7.雲隠れにし夜半の月は東天に達し



「よくここまで来られたの」

 あやめは井草草編みの円座(わろうだ)から、音も無く立ち上がった。
 月光が破られた蔀戸の外から漏れ入る。その朧げな明かりと燈された火灯かりに照らされ、小袖の真白がいやに目に刺さった。

「褒めてつかわそうぞ―――それでこそ妾が見込んだ甲斐があったと言うもの」
「どうも」

 見込まれてたの?とぼんやり心の中で呟きつつ、雷蔵は淡々と応じる。

「あの忍びの者はどうしたえ? 知己のようだったじゃないか」

 「まぁね」と答えてからやや逡巡し、

「行く手を阻む者は誰であろうと容赦はしない主義なんだ」
「それがたとえかつての友でも、とな」

 クスクスと口喉を震わせ、あやめは口元を覆う。
 白い袖の上から覗く双眸がきらりと閃いた。

「しかし―――こうも早くあの結界を抜けてこられるとは思いよらなんだ」
「ああ、あのなんちゃって黄泉比良坂?」

 あやめのこめかみがピクリと引き攣る。眼光にも怒気が漂った。雷蔵の云いようは、さすがに癇に障ったようだ。

「あれほど簡単に去なせるような罠じゃ、結界とは呼べないよ」

 少しずつ挑発しながら、雷蔵は相手の様子を窺い、機を探る。
 思惑を知ってか知らずか、あやめが紅唇をゆるりと開いた。

「それで、これからどうするつもりじゃえ?」
「とりあえず今行おうとしている呪詛は止めさせてもらおうかな」
「妾を止めやるか?」

 袖から顔を外し、高らかな哄笑を放つ。口から漏れるその哄笑ひとつひとつから、ちろちろとした幽焔が漏れ出でるかのような錯覚を覚える。それほどまでに妖しく―――そして艶やかな響き。
 ひとしきり笑い終わると、巫女は一転瞳を冷淡に細め、戸口に立つ法師を射た。眼差し一つで呪い殺されそうなほどの強い気を、雷蔵は真っ向から受け止める。ただ無心の表情で、動かずに。
 臆する風もないその視線が気に障ったか、あやめは苛立たしげに強く柳眉を寄せる。

「止めやるか」

 もう一度、重々しく問う。

「仕事なんでね」

 仕方ない、と雷蔵はあくまで簡潔に答える。
 その泰然としてなお傍若無人な態度が余計にあやめの神経を逆撫でに煽った。

「面白い」

 バサッと、捌く音も鋭く袖を翻す。
 無数に灯された炎が、煽られて揺らめいた。

「やってみるがよい」

 苛烈なまでの視線を受け流すように、雷蔵はふと焦点を横にずらした。
 見たところ、この間は魘魅を行うことを目的に仕立てられている。そもそもが館の中でも鬼門の方角に位置する間。中央奥には大きな祭壇が設けられ、あやめの立つ場所には畳が敷かれ、そこを中心に四方の注連縄の囲いが張られていた。
 そして更に祭壇の横―――間の右側には、几帳や屏風に囲まれるようにして、十数人の男女がいる。ある者は倒れこみ、ある者は座り込んでいるが、共通して言えるのは、それぞれが脱力したかのような状態で動こうとせず、恍惚とした表情を浮かべながら、視点の定まらぬ瞳を宙に留めている。

(あれが形代(にえ)として連れて来られた若衆というわけか―――

 若衆らには逃げようという気概がない。茫然自失たるその様子に、雷蔵は既視感があった。
 特定の薬草に、人の知覚を麻痺させる作用があるものがある。医薬として少量に使えば痛覚を和らげる効力を発すが、適量を超えて一度に用いたり、或いは常服するとやがて強い幻覚症状があらわれ中毒状態に陥ることがある。雷蔵はその手合いを総じて『痲痺薬』、あるいは『惑薬(まどいくすり)』などと呼んでいる。
 放置すれば依存性は高まり、やがてそれだけを求めるようになってゆき、いずれ廃人と化して死にいたる。
 かつて芥子から精製されたもので、遠く異国の地から渡ってきた一片を、雷蔵も自身を使い治験したことがある。あらゆる毒薬に耐性はできていたはずだが、それでもあれは確かに強烈で、奇妙な感覚が一日中抜けなかった。恐らく毒とはまた作用や成分を異にするのだろう。大麻を服した時はまだ軽かったが、それでも身体と精神にズレが生じるような何といえぬ違和感を覚えたものだ。そのほかにも様々にあったが、総じて言えるのは不快であるということにつきる。

