21.戦火立ちて漁火遠く 早人は下ろしていた瞼を押し開いた。 ―――来たか。 彼の眼前には相も変わらず、明かりの中で光り輝く酒の泉が滾々と滴っている。 早人は〈神血〉の源泉を正面に、少し離れた場所で座禅を組み、瞑想していた。完全なる「無」にたゆたっていた感覚の琴線に、何かが触れた。それが彼を現実に引き戻した。 ゆっくりと立ち上がる。酒精に浸る暦盤と、その上の巻物を見下ろす。 小さく振動していた巻物が、今はひっそりと静まり返っていた。 それを何の色もない瞳で見つめ、同じくらい色ない声音で静かに述べた。 「“これ”を取り戻しに来たのだろう? そんな所に居ず、降りてきてはどうだ」 ―――しかるべき継承者よ。 そう告げるや、天井の暗がりより人影が舞い降りてきた。 明るい木床に音もなく着地した三人の人物に、早人はゆったりと身体を向けた。 優しげな面立ちの年若の法師と、こちらは対照的に愛想のない青年法師、そして憎悪を込めてこちらを睨めつけてくる少女。まさしく三者三様だ。 「やあ。預け物を引き取りに来たよ」 額面通りちょっと落し物をしたとでもいわんばかりの、場違いなほどのんびりとした口調で、雷蔵は微笑んだ。 その言動だけで、相手がどれだけ場慣れしている者か、早人にも分かる。 美吉が詰まらなそうにぼやいた。 「あまり驚かねぇな」 「この建物には儂の結界が張ってある。侵入者があればすぐに分かる」 尤も―――早人は横目で壁を見やる。 これだけ表で大騒ぎになっていれば、嫌でも心の準備はできるというもの。 「それがどういうものか、分かってはいるようだね」 早人は視線を雷蔵へと戻した。 雷蔵はチラリと、円盤に貼り付けられたそれを一瞥する。何とも随分な扱いだ。あれでは中に宿る“モノ”も相当怒り心頭であることだろうと、同情ともつかぬ感想を抱いた。 「これほどの名器は、千年に一度に生まれるか生まれないかであろうな」 早人の低い声が、感嘆を含んで響く。 「まさしく神の作りし器。儂はこれまでいくつもの呪具呪器の類を見てきたが、これほどまでに洗練された、完璧なものは見たことがない」 歌を吟ずるように述べ、手が濡れるのも構わず、その巻物の淵をゆっくりと撫でる。 なびきの横で、美吉の背にぞぞっと怖気が走った。直接の我が身ではないが、自分の持ち物だけにえもいわれず気持ち悪い。頬を引きつらせながら、「気色悪ぃ言い方すんのやめてくれ……」とげっそり呟く。 「お気に召したのは結構なんだけどね」 雷蔵はどうしたもんかなというような顔で首を傾げた。 「観賞物じゃないんだ。そろそろ返してもらいたいのだけど?」 「そう簡単にはいかないことは、そちらも分かっているだろう?」 雷蔵の表情は変わらない。分かっていての、形式的な挨拶のようなものだ。先礼後兵ともいう。 「この騒ぎで皆そちらに気を取られている。大声を出しても誰も来ないよ。こちらも手荒なことはしたくはない。大人しくそれを返してくれれば、ここから去ろう。君らのことも他言しない」 「そうはいかぬ。その娘といるところを見れば、話はすべて聞いたのだろう。主らが人ならば、この状況を見捨ててはいけぬはずだ」 冷たく不気味な眼差しを浴びて、なびきがビクリと肩を震わす。しかし負けじと睨み返した。 「生憎こちらとら普通の人とはちょっと違うんでね。俺にしてみれば“それ”さえ取り返せればいいだけで、君らがやっていることについて興味はない。反乱でも下克上でも勝手にやればいいさ」 この言葉に、ハッとなびきが瞳を向けてくる。突き放されたような思いと、微かな、裏切られたという思いが複雑に絡み合ったそれに、雷蔵は見て見ぬふりをする。申し訳ないが、こればかりは事実だから仕様がない。美吉の〈秘伝〉さえ関わっていなければ、この場にはいなかった。 それよりも、雷蔵としては悠長にしていたくはなかった。あまり長く留まっているのは上策ではない。 しかしこの教祖の男が放つ不気味な気が、一目見た時からずっと引っかかっている。これは術者の気配だ。しかも、あの牢や錠にかかっていた呪と、漂う気の色が似通っている。