26.旅路は辻、想路(こころ)は迷



「ありがとうございました」

 悠泉寺の正門前で、なびきは深々と頭を下げた。薄桃の着物の肩口から、髪がこぼれ落ちる。
 彼女の前には、旅装束―――といっても法衣に袈裟、笠、錫杖、少々の手荷物に食糧という、実に簡素な出で立ちだが―――に身を包んだ法師二人が立っている。雷蔵の背には更に、お馴染みの楽器の姿もある。
 妖刀はすでにこの龍弦琵琶で浄化し、寺に預けていた。鍛えられた過程を鑑みれば、浄化したとはいえぞんざいに扱えぬということで、後々も寺で懇ろに供養していくということである。なびきとしては、父の魂を弔いたいという気持ちもあるのかもしれない。
 なびきに倣うように、二人の子供が拙い仕草でお辞儀をする。慶太と、すっかり回復したさゆらだ。神妙に姉の真似をするものの、すぐに雷蔵や美吉に纏わりついてきた。一日遊び相手をしたら、すっかり懐かれてしまったのである。
 幼い二人は、今回起こったことは知らない。ただ無邪気な様子で旅の法師たちへ戯れてくる。
 坑道奥の間に監禁されていた襄偕和尚は無事救出され、なびきの隣で片手合掌しながら頭を垂れた。皺の多い穏やかな老僧の顔には、無数の痛々しい傷跡が残っている。
 事件の顛末は、結局予想通りになった。
 騒ぎに駆けつけた問注所の役人は、年寄屋敷の凄絶な有様に驚きながらも、逃げ惑う信者達を片端から捕まえて事の次第を聞きだし、こうしてすべての企みが明るみに出た。
 更に地下坑道にいた早人も拘束され、結果隠し鉱山と大量の武器も発見されたことで、叛意の決定的な証拠となった。横溝もまた捕らえられ、今は獄牢で沙汰待ちだ。
 次々と幹部が縄に繋がれる中、ただ一人行尊だけは密かに追捕の手を逃れ運び出された。なびきたっての要望だったので、これは雷蔵たちが手を貸した形になる。彼はしばらく悠泉寺で預かり、傷の静養につとめるらしい。そう襄偕和尚は語った。
 なびきの行動に美吉は驚いていたが、行尊の怪我の経緯を聞き、何となく納得した。しかしそれで許せるとは、女は不可解な生き物だ、と思ったのは内緒である。
 翌朝目を覚まし、呆然自失のまま「殺せ」と項垂れる行尊へなびきが言ったのは、

「己のやったことに真に悔いる気持ちがあるならば、生きてそれを償ってみせろ」

 だった。本当はなびきだって本心では許せていないはずなのだ。きっと何年、何十年たとうとも、完全に許せる日が来ることはないだろう。
 それでも、あえて「生きろ」と言う。憎しみが何も生まないことを知っているから、自分の所で断ち切ろうとしている。女は強い。
 だが、その剛毅な少女の瞳も、柔らかく笑んでいる法師を見る時だけは不安定に揺れる。
 それに美吉は大分前から気づいていた。だからか、ついついいらぬ老爺心が動く。

「こっちこっち」

 なびきを手招きし、微笑ましい光景から少し離れた場所に連れ出す。

「何なのよ一体」

 いきなり呼び出されてやや不機嫌そうに訊く。美吉は単刀直入に言った。

「悪いこた言わんから、あいつだけはやめておけ」
「え?」

 一瞬何を言われたか分からずきょとんとしていたなびきだが、徐々に意味を理解して、顔を真っ赤に染めていった。
 まさかバレていないと思ったのだろうか。なびきは、慌てふためくまま雲水に包まれた二の腕を無言でバシバシ叩いた。

