煮てさ 焼いてさ 喰ってさ
それを木の葉でちょいと隠せ



 東風に潮の香りを嗅ぐ。暖かな風は木気を含み、万物の芽生えを促す。
 本日の天気は、心地よいほどに澄み渡った快晴だ。外では活気に満ちた声が聞こえ、人の往来や息遣いが、鮮やかなまでに溢れかえっている。
 うららかな春の日差しにうとうとと眠気に誘われる。こういう時は抗わず本能に任せるのが吉だ。唐土の何某とかいう偉い詩人も言っている。「春眠暁を覚えず」と。
 春どころでなく夏といわず秋といわず冬といわず万年始終呆けているくせに、本人は素知らぬふりでまどろみの海へ身を委ねる。
 否、本来であればとっくに委ねて沖合に流されているはずだった。

「なんでこうなるんかなぁ」

 至極虚しげに―――というより面倒臭そうに宙へと放たれた言葉は、反対側で受け止められた。

「さてねぇ」

 それこそ春の日和と同じくらい長閑な声が応じる。
 最初の発言主はがくりと項垂れた。

「一体何て因業なんだ。もしかして厄年なのか? そうなのか?」

 こうなったら厄祓いに行ってやる、と半ばヤケクソで言えば、

「その(なり)でお宮に駆け込むつもりかい? 洒落にならないねー世も末だねー」

 ふざけているのか、やはり能天気な調子で返ってくる。
 柱の両側に座っている雲水。一見しただけで同じ教えを崇める者同士であることは知れるが、その衣の仕様は若干異なり、宗派の違いを表わしている。
 その双方の、墨染という以外での共通点といえば、有髪であることくらいか。片や明るい色味の髪を一つ結びにまとめ、片や漆黒よりは茶味がかった髪をそのまま無造作無作為に伸ばしている。
 そしてそれぞれから漂う雰囲気は、片やのんびり、片やものぐさという、どちらにしても締まりのないものだった。

「仮にも法師なんだから、厄祓いくらい自分でやれば? 美吉」

 様式からすれば天台風の僧衣を着た方が揶揄い口調で言う。

「言っとくがお前だって同い年なんだからな、雷蔵」

 真言派の袈裟を纏う方が半眼で言い返す。
 ああそういえばそうだね、と今更思い出したかのように雷蔵は相槌を打った。相変わらず他人事めいた言い草だ。

「ということは俺たちまとめて厄年ってことか。まさに厄介。うーん。厄祓いって一向と密教、どっちが効果的だと思う?」
「俺にそれを聞くか……」

 全く厄介そうでない上、真剣味の欠ける口ぶりに美吉は再度脱力した。
 どうせお互い仮初めの身だ。こんな形をしていても、経の一つだって満足に唱えられやしない。いや、雷蔵なら普通にやってのけそうだ、と心の中で背後の相棒を窺う。

「試しにお手軽な般若心経でも唱えてみる?」
「……やめとくわ」

 不毛な会話が続きそうで、美吉は嘆息した。
 ちなみに二人は今、何故かどこかの建物の中で、何故か太い支柱を挟んで背中合わせに座り、何故か縄を打たれている。
 港に備えられた土蔵の一つらしい。薄暗い室内は広いが、潮風と土埃が混ざり合った匂いに満ち、所狭しと大小の荷が積まれている。どうやら船で運ばれてきた舶来の品のようで、箱の表面には唐語らしき漢字や、見た事のない異国の文字が記されている。
 そう、二人はどうしたわけか、捕まって拘束されていた。

 事は数日前に遡る。




 肥前の国は日本の東南端に位置し、古来より港町として栄えてきた。極東国の玄関として、遣使や渡来使の往来だけでなく、大陸との貿易をはじめ外部とのやり取りも主にこの地で行われている。近頃では大陸(もろこし)よりも天竺よりもさらに西の国から、見たこともない異人が、見たこともない品を携えやってきたともっぱらの噂だった。遠い地では、肥前では人喰いの南蛮人たちが、我が物顔で往来を闊歩しているらしいぞとも囁かれている。あるいは肥前はすでに南蛮の国に支配されてしまったと誇張された風聞まで飛び交う始末で、実情を知る者は少ない。
 その肥前で権力を誇るのは、平安京の頃から豪族武士集団として権勢を奮ってきた平戸の松浦氏、そして大村の大村氏、島原の有馬氏、少し離れて対馬の宗氏等がいる。

 その肥前国大村に雷蔵が辿りついたのは、一週間も前のことである。
 別段当てもない旅で、特に用があったわけでもない。ただ単に笠を飛ばしてみたり錫状を倒してみたりして道を選んだ結果、ここに辿り着いたというわけである。
 さすが歴史ある港湾なだけあって、内陸部とは一風変わっていた。
 港町ならば他にも多くあるが、玄関という呼称は伊達ではないらしい。どこよりも明るく活気に満ち、見た事のない色彩に溢れ、香る潮風さえもどこか異国情緒を感じさせる。
 訪れたのはこれで二回目だが、それでも初見のような瑞々しさがあった。賑やかさは相変わらずだが、前回の来訪時から様相ががらりと変わっていたせいかもしれない。新しい風の吹き込む地なだけあり、街並みは回転と変化が速い。それに、異人の数も以前より増えていた。
 物珍しげに見て回っていた雷蔵は、暇つぶしになりそうだとしばらくここに逗留してみることに決めた。




