実 みとまこと



 夜を追うごとに少しずつ、しかし確実に増す気配がある。それはまるで重く垂れこめる暗雲のように、陰鬱と身体に纏わりついてくる。
 その傾向は目的地に近付くにつれ強くなっているのかもしれなかった。色濃い闇の匂い。近付く者を拒むどころか、招き入れようと待ちかまえている。
 数奇な取り引きから一月以上、いくつもの山谷と町村を越え、海原を渡った彼らの身は、再び鬱蒼とした山の麓にあった。眼前に聳えるのはこれまでの中で最も険しく、最も霧深く、最も大きな山形である。

(飛騨か)

 見渡せども限りない深緑を仰ぎ見ながら、雷蔵は陽光を遮るように笠の先を少し目深に下げた。
 目的地が此処であることは元より当たりはつけていた。さすが筑前からの旅路は長く、ほとんどは海路を用い、途中には潮の流れなどから迂回を余儀なくされることもあって針路には若干の誤差があったが、陸路に変わってから浅葱は一直線にこちらを目指していた。
 厳かに横たわる険峻な飛騨の山々は、古来より強大な神域を内包する全国屈指の霊場だ。古き信仰の残るこの地は原始に近い力を保ち、聖なる反面で闇も深い。話に聞く少年の故郷の環境とも符合する。予想が正しければ、彼の里はこの果てしない深山の奥、道なき幽谷の彼方にあるのだろう。
 このまま山海に入って行ってもいい。だが雷蔵は一息を置くことにした。

「飛騨はただでさえ神気の塊みたいな場所だからね。不用意に踏み入るのは危ない」

 前もって準備が要るとの言に、浅葱も飛騨の霊峰が人間に優しくないことを知っているからか、疑いもなくあっさり納得した。実際、術の道に通じ〈秘伝〉を持つ雷蔵にしてみれば特段の用意は不要だったが、あえてそこは伏せ浅葱の思い込みを利用する。当然ながら浅葱の方はそのような思惑を知る由もない。要するにそういうことだ。


 二人は山口の寂れた寺に宿を借り受けた。決して大きくはない寺だったが、気のいい和尚は快く本堂に布団を用意してくれた。
 がらんとした堂の中央で灯篭に照らされた仏像たちが薄闇の中にぼうと浮かび上がっている様は見るだに不気味である。あまつさえ、時折隙間風が黴た戸を揺らして、人の泣き声のような音をそこここで鳴らす。
 そんな中で一夜を過ごすことに、浅葱は心持ち抵抗のある様子であったが、野宿でないだけマシと思ったか何も言わなかった。


 あの夜以来、雷蔵は浅葱の恐れが森羅の精を呼び寄せるごとに、龍弦琵琶を奏でて彼の心を(ゆら)し落ち着かせてきた。結果、徐々にではあるが浅葱も取り乱さなくなり、自制が利くようになっていた。というよりも、雷蔵の側にいる限りは何が起きても大丈夫だとすっかり安心しきっている節がある。随分と信頼を寄せられたものだ。
 連日の野宿や山行を繰り返していることもあり、心身ともに困憊している浅葱は布団に横たわると恐怖など感じる間もなくすぐさま眠りに落ちた。




 規則正しい寝息が聞こえるなか、浅葱の横で布団に入っていた雷蔵は、ふと閉じていた瞼を上げた。敷布団に片肘をついて身を起こし、何かを見定めようとするようにひたと闇に目を凝らす。
 それからおもむろに頭に置いていた荷袋を引き寄せると、中から巾着を取り出し、更にその中からまだ青い蓬を四枚引き抜いた。口の中で何事かを呟き、それらにふっと軽く息を吹きかけてから、自分と浅葱の布団を囲むように四隅に置く。更に印を組んで「蘇民将来子孫也」と呪を唱えた。

 そのうちに、本堂を包む暗中から小さな闇の塊が分裂した。ぞろぞろと生まれ出でたそれらは、まっしぐらに一ヵ所を目指す。が、目標に到達する前に、目に見えぬ壁によって阻まれた。後から後から来るモノたちも、壁に当たるや悉く塵と化す。
 どれほど経ったか、ようやく終息したのを浅い眠りの中で感じ取った雷蔵は、一つ息をついてそっと起き上がった。外はまだ暗いが、時刻としてはもうすぐ有明の頃だろう。つまり一番鶏の鳴く刻限である。

 何日前からだったろう、こうして浅葱を狙う魔が増え始めたのは。
 それもただの魔ではない。いわゆる病魔―――中でも厄介な疫神の類である。一度取り憑かれれば骨まで蝕み、苦しみ抜いて死にいたる。この類に罹かった病人はたとえ雷蔵の薬術をもってしてもどうにもできない。

 しかし病は本来的に、身の内から生じるか、自然界にある何らかが病因となるものだ。神や鬼がもたらすものではない。霊力者である前に薬師である雷蔵や医師である相棒はそれをよく承知している。
 行疫神(えやみのかみ)は、人々の信仰から形を得たモノであり、不特定多数の人を対象として流行り病をまき散らすと畏れられている。それが“特定の人間”を狙うというのは、まず間違いなく人為的な意思が働いている。
 そう、魘魅、呪詛の場合である。

 浅葱は何者かから呪いを受けている。

 本人は―――恐らく気づいてはいないだろう。無害な精霊でさえ恐れるくらいだ。呪詛されていると知っていたら、ここまで平然とはしていられまい。

 ただ幸いというべきか、人間の思念から生み出された病魔疫神の類には、同様の理屈で薬草が何よりの魔除けとなる。病が邪なるモノのもたらす禍と信じられていると同時に、「薬」が「病」を払うと信じられているからである。節句の折り折りに薬草を用いて邪気払いをする―――粽や菖蒲湯、薬玉など―――のもその発想ゆえだ。
 こうなると、日頃百種千種の薬草を携えている雷蔵にとってこれを防ぐのは容易い。呪詛を行っている者からすればとんだ誤算であったろう。

 浅葱にはまだ五体満足の健康体でいてもらわねば困る。だから雷蔵はこうして、毎夜懲りずにやってくる使い魔をいちいち『疫神送り』しているのだった。
 それにしても不思議なのは、浅葱が誰に狙われているのかということだ。考え得るに彼の事情(つまり雷蔵が御座村に連れていかれている理由だが)に深いかかわりがあるのだろうが、そもそも彼の目的からして謎に包まれているわけだから、推理の立てようもない。

(まあ、これもいずれ分かることかな)

 どうせ里はもうすぐそこ。焦らずとも自ずと答えは得られるだろう。
 雷蔵は思い直すと、蓬の葉を仕舞い、そのままに再び布団へ横たわって双眸を閉じた。
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