 この室内に満遍なく焚かれた強い香は、まさしく雷蔵が試したことのあるものと同じ類であった。数種類の特定の植物を微調整して練ったもので、焚くことで効果を発揮する。一度吸えば、慣れぬ者ならすぐさま意識が混濁し、やがて自失状態に陥る。
 こうしたものを香に練りこみ、巫覡などがよく神降ろしや呪術を行う際に用いる。それは呪術者自身が神憑り的な状態となるための手段だった。依存性も高いが、巧くすれば少しずつ身体を慣らす事ができるという点で専ら用いられることが多い。
 そして今、その香はあやめ自身に対する呪術的効果と、もうひとつ、形代たちの自由を奪う目的で焚かれている。
 だが、外法の名残ともいえる濃厚な腐臭に加え、精神操作を促す“芳純”な香が交じり合ったこの間は、常人の身には耐えられぬだろう。時間が経っていればその分だけ廃人に近づいている危険性もある。
 あまり愚図愚図していられそうにもない。ところで、あの中のどれがあの老夫婦の子であろうか。

「何をぼやっとしておる」

 にわかに、耳元で声が囁いた。
 はっとして瞬間的に地を蹴る。
 飛び退ったことで簀子に出る形になり、朧な月光を背後に声の主を見据える。
 緋の袴を纏った巫女は先ほどの場所から一寸も動いてはいなかった。
 全く動いた形跡も、裾の揺れすらない。
 ただ血の如く赤い唇に笑みを刷き、こちらを見つめている。
 邪悪な気の纏わりつくような、おぞましい感覚が肌を舐める。

「どうした? 妾を止めやるのであろう? ああそれとも―――

 あやめの口端が更に弓なりに吊り上がる。

「形代のことが気になるかえ?」

 不意に、足を横へずらす。
 幽かに浮かぶ薄暗闇の中、祭壇の前には四方結界で囲った呪術者の座があるのみかと思いきや、あやめの背後から現れたモノに雷蔵は軽く目を眇めた。
 祭壇と巫女の座に挟まれるようにして、間に広く開いた部分―――そこには床に直接朱墨で描かれた円陣と、中央に座らせられた青年の姿があった。彼が今回の魘魅の形代だろうことは明白だ。青年の身体の回りには、常の目には見えない呪詞が鎖のように連なって縛めをなしている。その全身に細かい裂傷が幾つも走り、血が滴っていた。

「こやつも今宵の魘魅で使い物にならなくなる。只人では持って三度が限界でな」
「それで、手当たり次第村の若衆を誘してきたってわけかい?」
「精気溢るる若人の方が呪具にはより適しておるからの。だがひとつ間違っておるぞ。彼奴らを差し出したは彼奴ら自身の親どもゆえなぁ。よもや己が欲のために己自身の子がその犠牲になっておるとも知らずに」