あれをかけたのは間違いなくこの男だろう。 そしてここは彼の結界内で、いわば彼の手の内。下手に動けば死地となる。だから、話しながらゆっくりと辺りを探っているのだ。万一妙な術を罠に貼られていれば、ひとたまりもない。 相手の出方を慎重に窺いながら、雷蔵は続ける。 「できれば穏便に取り引きしたい。厄介事はごめんなんだ。君らの探していたものは、後ろの彼が持っている。返すから、代わりにそれと交換しようじゃないか」 フッと、早人は唇の片端を上げた。一度瞼を伏せる。 「そいつの口車に乗せられない方がいいぜ」 不意に上から降ってきた声音。 雷蔵と美吉の表情が瞬時に鋭く変わる。 一拍おいて、梁の陰から幾人か降りてきた。似た装束を纏う、忍びの集団。そして早人の両脇に降り立ったのは、不知火。そして―――虎一太。一瞬視線が交わったが、互いにすぐに離した。 少々宜しくない展開になってきた。雷蔵たちが侵入した時には姿が見えなかったことを考えれば、影梟衆もつい今しがた到着したのだろう。恐らく陽動に戦力を向けかけたところを、棟梁の読みによって、雷蔵たちの真の狙いであるこの場に馳せ参じたといったところか。 不敵というよりは憎々しげな笑みを口に刷いて、不知火が一歩進み出た。 「口で上手く丸め込むのは、薬叉の常套手段だ。うっかり信じて取り引きしたが最後、隠し刀でバッサリってのもありえるぜ」 本当余計な奴が来たな、と雷蔵は心中で溜息をつく。心持ち疲れたその表情を横目で盗み見て、美吉も「なるほどコイツか」と改めて不知火を眺めた。確かに頷ける。いかにも短絡的な男である。それよりも―――早人の右斜め後方に控える茫洋とした男に、美吉は眠たげな瞼を更に下ろす。こちらの方が、ずっと厄介そうだ。 緊迫した場の空気を打ち壊すかのように、バンッと大きな音を上げて、〈神御坐〉の観音扉が開かれる。 「御真主様!」 飛び込んできたのは行尊だった。 彼は刀を一振り片手に持ったまま、広間に対峙する者たちを見るなり、大きく瞠目して、声を失った。 「……な、」 地下に潜っていた行尊は、外の騒動を知るなりすっ飛んで来たのだ。もしや敵の襲撃かもしれぬ、と。 折角万全に整えた警戒態勢は見るも無残に崩れ去り、元凶は今なお外で暴れている。ほとんどの人手が使い物にならず、動ける者はみな化け物退治に向かってしまい、今『寺院』内はがら空き状態だった。この隙に敵に入り込まれたらひとたまりもないと思い、早人に警戒を促すべく慌てて向かってきたのだ。 なのに、行尊の憂慮をあざ笑うかのように、当の敵はすでに核心部に踏み込んでいた。驚かずにおれというほうが無理だった。 しかし早人は闖入者を一瞥しただけで、再び会話の続きとばかりに首を戻した。 「断る―――と言えば?」 雷蔵の表情には、先ほどまでの柔和さも微笑もなかった。スッと透き通った瞳は、一見氷のようでいて、違う。冷たさも、熱さもない。水晶のように何も映さない。 「……それは君らが持っていても何の得もない」 「なくはなかろう。〈秘伝〉だぞ。これさえあれば、わざわざ神聖な酒やちんけな盃など使って人や金を集う必要も無い」 早人は芝居がかった調子で両腕を開いた。 「一夜にして覇権を奪い、天下に君臨できる。〈秘伝〉の噂を知る者なら、誰しも知っていることだ」 「噂だよ」 「詭弁は無意味だ。儂はこれでも一端の術師。これほどの波動が、ただ真理を記したものとは思えぬ」 「……あんたは何を望む気だ」 むっつり黙っていた美吉が、低く問い掛けた。 はじめて早人の目がそちらを向く。細く眇めた。 「天下。ひいては我ら四ツ輪衆の国の樹立だ。最初は横溝などという小者に取り入って、藩の後ろ盾を得てからなどと考えておったが、もうそんな小賢しいことをせずとも良くなる」 「何度でも言おう。〈秘伝〉は継承者以外が持ってもただの巻物にすぎない。何の役にも立たない、無用の長物だ」 早人はくつくつと喉の奥で笑う。そのさまは、仮にも神を説く者でありながら、あまりにも不気味で歪に映り、なびきは底寒い恐怖を覚えた。 