5.疑わしきは地下牢へ



 連れて来られたのは、町屋からかなり離れたところにある大きな屋敷だった。
 寺院というから、てっきり寺社道観の類に連れて行かれるのだろうと思っていた雷蔵は、その屋敷を見上げ首を傾げた。どうみてもどこぞの御武家かなにかの住いである。

「……これが君らのお寺?」
「我らの〈寺院〉はお屋敷の一部に建立させていただいているのだ」

 さすがに疑問に思って訊けば、珍しい返答が返ってきた。
 屋敷の中に寺を立てる?
 鎮護を願って敷地内に稲荷や氏神といった特定の神を勧請し、神社(かみやしろ)あるいは祠を立てるのならばよくある話だが、寺というのは聞いたことがない。
 これはまた随分と怪しげな臭いのする話だ。

「止まれ」

 制止の声とともに雷蔵たちは門の辺りで止まる。僧兵のひとりが横口からニ、三言声を交すと、ほどなくして門が開いた。一団は躊躇することなく門の中へと歩を進め始める。

「こんな大きなお屋敷の中に入ったの初めてだ……」

 自分の置かれている状況も忘れ、なびきが呆然といった態で呟く。
 雷蔵は一番近くにいる僧兵へそれとなく話しかけた。

「ちょっと質問なんだけど」
「黙って歩け」

 かけられた方は不機嫌そうに眉を潜め、にべもなく両断した。

「そういわずにさ、ね。これはどこの御大尽のお屋敷なんだい?」
「……松川城御年寄の横溝様だ」

 なんだかんだ言いながらも、ちゃんと答えてくれる。口調に自慢げな響きが見受けられないので、単に根が律儀なのだろう。
 敷き詰めた白石の擦れる音を聞きながら、雷蔵は心なし音程を落とした。

「あの大江氏の?」
「恐れ多いぞ」

 声を低くし、窘める。しかしそれは肯定を意味していた。
 まさかとは思いつつ、もしや違うかも、とささやかに否定を期待していた雷蔵は、逆に確信を深める結果となって心中でがっくりと項垂れた。

(よりにもよってあの大江源十郎義具の年寄とは)

 一見恰幅よさ気な、食えない男の顔が脳裏によぎる。
 昔、依頼の関係で数度顔を合わせたことがあった。大江は山賀―――京里忍城を高く買っていたから、よく依頼が舞い込んできていたのである。
 あれはその内の一件で、話し合いのために屋敷を訪った時のことだ。雷蔵にとっては初めての大江氏の仕事だった。
 通常依頼主およびその家来衆と対面する時、雷蔵たちは顔を隠す。用心のためである。依頼主のうちの誰がいつ掌を返すとも限らず、そうなったとき面が割れているのは不利となる。だから京里忍城は顔を見せぬことを原則条件として依頼を受けていたし、忍びの世界の危うさを知っている大方の依頼主は、これを了承していた。
 だが大江源十郎義具という男は少々違った。
 彼はその夜、彼自身の私室である小さな間に雷蔵たちを迎え入れた。だがその中に、雷蔵をはじめ数人の馴染みでない人員がいることを知ると、一切の人払いをしてのち、向き合ってこう言った。

「ここには儂を除いて誰もおらん。近習も護衛も大声で呼ばねば届かぬ所へ下がらせた。今ここで主らが儂を殺そうと思えば簡単にできるであろう。これが儂の誠意じゃ。なれば主らもその誠意を見せよ。誠意の応酬がなければ、真に命を預ける話はできぬ」