 いかにも面白くて仕様がないという風に、眦を下げ頬を綻ばせる。

「冥途の土産に訊くけど、これまでに使い物にならなくなった『器』はどうした?」

 ふん、とあやめは鼻でせせら笑い、顎を僅かに上げた。

「そのようなもの、呪詛の使い魔にした妖どもに食わせてやったわ」

 雷蔵は双眸を細めた。
 呪詛を行うには、相応の代償を伴う。人を呪わば穴二つというように、誰かを呪い殺すと言うことは、その罪の重さの分だけ己自身に跳ね返ってくる。術が大きければ大きいほど、返って来るものも大きい。
 自然の理の範囲内での術であれば、その法則に則る形になるのでさほど影響はないが、呪詛のように摂理を捻じ曲げる術の場合には、同等の対価が必要となる。決してただで思い通りに扱えるものではない。
 この女は、その代償に人を用いた。己に掛かる筈の反動を、別の人間を身代わりにさせることで躱している。術を行うために一般的には人形(ひとがた)を使うはずのところを、生身の人間を代用しているのだ。いや、元々は生きた人間の代用として人形が作られたのだから、むしろあやめのやり方は本来的ではある。人に見立てることで僅かな魂の宿る人形より、確かな生命力を持つ人間の方が、呪詛の成功率も強さも桁違いなのは確かだ。
 恐らくあやめは、使い魔とする霊を捕まえて若衆の身体に降ろし、それ自体を呪具として某かに呪詛をかけ続けていたのだろう。反動も呪詛返しも、すべて器である形代に帰ってくるようにしながら、己の身には傷一つつけずに。
 きっと、それだけではないだろう。呪詛に限らず、何かを望み欲する時は必ず対等の代価を払わなければならない。それは形ある物であったり形なき思いであったり様々だが、自然の法則の中で生きる者には等しく与えられる責である。
 あやめは「奇跡の水」とやらで村人達の病を治癒し、天候を左右して作物を実らせ、予知をもって彼らの利得となるよう導いていたという。しかし特に時の流れと森羅万象の理に干渉するそれらの行為は、どうあっても相当な対価が必要であった筈だ。
 そう。呪詛の形代としてだけではない、この巫女は村の若人の生気生命を引き換えにそれらの高等な呪術を成功させてきたのだ。
 宿を貸してくれた老夫婦の人良さそうな笑顔がふと雷蔵の眼裏に思い浮かんだ。
 形代に使われた青年は全身から決して少なからぬ血を流している。あのままにしておけば遠からず出血死か、或いは失血によって心の臓が止まりかねない。

「なかなか恐れ知らずと言うか、やることに手が込んでいる」

 雷蔵は双眸を更に細め呟いた。
 依頼は老夫婦の息子その他若衆の奪還。間に合わなかった分はこのさい置いておき、とりあえず命が助けられそうな者たちは救い出さなければならない。

「ここまでできる鬼畜が相手だ。容赦はいらないね」
「ふふ、果たしてそう簡単に妾を捕らえられるものかな」

 あやめの言葉が終らぬうちに、雷蔵の姿が瞬間的に消え、そして巫女の頭上に現れた。
 月光に苦無が煌く。
 剣閃すら見えぬ速さで繰り出された刃は、しかし狙った黒髪の直前であやめ自身の放つ気に阻まれた。玄人の速さを捉え、なおかつそれよりも早く障壁を作りあげたとは考えにくいので、予め身を保護する結界を張っているのだろう。
 刃が止まった所を狙い、あやめが呪を唱え放ってくる。それを素早く呪で返し相殺すると、息もつかずに後の手を放つ。
 だが―――突如顕れた太い腕に、刃がのめり込んだ。
 新手の気配に、雷蔵は一旦退く。
 決して逸らずに、惜しまず退いて冷静に状況を読もうとするところが、雷蔵がこれまで生き抜いてこられた秘訣の一つあった。
 現れた巨体は見慣れぬ男のものである。がっしりとした体躯に、下卑た表情。醸し出す雰囲気は農村で暮らす者のものではない。三十代ほどだろうが、頬に走った傷がより一層男を老けて見せた。
 少し神経を張り巡らせれば、それが一人ではなく背後にもう一人いることに気づく。
 視線を滑らすとこちらもまたがたいのいい男だった。巖のような顔は、やはり賤しく歪んでいる。
 だがどちらも共通しているのは、魔に魅入られ堕ちた人間の様相であるという点だった。
 話に聞いた御子の伴ってきたと言う従者というのは、この者達のことと考えて間違いない。
 勇猛な護衛の助太刀に、袖で口元を覆ったあやめが自慢気に両眼を歪めた。

「こやつらは妾の忠実なる僕でのう。何も用心棒はあの忍び一人ではない。特にこやつらはな、妾が掛けた呪で人の数倍の筋力を発揮し、鋼をも跳ね返す強く硬い体を得た。そう簡単にはやられまいよ」

 まずはこやつらを倒してからじゃ、その間に妾は魘魅の仕上げをせねばのう―――あやめは畳の上に座りなおし、呪詛を再開しようとする。
 刹那の思考と判断で、雷蔵は懐から取り出した手裏剣を素早く投じた。
 用心棒の男達が止める間もなく、それは一直線に巫女の座る御座を目指す。