「居るではないか、そこに。〈秘伝〉を使える者が、な」 そう言って、ひたと目を当てる。 雷蔵は一旦瞼を伏せて、ふぅ、と億劫そうな息をついた。一通り探ったが、この広間内に心配していたような術の罠は見当たらない。教主の早人は、言うなれば結界術を中心とした呪術に長けているようだが、何かを作り出して使役したり、自在に言霊を駆使できる質の術者ではないようだ。 それさえが分かれば、こちらも思う存分やりたいように動ける。 「―――話しても無駄なようだね」 ならば、とその色素の薄い両眼から、更に色が抜けるように感情が消える。 「力づくで取り返すまで」 宣言した途端、場の空気がうって変わった。 先ほどまでの相手の腹を探り合うような生ぬるい緊張ではなく、明らかな士気が立ち込める。急激に絞られる戦意に、周囲の忍びたちがそれぞれに得物を構える。 よし来たとばかりに舌舐めずりする不知火の横から、影が進み出た。弾かれたように不知火が頭を上げる。 「御頭……」 無言のうちに棟梁の指示を感じ取り、不知火は悔しげに歯噛みし、黙然と足を引く。 お前の相手は、奴じゃないと。自分より高さのある背中は、そう告げていた。 「……やっぱり、君が来るか」 雷蔵は小さく笑った。双眸には相変わらず何の感慨もないが、凪いだ気が少しだけ、この状況を楽しむように揺れた。 虎一太も笑い返す。こちらはぼんやりとだが。 「借りはすでに返したからな。お前が依頼主に向かうというならば、こちらも相応の対応をせねばなるまい」 二人はゆっくりと足を運ぶ。円を描くように、互いの間合いを計りながら歩く。まるで獅子がそうするように。 ピタリと、ある地点で同時に止まった。雷蔵は錫杖。虎一太は後ろ腰帯に挟んだ忍び刀。 双方、無形の位で、指一本動かさない。互いに空気を読んでいるのだ。彼らは剣客や武道家のように、気合をぶつけて競り合うような闘い方はしない。 雷蔵は無感情に、虎一太はおぼろに、敵に対す。だから恐れられた。殺気も闘志も感じられないから、読めないのだ。 対峙したまま、ふ、と不意に虎一太が笑う。 「正直言うと、お前とは前から一度闘ってみたいと思っていた」 「物好きだね」 雷蔵の応えは素っ気無い。確かに共同で仕事をした時も、顔を合わせてすぐ打合せと実行で、終了するや帰里だったから、手合わせする間もなかった。しかしたとえ時間があったとしても、雷蔵はこんな面倒な男と闘いたいとなんて思わない。疲れるだけだ。 他愛もないような会話だが、張り詰める空気は変わらない。 なかなか実戦に移らない二人に業を煮やしたのか、控えていた忍びの一人が苦無を構える。 その手を、いつの間に側に来たのか、不知火に止められる。 「手ぇ出すな。御頭の邪魔になる」 それは男の闘いに他人が手を出してはならないとか、そのような陳腐な意味合いではない。第三者が入り込むと、逆に虎一太が動きにくくなる。下手すれば部下と依頼主を庇い、気にかけながら動かなければならなくなる。それだけ薬叉と言う元忍びが強敵だということ。それは実際に刃を合わせた不知火自身が嫌というほど知っている。だから止めた。 そして広間の真ん中で膠着する男たちを見やった。 それはどちらからだったのか。 身じろいだと思った瞬間には、影は無かった。 次に余人が確認できたのは、先ほどとは立ち位置が入れ替わった二人の姿。打ち合いは見極められなかった。金属音が、微かに聞こえたか聞こえなかったかくらいだ。 不知火は呆然と拳を握っていた。意識してようやく三合。それ以上は追いつかなかった。況や太刀筋など。 (あんの野郎、俺ン時手加減しやがってたな) 気づいて、腸が煮えくり返るほどの屈辱を感じた。ギリ、と握り込んだ掌に爪が強く食い込む。 一方、美吉は闘いが始まった時にすでに行動を起こし始めていた。なびきの側を離れるのは少々心配でもあったが、彼女も一応忍びの技を習った者だ。常人よりは動ける。小刀も持っている。それに影梟衆を信じるならば、忍びの世界に生きてはいないなびきを殺しはすまい。 