ともすれば沈鬱に転がりゆきそうな気持ちを振り払うかのように活気を取り戻しつつある衆の中、小分けにした隊を取りまとめる不知火の後ろ姿に雷蔵は側寄った。
 近付く気配にその背が返る。

「今後どうするんだい」

 問われた不知火は、あらぬ方を見て「さあな」とぶっきら棒に頭を掻いた。その目は真っ赤に染まっている。黄昏の陽射し加減ではなさそうだったが、雷蔵はあえて指摘はしなかった。影梟衆の誇りに敬意を示してのことだった。

「ひとまず奥州に皆を引き連れていく。すでに密かに少しずつ里人を移動させている最中だったから、あっちにもいくらか人員がいるしな。新しい隠れ里を拠点に、もう一度立て直すだけだ。まだ影梟衆はなくなったわけじゃねえ」

 「そうか」と雷蔵は薄く微笑んだ。

「しばらく大変だろうね」

 皆に声をかけ、安否と状況確認に忙しなく駆け回っている千之助改め千鶴を見やる。不知火もその様子を追って目を眇めた。

「忙しいくらいの方がいい。今はな」

 おやとばかりに目を瞬かれ、不知火は気まずそうに舌打ちをする。心を裂くほどの悲しみや辛さに直面した時は、考える間もないほどの何かによって気を紛らわせるしかない。苦しみや悲しみは心を壊し、怒りや喜びは原動力となる。不知火とて愚かではない。己の経験を通して、それくらいのことは気づけるようになった。ただそれを雷蔵に気取られるのは癪であった。

「頭となったとはいえ、千の若はまだ年少だからな。ナメられねえようしばらくは誰かが補佐につくだろ」

 そこで「俺が」と言わぬ当たり、成長したものだと雷蔵は密かに感心する。いや、先程衆を諌め、何も言わなかった雷蔵に虎一太の遺志を確認したところからも、不知火は何かが変わった。
 『(とうき)』が『(はがね)』を生じたか。虎一太のしてやったりという顔が思い浮かびそうだ。

「それがいいだろうね。彼はきっといずれ一角の人物になるよ」

 新たに立て直した一団を率い、千年を生きる鶴のように末永く。
 雷蔵が千之助に『千鶴』の名を与えたのは予め意図があってのことではなかった。乞われた時、ふと“響き”が心に浮かんだのである。無意識の中から唐突に閃く『名』は天啓であり加護が宿ると〈龍の民〉では言われていた。雷蔵にはその啓示の解き方までは分からないが、きっと何か意味があるのだろう。これならば虎一太も文句は言うまいと、心の中でごちる。
 予言めいた不思議な言い回しに、不知火は訝しげな視線を遣しながらも、「ったりめえだ」と口角を上げた。

「なんたって、御頭自慢の一人息子だからな。この俺が命をかけてもそうさせてやる」

 言ってから、照れを隠すように不知火は伸びをして、くるりと背を向けた。

「織田軍に嗅ぎつけられる前にとっとと撤退だ」

 呟いてから、肩越しに視線を投げやってくる。

「てめえらはどうすんだ」

 雷蔵と、その場の流れで応急手当に回っている美吉を交互に見やり、不知火が訊く。
 雷蔵は首を傾げて逡巡した。

「まあ、適当に逃げるとするよ。君らとはここでお別れだ」

 雷蔵の脳裏にはあの謎の少年の姿がちらついている。まだ敵は残っている。影梟衆は今回のことで標的から外れただろうが、いずれ再び雷蔵たちの前に姿を表わす可能性は極めて高い。
 ふうん、と不知火は鼻を鳴らした。

「二度と会わねえことを誓うぜ」

 憎まれ口に軽く笑い返し、雷蔵は美吉に目配せをした。
 他の者達に気づかれぬうちに身を消しておいた方がいいだろう。
 行くか、とやはり目で問うてきた相棒に頷き返し、

「それじゃあ」
「ああ」

 言葉少なに別れを交し、雷蔵は裾を返す。にわかに肌を刺した冷気に、いまさら薄着のままであったことに思い至る。さすがにこのままでは寒い。どこか適当な寺でまた旅僧衣一式を拝借せねばなるまい。長年着用して沁みついたか、法衣でないとどうにも収まりが悪かった。
 足早に追いついた美吉が、「おい忘れ物だぞ」と荷を押しつけてくる。どこに隠してあったか、龍弦琵琶だった。すっかり存在を忘れ果てていた雷蔵に、ここまで運んできた相棒は呆れ顔をした。
 手に馴染んだ懐かしい感触が戻る。ああそうだ、やはりこれがないとしっくりこない。