「小賢しい」

 あやめは一喝すると、後ろ手で袂を翻した。
 途端、柔布が鋼鉄のごとく撓り、飛来した手裏剣をことごとく打ち落とす。
 最後まで見届ける前に、ふたつの巨体が両横合いから殴りかかってきた。雷蔵は瞬時にその場へ屈み、そのまま前方へと身を転がす。

「このような子供だましが通用するとでも―――

 攻撃を躱す傍らであやめが忌々しげに言う声と、次の瞬間に息を呑むのが聞こえる。
 ちらりと一瞥すれば、かの御子は目を剥いて祭壇を見上げ、続いてこちらのほうをギッと睨み据えてきた。怒りの炎がその双眸にぎらぎらと煌いている。

「お前……っ」

 奥に鎮座する祭壇を見れば、支柱の一つに手裏剣が刺さり見事に折れている。
 放った手裏剣は、その実一つではない。囮をあやめに向かって放つことで、本命の手裏剣から注意をそらしたのである。
 致命的な損傷ではない。少し直せば元通りになってしまう。しかし呪詛の進行を止める時間稼ぎにはなる。
 あやめは歯軋りせんばかりに睨みつけていたが、すぐさま修復に乗り出した。その背に重なるように幽い陽炎が立ち昇るのを、雷蔵は見逃さなかった。
 そこに、頬傷の巨漢が腕を振り下ろしてきた。いつの間にか手には得物―――太い棍が握られている。軽く後ろ一歩引いて避け、男が棍を振り下ろしきった隙を狙い、雷蔵は男の太い首筋へ肘鉄を鋭く打ち込んだ。
 人体急所のひとつに正確に叩き込まれた一撃に、しかし男は眉一つ動かす事無く上体を起こすと、軽く首を回した。
 雷蔵は続けざまに地を蹴り、一息に移動して男の背後に踊り出ると、手に握った苦無を男の頭部へ突き刺した。そして一瞬の後にはもう一人の用心棒の懐に入り込んでおり、鳩尾へ拳を放つ。
 息をつかずにそのまま背後へ一足飛びに下がり一定の距離を保つ。

(全く効いていないか)

 二人の巨漢は悠然とそこに佇立している。苦無を打ち込んだ方は、蚊にでも刺されたかと言わんばかりで、手の内の鉄の刃を鼻で笑って握りつぶした。

「効かんなぁ」
「ああ、全くだ」

 にやりと笑い、獲物を見下ろす。
 雷蔵は重心を低くして構えた。
 先ほどの手応えも、どれも分厚い皮を相手にしているような感触であった。弾力があるせいで衝撃をも吸収してしまう。
 速度をとれば、雷蔵にとっては男達の動きなど亀の歩みに近い。だがたとえ速さで捉えることはできても、鋼の刃さえ跳ね返すとなると厄介である。
 呪によって筋肉を硬化された身体であれば呪をもって対すのが一番なのだが、それも色々と難しい。呪というのは二種に分類され、先ほど雷蔵があやめに対して使ったように、呪をもって呪で対抗し効力を(ころ)すことができるものと、一旦掛けてしまえば術者以外解けないものとがある。ある程度術の種類によって判別をつけられることもあるが、大体はその見分け方は言葉には言い表しにくく感覚的な判断である。
 その感覚が、男達に掛けられた呪いは後者であると雷蔵に訴えかけていた。
 つまり術者たるあやめが解かぬ限り―――あるいは死なぬ限り、男達の呪いは解けない。しかしあやめを殺そうにも、それを当の男達に阻まれているのだから厄介なことこの上なかった。
 時間稼ぎも、もうあまりもたないだろう。このままでは魘魅が完成してしまう。さてどうしたものか。
 雷蔵が考えを張り巡らしている間にも攻撃の手は伸びる。巌のごとき腕が風を切り、二本の棍棒が宙を交錯した。
 そこに、何の前触れもなく滑り込んできた黒い影があった。
 銀光が閃き、棍を次々と打ち払う。
 止めに身を翻して男達の頭部へ足蹴を食らわし、ストンと眼前に着地した背を見て、雷蔵はきょとんと両目を瞬いた。