 と堂々主張するものだから、みな呆けた。だが旧来の仲間たちは知ったるものと、苦笑気味ながら頷いて見せたので、新来の者たちは渋々覆面を解いてみせた。中でも当時ようやく齢十三で、目算でも十足らずにしか見えなかった雷蔵に対する大江の反応は大きく、「このような幼子で大丈夫なのか?」といささか不安そうに指揮官に訊いていた。まさかその歳ですでに京里忍城の等級で上忍職であったなどと知る由もなかっただろう。京里忍城は一般の忍びと異なり、実力の高低で上中下を分けていた。
 この件で雷蔵は他に抜きん出て功があったのだが、それさえ大江には童子が一生懸命努力して好成績を得た程度の微笑ましいものに映ったのか、菓子包みなどくれて懇ろに褒めた。雷蔵としてはさして気に留める事件ではなかったのだが(菓子もさすがに高級なもので美味しかったことだし)、しばらくは周りの格好の笑い種にされるところとなった。それが全く煩わしくなかったと言えば嘘になり、おかげでしばらくは大江氏の仕事は拒否したほどだ。
 懐かしい記憶を掘り起こし、雷蔵は妙に感慨深げな面持ちになる。彼は今でも雷蔵を見れば菓子を恵もうとするだろうか、と考える。己の童顔は自覚はあった。

(まぁ、本人がいるわけではないし。年寄であれば俺の顔は知られていないはず)

 まずいと思ったわりに楽天的な態度なのは、果たして何か算段があるためか、それとも何も考えてないだけか。
 次の瞬間鳴った腹の虫からすると、どうやら後者の方らしい。
 ふと横を見ると、なびきの方がむしろ青い顔をしていた。だが恐れ戦いて蒼褪めているというよりは、どちらかといえばそれは怒りや憎しみの気を強く感じるものだった。
 畏怖ではなく、怨恨。
 心当たりがあるとすれば、この屋敷の持ち主に関してか。

「何かあるの?」
「え?」

 砂利道の音に紛れて耳に届いた囁きに、なびきが目を向けて瞬く。だがやがて訊かれている趣旨を悟り、言いにくそうにしながら視線をそらした。

「……父が……」

 何度か唇を舐め、ようやく微かにそう言いかけたところで、前を歩いていた僧兵が怒号を上げた。

「おい、無駄口を叩くな! 黙ってさっさと進め!!」

 雷蔵は肩を竦め、「はいはい」と適当に返事する。全く、とても聖職とは思えぬ粗暴さである。隣を一瞥すれば、なびきはきつく眉根をよせて俯き、それきり黙りこんでしまった。

(嫌な感じだな)

 仕組まれている気がする。
 そんな印象を雷蔵は抱きながら、大邸宅の屋根の向こうに覗く山模様に眼を馳せた。
 日が、暮れようとしている。




 莫迦に広い砂利道を抜け、屋敷の裏手へ回り、更に敷地奥へと進んでいく。
 すると目の前に現れたのは、荘厳な装飾をほどこされた、寺とも社ともつかぬ建物だった。表の佇まいは、古き奈良の仏寺を彷彿とさせるが、朱と白で統一された彩りは、さしずめ伊勢の宮の如しだ。
 あえていうなら神宮寺だろうが、しかしやはりどこか様式が異なる。装飾も金銀を用いた煌びやかなものではないが、龍や文様を象った木彫りや、塗装の色彩は素朴ながらも見事なものであった。じっと見ていると、不思議な感覚にとらわれる。

(なるほど、これが〈寺院〉ね)

 〈寺院〉の扉は堅く閉ざされており、内部を覗うことはできない。だがその大きさは相当なもので、下手をすれば主屋よりも広い敷地なのではないだろうか。
 屋敷神を祭る祠ならともかく、このような大寺社並みの寺院が、一個人の邸宅の内部に建立されているのは、甚だ不可解で奇妙であった。