自分は自分のなすべきことをしなければならない。折角雷蔵が一番厄介な男を引き受けてくれているのだから、この隙に何としても〈秘伝〉を取り戻さねば。〈秘伝〉さえ手にすればこっちのものなのだ。 貼り付けにされている巻物をそっと覗う。あらら随分憐れな姿になっちゃって、と半ば笑えるような、情けないような気持ちになった。中心からどんどん酒が沸いてくるのに、その酒は下で受ける壷から溢れる気配はない。何かのカラクリを見ている気分だ。 美吉は右目を伏せ、左目だけで渦巻く通力を見た。 台は言わずもがな、暦盤そのものは大したことはない。問題はあの針だ。あれさえ抜いてしまえば――― 呼吸を溜め、狙い定めてそろりと足を退き。弾けるように美吉は横へと走った。 と、その背後から羽交い絞めにしてくる者があった。不知火だ。 「おおっと、行かせるわけにはいかねぇな」 心底厭わしそうな表情を浮かべたのも一瞬、唐突に美吉は余裕気に口端を上げてみせる。不知火は怪訝そうに眉を顰めた。 「無謀だな。素手だからって、本当に俺が何の武器も―――毒針の一本も持っていないと思うか? 丸腰と油断させて、暗器を持っているってこともあるぜ」 「な」 言い終えぬうちに、不知火の右手の甲にチク、と鋭い痛みが走った。 “毒針”―――その単語が咄嗟に頭に過ぎり、反射的に手を離した。途端、重い蹴りが下から放たれる。肺に入りかけるのを、両腕で防御することで、吹っ飛ぶだけで済ませた。 「ちっ」 ハッとして右手を見る。 しかしそこにはふた筋の小さな赤線が走っているだけで、針の痕らしきものは見当たらない。 「引っかかったなお間抜け。抓っただけだよーん」 ニヤニヤと笑い、美吉が揶揄した。 「まだまだだなぁ、アンタそれで……うお!?」 言い終える前に、敵が鎖鎌を抜き放ってくる。前振りはない。凄まじい瞬発力だ。 不意打ちの鎌を仰け反って躱す。そのまま頭部が床すれすれになるまで反り返って、耳の横で左右の掌をつき、すかさず両脚を跳ね上げさせる。美吉の動きが予想を上回っていたのだろう、驚く不知火の身体に、爪先がめり込む。 カン、と固い音がして、美吉は「うぎゃ!」と妙な悲鳴を上げた。それでも反動をバネにして、とんぼ返りを繰り返し体勢を立て直す。爪先がジンジンしていた。結構、いやかなり痛い。爪が割れたかもしれない。 不知火は不知火で、してやったりという笑みながら、どこか昏く引きつった表情で美吉を睨みつけている。 「金的狙ってくるたぁ、さすが薬叉サマのお仲間だ」 「……ということは一度やられたことがあるってわけ、ね」 ははは、と同情ともつかぬ力ない声音で美吉は笑う。 こればかりは敵味方無く男なら非難されても仕方ない(むしろ非難囂々だろう)攻撃であるが、雷蔵に言わせれば「最大の急所を狙わなくてどうするのさ。訳分からない義理立てに何の得が?」だそうだ。全く憎たらしいほど合理的で、卑怯である。 不知火が再び鎖と鎌を構えなおす。 美吉は腰を低く保つので留めた。錫杖はなびきの隣に置いてきており、今は素手だ。 不知火が短気な性だと見抜いた美吉は、そのままのらりくらりと殺気を躱す。美吉は極端に面倒臭がりなだけで、元々気は長い方だ。 挑発になかなか応じない相手にやがて焦れた不知火が、先制を仕掛けてくる。 嵌った、と美吉は一人ごちた。 不知火は見誤ったのだ。まず、相手が素手であったこと。隠し武器があるだろうと思ってはいたが、その正体を不知火は知らない。そして、美吉の実力。踏鞴場での一戦だけでは、美吉の実力の程は漠然としか分からなかった。雷蔵より劣るだろう、程度で。 だがこれでも美吉は雷蔵とかつて互角に渡り合った経験者だ。タメを張れるだけの実力を持っている。 しかも美吉には『とっておき』があった。 不知火は自由自在に鎖鎌を操る。それこそ無作為に揺れる錘の鉄球すら、攻撃に盛り込んでくる。その技量は確かに高い。 しかしそのすべての攻撃を柳のように躱す美吉に、不知火は段々苛立ってきていた。雷蔵とはまた違うが、美吉の変則的な動きは、非常にやりにくい。