「佐介?」

 呼ばれた方は肩越しに一瞥し憮然と、

「何ぼうっとしてやがんだ」

 予想外の助っ人は、なんとついさきほどまで敵対していたはずの同胞であった。

「いや……随分早く意識が戻ったものだなぁと」
「けっ、伊達に忍びやっちゃいないさ。お前にも昔散々実験台にさせられたからな」

 嫌そうに口を歪める佐介に、そういえばそんなこともあったけと雷蔵は記憶を辿る。
 しかし、それでもあの強力な睡眠作用のある薬からこんな短時間で目覚めるとは、さすがだと内心で感服した。普通ならば丸二、三刻は起きないものなのだが。耐性だけでなく気力も相当になければ、こうはいかない。

「この野郎、裏切ったか」

 地を畝らせるような声音で、男達が唸った。
 佐介は巨漢たちに面を戻し、一転して視線を鋭くした。

「こいつらは俺が相手をしてやる。お前は別にすることがあんだろ」 

 雷蔵が口を開く前に、即座に次の句を紡ぐ。

「話は終ってからきっちりとつけさせてもらう。そういう約束だったな。―――行け」

 佐介が放った低い一言を合図に、両者は同時に地を蹴った。
 雷蔵は何も訊かない。何故御子達を裏切って自分に加勢するかも、先ほどのことを怨んでいるかも。こうと決めた以上、二人の間に四の五の余計な言葉は要らない。
 罠だとは思わなかった。佐介はそういう手を好む男ではない。
 だからこの場は佐介に預け、自分は今の目的を果たす。雷蔵は目前のことに全ての意識を向けた。
 あやめは新たな外敵、しかも裏切り者の出現にやや驚いたものの、退く気配なく毅然と構えていた。

「殺したのではなかったのかえ。妾をたばかったか」
「誰も殺したとは言ってないけど」

 けろりと言い放ち、

「これで計画は水泡に帰すわけだ」
「さて、そう簡単に行くかな?」

 あやめの笑みに反応するように、それまで糸の切れた人形のようだった形代の者達が一斉に立ち上がった。

「!」

 それぞれ手に農具や包丁を握り、踊りかかってくる。
 咄嗟に上へ跳んで屏風を蹴った。
 幾人かが屏風の下敷きになり共に倒れこむのを確認し、型もなく刃を繰り出してきた青年の腹を膝で払う。同時に幾人かを蹴り、更に襲い掛かってきた五人ほどに針を放った。先のほうに即効性の睡眠薬が塗られており、命中した者達は即座に倒れる。

「何の罪もない村人じゃぞ。傷つけていいのかえ?」

 御子は寛ぎながら、くすくすと楽しげに観戦している。

「別に傷一つつけずとは言われてないんでね」

 十数人かと思っていたが、現れたのは予想に反して多かった。
 よくもこれだけの人数を収容していたと感心するほどの若者達が凶器を手に一度に群がってくる。殺すことはできない。それでは依頼に反する。とりあえず動きを封じることが一番だったが、さすがに滅茶苦茶に得物を振り下ろしてくる素人では下手をすると彼ら自身が自傷自滅しかねない。
 そのあたりを配慮しつつ多勢に無勢とばかりの四方八方からの攻撃を躱すのにはなかなか骨が折れた。
 村人の一人から奪い取った小刀で、数人の足を薙ぎ、刺して、戦闘不能にしていく。
 人の群が輪を描くたびに中心部から複数が吹っ飛ぶ様に、あやめは目を細めた。
 一方佐介の方はといえば、蹴っても殴っても起き上がってくる男達にいい加減辟易した様子だった。もう幾度となく刀で斬りつけるのに、その巨躯には薄い切り傷がつくのみで決定打にはならない。
 体力的にはまだ余裕はあるが、あまりこの状態が続くと時間の問題であった。

「ほれ、どうした。もう終いか」
「やはり流れ者は駄目だな。軟弱な上にすぐ裏切る」
「へっ」

 佐介は刀を翻しながら鼻で笑う。

「別に裏切っちゃいねェさ。なんつっても、俺ははなっからてめえらに服従(つい)た覚えなぞないからな」
「なんだと?」

 気色ばむ巨漢へ佐介は心持ち胸を反らし、堂々たる啖呵を切った。

「来いよ、何度だって相手してやらァ。京里忍城『衛門佐』を勤め上げたこの俺に喧嘩売ったこと、後生かけて後悔させてやるぜ」
「生意気な!」
「身の程を知らぬ愚か者めが!!」

 憤慨した男達が突進してくるのに、佐介は笑みを浮かべて刀を構え直した。
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