 足首まで覆う黒く長い外套(カッパ)を靡かせる集団があった。
 地元民とは明らかに違う外見と空気を纏う彼らに、道行く人々は時折好奇の目を向けるものの、さして気に留めずもとの作業を続行する。

「随分慣れたものだ」

 その様子を目に端に捉えていた一人が、蓄えた髭を揺らし母国の言葉で言った。

「そりゃあ3年も経てばな」
「最初のころなど、まるで悪魔の化身か何かを見るようであったもんだが……」
「おい、仮にも神に仕える聖職者が間違っても悪魔などに譬えるものではないぞ」
「すまんすまん。つい、な」

 外つ国の語で笑い混じりに交される彼らの会話を聞き取れる者はいない。

「今日はマツハラ村で宣教を行うのだろう」

 一人が下げた鞄から紙を出して開く。この地に辿りついた時、領主に願って譲ってもらった藩領の絵地図だ。

「少々遠いな」
「しょうがあるまい。これも神の教えを広めるためだ」
「この国の民は存外素直ゆえ、やりやすくて助かる」
「だが油断していると痛い目にあうぞ」
「それでもChina(シナ)よりは断然マシさ。あちらはまさに命がけだったからな」

 道を確認し、再び地図をしまうと、一行は再び歩き出す。
 その時だった。
 動き始めた集団の中から、足を留めた一人が零れ出た。
 丸い南蛮帽(ビレタ)からはみ出た赤毛の頭が、あらぬ方角に向けられている。

「ユスト、どうした?」

 仲間の一人が、おもむろに立ち止まった彼に向って怪訝そうに問う。

(カンサォン)が」

 通りの向こう方から、喧騒に紛れて音が聞こえる。
 弦楽器と思わしき音色に、男女ともつかぬ不思議な歌声。

「ああ、本当だ」

 耳に止めた少年が、興味深そうに同じ方を望み、更に耳を澄ます。
 馴染みのない旋律が流れるように広がる。
 道行く人は足を止めて聞き入っているようで、いつの間にかそこに僅かな人垣ができていた。
 ここからは丁度間横になるが、目に入ったのは自分たちと似て非なる黒い衣の色。

bonzos(ボーズ)じゃねえか。おまけに楽器弾きなんて盲人だろ。異教徒(ゼンチョ)の歌なんぞ聴くもんじゃねえ」

 一人が汚らわしそうに顔を歪め、唾を吐いた。『ボーズ』は彼ら宣教師の間では腐敗し堕落した悪魔の徒だった。同調するように数人頷く。

「でも、なかなか良いと思うけどな」

 最初に足を止めた赤毛―――ユストと呼ばれた青年は、そちらに顔を向けたまま楽しそうに言った。

「アルトですね。ソプラノさえないこの国では珍しい」

 二番目に立ち止まった方が受ける。彼らの国では子供なら大人より一音階高い声で歌うが、この国では大人も子供も同じ音階で歌う。つまり総じて低い。もちろん変声していない子供の声質は高いが、なお抑えたように歌うのがこの国の流儀らしい。
 今聞こえるのはソプラノとはいかないが、それでもこれまで耳にした倭人の中ではやや高めの音域で、旋律にも抑揚があり珍しかった。

「所詮田舎の民歌だろ。前にミヤコで聞いたアカペラだって、単調なだけでメロディなんぞあったものじゃない。歌の名手などと言っていたが、子守唄にもならん」
「そうかい? 僕はなかなか聞き応えあると思ったけどね」

 ユストの言葉を、イタリアの男は一笑する。

「冗談だろ! あんな調和もヘッタクレもない不協和音のどこが」

 ユストは大仰に肩をすくめるに留めた。謡いはどうも西の人間には受けが悪い。「トノ」や「クボウ様」といった貴人(フィダルゴ)が好んで聴く雅楽もまた、彼らにしてみれば騒がしく戦慄的なだけで、不評だった。それに比べれば水夫の舟唄の方がまだ聴くに堪えると言う始末だ。

「あんなもの、我が国の教会(テンプロ)でオルガンを伴奏に歌われる聖歌(イムヌス)に比べたら、お粗末もいいところさ」

 イタリア出身の男は、何かとこの極東の国を見下した発言をする。自分たちに比べれば未発達で野蛮な民族の住処と差別している節があった。身分や人種に囚われず、公平に博愛を説くのが自分たちの教義のはずだが、同様の言動をする者は少なからずいた。

「この国には『月とスッポン』って喩えがあるらしいぜ」
「そりゃいい」

 どっと笑いが起きる。
 しかしユストは笑わないどころか、振り向きもしない。
 未だ止まぬ音に耳を傾けながら、やんわり口の端を上げる。

「この違いも分からぬとは……」
「ん? 何か言ったか?」
「いや、何も」

 嘲笑とともに零された囁きは、背後の他の仲間には届かなかった。
 余韻を残して、曲が終わりを告げる。
 ある者は拝み、ある者は銭を納めてそれぞれに立ち去り、人垣はやがて元の通りの流れに解けていった。

「おい、ユスト?」

 引き止めを無視して、ユストは足を踏み出した。
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