12.飛んで火に入る頭黒鼠 「だから、そんなの無理だってば!」 「無理、ではなくやるんだ」 先ほどから似たような押し問答を続けていることに、なびきはいい加減焦れてきた。 ギッと正面で偉そうに座す小憎たらしい細面を睨みつける。 「何度も同じ事言わせないでよ! できないものはできないの!」 口に胼胝ができそうなほど繰り返した文句を再度なぞる。この男はなんとも物分りが悪くて困る。これなら慶太の方がよっぽど聞き分けがいいわよ、と心底舌打ちをしたくなった。 だがそんななびきの心も慮らず、行尊は冷たい声音で一刀両断する。 「できないのであれば、この場で死んでもらうだけだ」 びくりとなびきの肩が震えた。瞳に恐れの色が揺れる。 途端に威勢を失い、なびきは俯きがちに悔しげに唇を噛んだ。 死ぬのは怖くはない。そんな覚悟はとうの昔にできている。だが自分が死んだら残された弟妹達はどうなる。襄偕和尚は老齢だ。彼がどんなに身体を張ったところでこの男達を止められやしない。 じっと目を閉じれば、眼裏に浮かぶのはとても年上とは思えないほど幼げな笑顔。 妹を救ってくれた法師。そんな筈はない、と否定しながらも、どこかで助けを期待している自分がいる。 いや、駄目だ。ここへ来てはいけない。 (もう手遅れなんだ) 言い聞かせるように呟き、息をゆっくり吐いた。 一縷の望みにすがりたい気持ちが、ゆるゆると決断を先延ばしにしてきた。だがもうそれも限界。 手を握り締めれば掌に爪が食い込み、ちりりと痛みを訴える。血の滲む拳に、覚悟を決める。 沈黙の後、ようやく小さな声音で、搾り出すようになびきは答えた。 「分かったよ……」 行尊は「それでいい」と満足げに頷く。 「だけど、その代わり―――」 毅然と顎を上げ、更になびきが言い募ろうとしたその瞬間――― 「う……わぁ!!」 突如表から響いた声に、その場の全員が目を向ける。 入口際では、見た容姿の有髪の法師が二人、黒尽くめの男達を相手に立ち回っている。 「あやつら―――!」 行尊が鋭く叫ぶのと、なびきが息を呑むのは同時だった。 「こなくそ!」 美吉は地に片手を付き、大きく半円を描くように反転しながら、袂で相手の放った苦無を躱す。 二、三度宙返りを繰り返し、雷蔵と背中を合わせる。 いきなり背後から襲われたと思いきや、いつの間にやら敵は増え、十人ばかりの忍びに囲まれていた。折角の路傍の術も片無しである。 「なんだよこれは」 「どうやら俺達の行動はすっかり読まれていたみたいだね」 「はぁ?」 顔は正面に対したまま言い交わす。背中越しで至極のんびりと告げる雷蔵に、美吉は煩わしそうに叫んだ。路傍の術は第三者の感覚から己の存在感を殺ぐ法だ。それを破ったとなれば、術を行うより前に尾行なり監視なりされていた可能性しかありえない。 「誰が、どう、読むってんだッ!」 敵の放つ手裏剣や網を受け流しつつ訴える。 美吉はだらしのない風体のわりに、頭の回転はいい。だから雷蔵の言ったことも充分に理解している。その言葉を信じるならば予め何者かに監視されていたということだが、少なくとも坑道を歩いている間は何者の尾行も受けてはいなかった。あれば美吉には必ず分かる。とすると、二人がこの製鉄場に辿り着いた時に目をつけられたとしか考えられない。つまりは相手は端から二人が此処まで来るのを予期していたということになる。それでも分からぬのは、どこからみてもただの(?)法師の自分達が、牢破りをしたり幻術を使ったりして、更に迷わずここまで来ることなど、誰が想像できたかという点だ。 だが納得しうる材料はあった。あの思わせぶりな呪い仕様の牢と錠のことは、常に美吉の頭の隅に引っかかっていた。 「むしろお前じゃね?」 自分よりも遥かに知名度のある相方に、原因の所在を求める。 ギィン、と奪った刀で敵の刃を弾き返しながら、雷蔵はどこまでも涼しげに、あっさり答えた。 「うんごめん。多分そう」 がっくりと美吉は項垂れた。 「はーめんどくさ!」 ヤケクソになったのか、思い切り得物を振りかざした。 下方では突然の出来事に騒然となる人々と、声を張り上げて位置に戻るよう指示する声が飛び交っている。 敵を踏み倒しつつそちらをちらりと見やりながら、雷蔵は美吉へ吐息だけで囁いた。 「一瞬任せても?」 「しょうがねえな」 苦々しいながらも同意を受け、雷蔵はそれまで様子見で小出しにしていた力を一気に奔出させた。 弾くように地を蹴り、剣閃も見えぬ速さで敵二人の鳩尾を峰打ちで同時に薙ぐ。返す刃の腹で三人目の首筋を打ちながら、四人目を蹴り倒した。皆見事に一撃必殺だ。殺してはいないが。 本音を言うと殺してしまうほうが手っ取り早いのだが、後々面倒となるのでやめておいた。今の徒人の身分では、人を一人殺すだけでその分の厄介事を背負う羽目になる。 一瞬で活路を開き、包囲網から脱して向かった先には、室内で立ち尽くすなびきと、愕然とした様子の行尊。一足でなびきの前に降り立ち、驚きで硬直している彼女ににこりと笑いかけると、未だ困惑気味の相手に構わず小脇に抱え、有無を言わさぬ勢いで表へ飛び出した。疾風のごとき素早さに、素人の僧兵たちは全く手が出せないまま、ぽかんと見過ごすことになった。 表では雷蔵の放置したその他の忍び相手にやる気なさそうに対戦していた美吉が、なびきを抱えた雷蔵の姿を一瞥し口笛を吹いた。 「美吉!」 「合点承知よ―――っと!」 声を合図に、美吉は残りの忍びへ素早く鍼を投じる。鍼は抜かりなく忍びたちの頸に的中し、彼らはあえなく倒れ込んだ。最初からこの手を使わなかったのは時間稼ぎの陽動のためである。 それを見届けることなく、二人と抱えられた一人は躊躇せず鉄の手すりに足をかける。 「えっ、ま、まさか」 「舌を噛まないようにね」 「え、ちょっ、まっ……」 後で本人が思い返して後悔するほど色気ない悲鳴を尾に引き、三つの影がはるか下方の蹈鞴場に落ちていく。 落下しながら、雷蔵はどこからともなく取り出した薬包を、竈に煌々と燃やされ続ける炎に向けて寸分の狂いなく投げ落とした。 火の粉がそれを捉えた途端、大きな破裂音が当たりに鳴り轟き、音と火花に錯乱した人々が制止の声も振り切り逃げ惑い始めた。 |