「いって、いてて! おい!」
「これは失礼を」

 動揺を隠してしおらしく笑い始めたなびきを、美吉は痛む患部をさすりつつ半眼で睨んだ。

「……やめておいた方がいいっていうのは?」
「別にあんた自身が問題なんじゃないよ。ただあいつがちょっと特殊なだけだ」

 肝心な部分を曖昧に濁す美吉に、なびきはただただ怪訝そうにするだけだ。

「あんま上手く言えないけどさ。多分、報われんというか……辛いだけだぞ」

 余計なお節介だったかな、と今更気づいたように、美吉は顔を顰めた。頭をガシガシ掻く。らしくないことをした。

「ま、そういうわけだから。あんたなら頑張ればきっともっとイイ男捕まえられるよ。その女らしくない言動と、すぐ手を上げるところさえ改善できれ」

 皆まで言い終わる前に派手な音を立ててツッコミが顔面に入った。

「そういう野暮なこと言う男はモテないわよ」
「……忠告どうも」

 暴力女、という悪態は心の中にしまっておく。
 なびきはふと表情を和らげて、妹の戯れに付き合っている雷蔵を眺めやる。静かな眼差しだった。

「そんなんじゃないよ。ううん、違うな。そんなの分かってる。とっくに」

 響きは切なげだが、悲嘆に暮れているわけではなかった。だから美吉も少し安心した。そこで不意に相貌をゆがめる。本当にらしくないことをした。随分お人よしになったものだ自分も。

「美吉」
「あ、ほいほい」

 呼ばれて、美吉は身を返した。じゃあな、となびきに告げる。なびきは笑って手を振った。何だかんだ言って、一番気配り屋なのは美吉かもしれない、と彼女はそこで気づく。
 旅法師二人はもう一度、一通り挨拶をすませると、町の外へ出る方角へ足を踏み出そうとする。

「えー、にーに、もう行っちゃうの。いやー」
「さぁら! わがまま言ったらダメだぞ」

 慶太が兄らしく注意する。りんごのようなほっぺたを泣きそうに歪ませて、墨染めの裾に縋り付くさゆらに、なびきは慌てた。

「さぁら。法師様達はお仕事があるんだから。ね?」

 優しく宥めながら、肩を引き寄せる。さゆらは素直に離れるものの、右手は未だに裾を握り締めている。丸く柔らかい顔に開く、大きな二つの目いっぱいに涙を溜めていた。
 このタラシめ、と半ば呆れたふうに瞼を落とし、美吉は相棒の男をじとっと睨めつけた。
 雷蔵は少し腰を屈め、小さな頭を撫でる。
 その時の横顔に浮かんだ表情に、美吉がかすかに瞠目した。

「いい子にしていたら、また会えるよ」
「ほんと?」
「うん、本当。約束だ」
「さぁらいいこいいこしているから、きっと来てね」

 さっきまで泣いていたと思えば、すぐに笑う。涙に濡れる健やかな頬をにっこりさせた。
 それに微笑み返し、雷蔵は膝を伸ばした。目だけでこちらを見る面々に会釈し、最後にさゆらに視線を当てる。

「じゃあね、『さゆら』」

 手を振り、今度こそ背を向ける。さゆらか、とその時はじめて美吉は思い出した。そうか、『さゆら』だ。
 これでようやく謎が解けた。雷蔵がなびきの安否を気にかけていたわけ、そしてさっきの雷蔵のさゆらを見る顔。『作った』ものではない素の顔を見たのは、美吉も初めてであった。あの、心から慈しむような、珍しい表情は。
 『さゆら』は―――『狭由良』は、雷蔵の妹の名だ。
 そして、雷蔵にとってはひどく因業深い名でもある。

(こりゃあ、ますます望みはないわな……)