 一行は寺院の内に入るのかと思いきや、門には行かず、直前で右折して屋敷の北側の棟に近づいた。
 やがて一人が先にある壁際へより、蹲る。よく見ないと分からぬよう上手く模装された取っ手を探し出して引いた。たちまち床が盛り上がり、地面があぎとを開く。
 そこにあったのは、建物の下へと続く階段の入り口だった。
 僧侶達に無理やり押しやられ、近くへ連れて来られる。
 明らかにまともではない地下入り口に、さすがに怯えたような表情を見せるなびきを宥め、雷蔵は階段の下を覗き込んだ。かなり深いのか、底が見えない。
 始めに何人かがいつのまにやら火を入れた行灯を持ち、先頭に立つ。前後を挟まれるようにして二人は足を踏み入れた。
 地上のものとは違う、ひんやりとした風が頬をなでた。地下独特の密閉された空気と、黴臭さが底から漂ってくる。
 踏み固めた土の上に、段上に細い樹幹を渡しただけの階段は、急で狭い上に足元暗さも手伝って、危うい。普段の旅生活とそれ以前の生活で慣れている雷蔵はともかく、なびきは着物の裾を気にしながら時折躓いたり、足を滑らせそうになったりした。気の強さが恐怖心を凌駕しているが、そんなこんなでなかなか上手い具合に進まない。
 難儀しているなびきを見かね、前を行っていた雷蔵が手を貸してやると、なびきはぎこちなく「ありがとう」と呟いた。明かりが行灯でよかったと、赤っぽい光に照らされる内で紅潮した頬に手を当てながら、なびきがこっそり息をついた。
 程なくして最下に辿り着く。なびきは(ずっと手を借りていたことも手伝って)随分降りたように感じていたが、雷蔵は下った深さを頭の中でほぼ正確に算出していた。

(三十三尺(約10m)といったところか)

 地下に蔵を持つ屋敷は珍しくは無いが、一年寄の屋敷の地下蔵としてはいささか深すぎる。
 雷蔵は忍び時代にこの手合いの居館に潜入することがかなりあったため、ある程度屋敷の内部構造には詳しい。武家屋敷というものはどこも大基はそう変わらぬぬものだ。
 歩きながら、今までの足跡と周りの状況を、脳内で着々と地図化していく。城内の配置などは攻城戦で最も重要なので、忍び込む間者たちは瞬時に内部構造を鳥眼で図案化することを徹底させられた。
 地下は、驚いたことに途中から洞窟のようになっていた。灯りの中、黒くぬめ光る岩肌が、独特の冷気を漂わせている。何やらいよいよ不穏な運びになってきた。
 なびきなどは、すでに階段も降りきったというのに、未だ手を放さず―――それどころか無意識のうちに強く握り締めてくる。いくら男勝りの気性とは言えども、ここを取り巻く異様な気配に本能的に感じるものがあるのだろう。
 そうして案の定現れた“それ”に、雷蔵は眼だけで上を仰いだ。
 ほどなく進んだところにあったのは牢だった。それも一つではなく、一区切りずつ隔てられて並列している。さながら奉行所の獄牢のごとしである。通常、屋敷にある牢というのは狼藉者や処罰を受ける者を閉じ込めたり、あるいは表沙汰にできない身内を幽閉する用途くらいで、せいぜいが一人分のもの。捕虜を収容する城砦ならともかく、年寄とはいえ一介の屋敷に、一体どんな必要性あってこのような牢房があるのか。
 おまけに、どうやら自分達のほかに先客が幾人かいるらしい。

「尋問が済むまでしばらくここに入ってもらおう」

 いつのまにか側へ寄ってきていた行尊が告げた。
 雷蔵は牢内を一瞥しながら、尋問ね、と口の中で呟いた。
 こんなところへ連れて来てただの『尋問』なわけがない。
 ふと牢を見渡すと、どの房にも法衣姿がいくらか見受けられる。確かに間者は行脚僧に扮していることが多いが、よもや外部から入ってきた旅僧を片端から引っ捕まえているというのだろうか。
 横目で牢内を覗けば、皆どこか暗く憔悴した表情をしている。
 ここだ、と告げられ、一行の足が一つの牢房の前で止まった。
 どの牢房も数人は入っているのに、その中でただ一つ、そこの房だけには、一人しか入っていなかった。
 その牢内の法師と、ふと視線が絡んだ。
 僧侶たちの暗い表情の最中にあって、彼だけはどこか異質な雰囲気を放っている。
 剃らずに適当に伸ばしっぱなしにしたのだろう、不揃いの髪と、どこ気怠そうに開かれた眼。壁際にだらしなく背を預けて頭の後ろで腕を組み、横目だけでこちらを見上げてくる。雷蔵も見返す。その状態で数拍。

