井あたりを見上げながら同意を表す。それではどうやって脱出するのか、とは訊かない。雷蔵の意図は、美吉にとっては尋ねずとも明白だった。 「これだけの炎が消えずに灯っている―――そのうえ揺れているってことは、どこかに通気口があるはずだしな」 抜け道となるほどではないかもしれないが、地上へ続く穴があるという事実だけで十分だった。それさえあれば、自分達にとって道を作ることはさほど難しい問題ではない。 「次の交代が来るまでにはまだしばらく時間があるだろうから、このままもう少しこの坑道を探ってみるのもいい」 「お前はいいのか?」 「まあ、いずれにしてもとりあえず彼女を探さないと。あのままにしておくのも何だか気になるし」 そう言って、洞窟の奥をみやる。行尊たちはあちらへ去っていったのだ。 「そうだな」 じゃあ、とりあえず行く道は同じだ。 そういう美吉に無言で頷き返し、雷蔵はおもむろに両掌を組み合わせ、素早く複雑な印を結ぶ。 それから、小さく文言を唱え始めた。 |