「どこへ行く?」
「さて。さすがに俺も疲れたし、療養がてらどこかのんびり温泉にでも浸かりたいねぇ」
「そういやこの山二つ越えたあたりに秘湯があったはずだ」

 こういう時に美吉の能力は大変便利だ。前人未到の湯治地をよく感知する。

「じゃ、道案内よろしく」
「結局俺が案内するのね」

 諦めたように項垂れて溜息をつき、美吉が雪を踏みしめ先を歩く。「面倒臭い」と連発して嫌そうにはしているが、あまりとやかく言わないのは、美吉なりに色々気を遣っているのだろう。気遣われるようなことは何もないのだけれど、と雷蔵は心の中で思いながらも、これまた特に口に出すことはしなかった。

「なあ、一つ聞いてもいいか?」
「何だい」
「あの時言ってたこと、本当なのか」

 背を見せたまま歯切れ悪く尋ねる美吉に、雷蔵が疑問符を浮かべる。

「〈秘伝〉を身の裡に封じたままあの世へ持って行く方法」

 低く零された言葉からようやく得心した風に雷蔵は首を傾けた。聞えていたのか、と。

「もちろんハッタリ」
「……そ」
―――半分、推測半分」

 脱力して肩を落としかけた後ろ姿が、慌てて振り返る。「え?」
 思わず勢い余って噎せた美吉に、「落ち着きなよ」と雷蔵はのんびり声をかけた。

「あくまで可能性だけどね」
「どういうことなんだ?」
「鍵は君だよ、美吉」
「は?」

 ますます訳が分からなそうに、歩きながら美吉は肩越しに怪訝顔をよこす。しかし目の色は真剣だった。

「君の中の天目一箇(あまのまひとつ)は君の身体を依代に、魂を楔とすることで封じられている」
「……」

 雷蔵の説明に、耳を傾ける美吉が少し嫌そうな顔をする。気を損ねたわけではないが、事実と思っていてもやはり気持ちのいいものではないようだ。
 雷蔵はその様子を見て見ぬふりするように、目線を外して遠くへ向ける。

「考えたんだよ。〈秘伝〉もまた継承者の身体を器にして宿っている」

 その科白に、美吉は「あ」と口を開けた。

「けど〈秘伝〉は別に意思を持った個体ではないし、第一『封印』されているわけじゃねえぞ」
「ならば〈護法〉は?」

 雷蔵は言った。

「〈護法〉は〈秘伝〉を守る術の一つだという。けれど〈秘伝〉の奥義すべてと引き換えにしなければ〈護法〉が現われぬというのは、〈護法〉こそが〈秘伝〉そのものだと言えなくもないと思わないかい?」

 継承者が〈護法〉を使役するには、各々〈秘伝〉の中身全部を元の呪器である巻物に戻し、これを変化させる形をとる。それに何より、〈秘伝〉の主たる継承者を選ぶのは〈護法〉なのだ。ならば〈護法〉はすなわち〈秘伝〉の意志と言い替えられるのではないだろうか。
 雪の上に無音でできる足跡を見つめながら、己の考えを言葉に紡ぐ。

「美吉の場合、封印という形をとっているのは、天目一箇がものに宿ることを厭い、抗うからだよ。だからもし楔である君の命が尽きれば、天目一箇神は解き放たれる。そうならぬようにするためには道は二つしかない。命が果てる前に力づくで滅するか、もしくは双方の合意による共生だ。前者はあまりに力の差がありすぎて現実的に難しいけど、もし彼の神が君と魂を共有している現状を受け入れてくれれば」
「俺の死と共に、消滅する、か?」
「そう」
「んな、そんなこと、甘んじるわけねえだろ。あいつが」

 美吉は皮肉気に頬の筋肉を上げ、鼻を鳴らすような、引き攣った笑い声を零した。

「受け入れるかどうかは置いておいても、少なくとも手段としては有効には違いない」
―――……」

 美吉はいまいち晴れない表情で正面を見た。半信半疑のまま、無理矢理気を取り直すように再度口を開く。

「けど……それとこれと、どう関係があるっていうんだ?」
「同じことが〈秘伝〉にも言えたらと思ってね。美吉の言う通り、〈秘伝〉は俺たちの身体に封じられているわけではない。身の内に宿るのは、〈護法〉が継承者を宿主として認めているからだ。だから俺たちは自由に〈秘伝〉を使えるし、〈護法〉が反発することもない。ならたとえば〈護法〉が納得するなら、俺たちの果てる時、解放せずに身の内に宿したまま、諸共に消えゆくことも可能なのか」