「知り合いか?」

 気づいた行尊が二人を見比べながら問う。

「いや」
「別に」

 二人はほぼ同時に答え、興味を失ったように互いに眼をそらす。牢の中の法師の茫洋とした表情からは何を思っているのかは分からない。雷蔵の方はといえば「俺以外にも有髪っているもんだな」といった程度の感慨しかなさそうだった。

「まぁいい」

 行尊が目配せすると、応じた牢番らしき僧侶が頷いて、その房の錠を外し、雷蔵を押し込む。強引に押されたせいで、前のめりに少しよろめく。
 後ろの方でガシャンと音を立てて鉄格子の扉が閉められた。
 膝をついたまま肩越しに振り返り、牢の外のなびきを見やる。

「彼女は?」
「顔見知り同士は別にすると決まっている。下手に郎党を組まれては厄介だしな」

 まあそんなところだろうな、と、一つの房につき三、四人ほどしかいなかったのを思いながら、雷蔵は内心で頷く。
 確かに見知らぬ相手、それも少数しかいなければ、疑心も手伝って脱走計画など企てる気もそうそう起こらぬだろう。手を組むという行為は信用がなければ成り立たない。
 ただ、非力な少女であるなびきと別々にする理由としては、いささか警戒しすぎの感もあるが。
 当然、なびきは猛然と抗議した。

「ちょっと! ふざけるんじゃないよ、なんで私だけ別なのさ」

 力の限り暴れ、取り押さえを振りほどこうとする。この状況下に関わらずの威勢のよさは感心するが、無駄と分かりきったこの行動は、一人になったら何をされるか分からないという恐怖の裏返しだろう。
 しかしそんなことは僧兵たちの取り合うところではない。
 もがくなびきを羽交い絞めにし、引きずってゆく。
 半ば呆れたような目でそれを見ていた行尊も、牢の前を離れる。
 そして去り際に牢内の雷蔵を一瞥し、

「しばらくこちらで大人しくすることだ」

 そう言い置いて立ち去っていく。
 だが、彼らはなびきを伴ったまま、階段の方とは逆方向に向かう。更に奥の方へと進んで行った。
 鉄格子ごしに見やれば、立ち並ぶ牢房の突き当たりに角があり、その先にまだ通路が続いているらしい。思いのほかこの地下洞窟は広そうだ。
 足音と、なお抵抗する声が遠ざかる。
 しばらく無言でいた雷蔵は、その場で膝を外して腰をすえ直し、ふぅ、と天を仰いだ。妙なことになった。
 しんとした狭い房を見回す。先程の有髪僧は、壁際で片膝を立て、その膝頭に顔を埋めている。寝ているのだろうか。
 特に声をかけることもなく、雷蔵は向かいの壁際に凭れ掛る。さてと、これからどうするか。ここから出るのは至極簡単だが、いささか気になることが多い。なびきを放って置くわけにも行かぬし、このまま残って少し様子を見てみるか。
 そう考えをまとめたところで、腹の虫が鳴る。そういえば今朝から何も口にしていなかった。

(しまった、龍弦と一緒に荷物を寺に置きっ放しにしてきていたな)

 雷蔵は嘆息し、ごつんと壁に後頭部を当てた。ひんやりとした土壁の感触が布を隔てて伝わってくる。
 瞼を閉じ、心の中で静かに時を数え始めた。
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