どこの忍びの流派とも違う、まるで見たことのない動き。決して力量では劣っていると思わないのに、全く反撃してこない様が、おちょくられているようで腹が立った。 「こん、の……!」 腹部に左から蹴りを放ち、それを美吉が右へ避けた瞬間、上腕の内側の筋肉を最大限に張って、大きい弧を描き鎌を振る。 遠心力を伴い、より速度を増したしなやかな斬撃が、横薙ぎに鋭く襲いかかる。狙うは右の頚動脈―――しかし、その前に。 すっと、美吉はその鎌の刃に触れた。高速で迫ってくる刃に、軽く、撫でるように。手ごと切り落とされてもおかしくない、不可思議な動作。 刹那。 目標に達する直前で、黒い砂が吹き上がった。掌に感じていた重みが急に軽くなる。 「―――!」 砂と思っていたのは、自分の得物だった。鎌の刃が、美吉が触れた途端、文字通り粉砕したのだ。 眼中に芥が入るのを避けて目を眇める中、そうと気づいたのは、いつの間にか背後に回った美吉に、首と右手の間接を同時に極められた時だった。 「―――ぐ、ゥ」 「無理すんな。下手に動けば死ぬぞ」 極めて静かな、それでいてどこか眠たげな声音で、背後の男が囁いた。 よもや、こんなに簡単に―――不知火の眸には、信じられぬという衝撃と、敗北の屈辱が映っていた。 「なあに、殺しゃしない。今はもう殺しはやんない主義だからな」 そう言って美吉は顔を上げ、加勢しようとした忍びたちに向かってすかさず牽制の眼差しを送った。グッと、彼らの動きが詰まる。 バカヤロウ! こいつは今動けねぇ、気にせずやれ!―――不知火はそう言いたかったが、どういうカラクリなのか、声が出ない。身動ごうにも、ピクリとも動けなかった。 「お前さんはちとばかり血気盛んすぎだな。折角手加減されてんだから、たまには一歩引いて我が身を反省してみ。じゃなきゃすぐに殺されて人生さよならだぞ」 「てめ、に言われ―――っ」 途端咳き込み、呼吸困難に陥る。疲れたように美吉が告げた。 「だっから無理すんなって。これでも医者なんでな、人体急所には詳しいんだ。完全に極めてるから苦しいだけだぞ」 「……っ! ……っ!」 パクパク口動かしてなおも罵倒しようとする不知火に、はーと深い溜息をつく。雷蔵は何だってこんな奴にわざわざ手心加えてやるのだろうか。美吉が殺しをやらないのは本当だが、半殺しくらいには普通にする。それこそ重要な筋の一本や二本は切り、再起不能にするくらいには情け容赦ない。 しかし雷蔵はそれすらも「まぁ勘弁してやってくれよ」と、あののらくらした調子で美吉に言っていた。 体勢はそのまま、目線を上げる。 雷蔵と虎一太は、相変わらず見えるようで全く見えない攻防を繰り広げている。 「お前さんよ。あの二人の始めの打ち合い、何太刀か見切れたか?」 「……」 「向学のために教えてやるよ。六回だ」 驚愕が不知火の身体を走り抜けるのが、美吉にも伝わってきた。 そりゃそうだろう、不知火はすべて見切れなかった。六回と断言する美吉は、すべて見切っていたということなのだから。 (あれが見えないんじゃあ、俺どころか雷蔵を倒そうなんて、先の先だな) 不知火がもっと優れた、それこそあの棟梁並みの強さであったなら、雷蔵が何と言おうと利き足の腱を切るつもりでいたのだが、これなら当分心配はなさそうだ。 美吉はなびきを窺う。やはり美吉が闘っている間に多少襲われたのだろう、刀を逆手に握って壁を背にしていたが、美吉が不知火を拘束したことで影梟衆は下手に動けなくなったので、攻撃の手は止んでいる。見たところなびきは大した怪我はない。堅気は殺さない主義の影梟衆にも隙はあったのだろうが、なびきの父は随分よく教えを施していたようだ。目配せすれば、美吉の側に駆け寄ってきた。 しかし、これで美吉は身動きが取れなくなった。なびきも今側を離れさせるとまずい。早人たちを窺えば、不思議なことに何をするでもなく、雷蔵たちを傍観していた。それが美吉にはどこか不吉で、不気味だった。 ともかく、あとは雷蔵にかかっている。 美吉となびきは言葉も交わさず、もう一組の闘いへ意識を移した。 |