 もしそれが可能ならば、確かに命と引き換えにこの世から〈秘伝〉という存在を永久に消し去ることができる。まさしく一蓮托生だ。

「もちろんこれは〈護法〉を〈秘伝〉の神霊化したものだと仮定しての話だから、この前提が間違いならばそもそもありえないんだけどね」

 だから『可能性』なのだ、と雷蔵は唇だけで微笑う。

「ただ、実は前に(りゅう)に訊いてみたことがあってね」

 『龍』は雷蔵の〈護法〉の現在(いま)の名だ。名称ではなく、あくまで名前である。
 継承と共に名を乞うた天義之書の〈護法〉に対し、雷蔵は龍を象った見てくれをとって「じゃあ『龍』で」と言ってのけ、そうなったのである。あまりの適当かつ誠意に欠けた命名には同情を禁じ得ない。もちろん〈護法〉に対し、である。

「それで、あいつはなんて?」
「何も言わなかったよ」
「何にも?」

 素頓狂な叫びが上がる。

「命じてもか」

 雷蔵は白い息を吐きながらかぶりを振った。

「今度ミケに尋ねてみるといいよ。龍はこの質問には絶対に答えようとしない。是とも否とも、決してね」
「それは……」

 雷蔵を見やる美吉の双眸が僅かに見開かれる。主の命令は通常絶対のはずにも関わらず、極めて奇異なことだった。

「本来逆らえないからこその黙秘なのかもね」

 美吉は思わず黙り込んでしまった。
 〈護法〉は主に嘘をつくことはできない。否定しないということは、裏返せば答えは一つということではないか。
 ただし同時に、あえて肯定もせぬというのならば、消えゆくことを説き伏せるのも至難の業であろう。己の中の天目一箇神のように。
 そもそも人の都合で生み出され、あるいは縛られたものへ、また人の都合で失せよというのは、あまりに勝手な言い分である。納得する方が難しい。
 服の下の巻物が鼓動を一つ打った気がした。

「確かに、考えてみれば俺たちはあまりに〈秘伝〉について無頓着すぎたかもな」

 他人事めいた口ぶりで美吉は反省する。これまで必要に迫られたこともないからあえて考えることはしてこなかったし、避けていた節がなくもない。
 雷蔵も頷き返す。上から落ちて髪先に引っかかった雪の欠片を指で払った。

「どうあれ、“ああいう”輩がいると分かった以上、こちらも何らかの対処法を講じるなり、手札を揃えないと。このままでは何の解決にもならない」
「あの様子だと、あいつらまた来るだろうからな」

 諦めを見せなかった少年と青年の二人連れが美吉の脳裏を過ぎる。

「ああ―――それに」
「それに?」
「不毛の連鎖は断ちきらないとね。……もうこれ以上、誰かを巻き込まぬためにも」

 瞼を伏せがちに、ぽつりと言う。目元を彩る睫毛の翳に何を見たか、美吉は珍しい科白だという感想を呑みこんで、「そうだな」と首を正面に戻した。
 巻き込んでしまってからでは遅い。一度失われた命は戻らないのだから。


 雷蔵はふと後ろを振り返る。
 更けゆく昊に浮かぶは泪月(おぼろづき)。蒼い雪化粧の深山に霜が降り、僅かな緑を靄が柔らかく包む。
 その向こうには、隠れ里があった。
 燃え果てた忍び里はいずれ人々の記憶からも闇に葬られるだろう。音もなく、匂いも残さずに。
 けれど、忘れぬ者もいる。

(結局賭けは君の一人勝ちか)

 よもや借りを踏み倒された挙句に最後まで勝ち逃げされるとは。
 雷蔵は小さく微笑った。

―――ねんねしなされ 夜がふけた
 わたるそよ風 草の露
 いったり来たり 夢の舟……」

 零れ落ちた詞が微かに風に乗り、美吉がつられて見返る。口ずさまれたそれは子守唄のようだった。
 雷蔵は一度目を閉じ、踵を返して再び歩みを始める。
 白い雪の上に、足跡は残らなかった。

『もしも叶うならば―――

 きっとそれは、風花の声。 
前へ 目次へ
織田信長の動向など起きた出来事や年を数年ほど微妙にいじってます。色々試行錯誤したんですが、どうしても帳尻を併せることができなかったので、矛盾を解消するために史実の方を改変するという暴挙に出ました。基本的に大部分がフィクションなので、お察しいただければと思います。
途中呪文としてお借りしたのはいわゆる神代文字とされるものや忍文字的なものですが、決して本当ではないのであしからず。
何気に琉球方言を参考に文字を並べてあったりします。
小題は前回に引き続き子守唄(NPO法人 日本子守唄協会を参考にしています)を持って来ました。