 切なげな少女の相貌を思い浮かべながら、美吉は空を見上げ、胸中で一人ごちた。




「そういやさ、訊いていいか」
「何を?」
「あの影梟衆の棟梁だよ。あいつの技。結局どうやって避けられたんだ?」
「ああそのことか」

 雷蔵の反応はのほほんとしたものだ。
 訊きたいの? 後学のために、そういう問答が交わされる。

「別に俺になら言っても構わないだろ?」
「まぁねぇ……いいけど、聞いても美吉には真似できないと思うよ」
「何だよそれ。聞いてみなきゃ分からねぇだろそんなの」
「しょうがないなぁ」

 雷蔵は斜め上を見つめながら、思案するように口元を撫でた。歩みを進めるたびに錫々と二つの智杖が鳴る。

「簡単な話さ。『匂い』だよ」
「匂い?」
「接近した時に、彼の服にそれとなく薬香をつけたんだ」

 美吉は首をかしげる。美吉も鼻はいい方だが、虎一太が側に寄ってきても、何の匂いもしなかった。大体、それなら逸早く本人が気づいている。

「俺にしか分からないよ。何せ一般には無味無臭で知られる毒だもの」
「どくぅ!?」

 まずいんじゃ、と今更のようにハラハラし始めた美吉に対し、隣の声はやはり平然としている。

「大丈夫だよ。皮膚の上からじゃ効かない弱いやつだから」
「でも、毒ってお前」
「明らかな香りだとバレちゃうだろ? 俺は毒ならたとえ無臭でも分かるから」

 己の鼻を指して、雷蔵は朗らかに笑う。
 惑わされる視覚を封じ、気を封じ。最後に頼ったのは嗅覚と聴覚だった。微かに漂う毒の気と、そして音で距離を判断したのだという。
 美吉は間抜けた声を漏らした。確かにそれは真似できない。むしろそんな化け物じみた芸当ができるのはお前くらいなもんだ、とぼやいている。
 もっとも、美吉であればむしろ小細工は必要なく、視覚のみで闘えるだろう、と声には出さず雷蔵は呟いた。
 幻術も幻惑も、あるいは虎一太の〈陽炎〉も美吉の眼の前には意味をなさない。何故なら彼の左眼は真実だけを映すから。そこに封じられたモノが真を射貫くのだ。だから目暗ましの類は効かない。
 美吉の眼は便利でもあるが、反面で厄介でもある。望むと望まずとに関わらず勝手に目に映ったものの真を暴いてしまう。術ならばいい。だが下手をすれば、特定の人間の人生の記憶全てが視えてしまうこともあるという。そのせいで美吉は大分苦しんだし、制御が利くようになった今でもあまり変わらないだろう。
 雷蔵は、昨夜のことと、虎一太に言われた言葉を回想する。美吉の箍が外れかけるのは何度かあったが、あそこまで進行したのは、雷蔵の知る限りこれで三度目となる。その度に色々な手法で『美吉』という自我を呼び戻し、何とか事なきを得てきたが―――

(恐ろしいのは完全に“外れた”時だな……)

 美吉曰く、〈秘伝〉を身につけている限り自制が効くと言うことだが、今後今回のような状況がまたないとも限らない。これまでは運良く無事だったかもしれないが、いつだって自分のような審神者(さにわ)が側にいるわけではないのだ。

(いい方法があればいいのだけれど、こればかりはね)

 隣で何やらウンウン唸り考え込む美吉を見やって、雷蔵は雷蔵で物憂げに嘆息した。
 双方それぞれの思いを抱えたまま、取り壊された『神殿』の残骸を通り過ぎ、二人の法師は町を後にする。
 その背後で、十字に交わる道に、妖が一匹、二匹と、コロコロと踊り転がって、去っていった。
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途中のウンチクは殆どが想像なので、あまり信じないでください。
鳶加藤とか勝手に出してファンに怒られそう。松川城とか四ツ輪とかはお察しの通り全て創作です。私の書く日本史は半分以上が怪しいふわっと知識とフィクションでできています。
書いた後に気づいたけど出だしの展開がる〇剣(読み切り版)っぽくなってた……無意識です。