「一体長々と何をしていたんだ」
「“宣教”だよ」

 苛立った仲間の小言に、ユストはただ意味深な微笑で返す。
 やはり思った通りだ。

「そんなに気に入ったのか、あのBonzosが」

 いつになく楽しげなユストの様子を、別の者が不思議そうな面持ちで見つめる。

「しかしあんな少女の身で尼とは、この国の堕ちようも相当罪深いな」
「彼は男だよ」
「マジで?」

 憐みの眼差しを背後に送っていた男が、ぎょっとしてユストを振りむく。

「年齢も見た目通りとは思わない方がいいだろうね」
「……相変わらず東洋人は見た目からでは分からない」
「だから面白いんじゃないか。私たちとは全然違う人種なんだ」
「俺には分からんがなぁ。イムヌスに遠く及ばぬ音楽センスのゼンチョなんざ」

 いまだに音楽の話を引きずっているのか、解せないとばかりにイタリア人は大仰に鼻を鳴らす。
 煌びやかなだけの張りぼて音楽と、真に「力」の行き渡った歌の違いも分からずに、神の使いとはよく言ったものだと、ユストは心の裡で嘲る。
 しかし歌で魔を払うというのも珍しいといえば珍しい。
 3年もいると、この目には薄っすらとだがそれらの姿は視える。いや、感じると言った方がいいかもしれない。それらはよくよく注意してみると、処々に凝り固まっている。それがこの国の「魔」だと、いつから気づいたのだったか。多かれ少なかれ常にぼんやりと視界の隅にいたそれらが、今はすっきりと姿を消している。
 雷蔵の仕業であることは明白だった。恐らくあの不思議な楽器に鍵があるのだろう。もちろん奏者の能力もある。ユストが弾いた時は音が“響かな”かった。雷蔵は「気難し屋」と言っていたから、あの楽器は選んだ主だけに力を発揮するに違いない。
 それだけではない。彼の内面もほとんど“聞こえ”なかった。試しに不意を突いて身体に触れてもみたが、それでもやはり上層部分の、当たり障りのないものしか反響しなかった。こんなことは今までなかったことだ。だから興味を持った。
 何より収穫だったのは、その後に現われた知己らしき男。
 むしろ彼に接触できたことを考えれば、他のことなど些細な塵芥にも等しい。
 彼もまた“聞こえ”ぬ者だった。それも完全な無音。
 しかし“感じ”た。

(ついに見つけた)

 背を向けていたから、仲間たちは気付かなかったであろう。
 自分があの男に、オスクルムを行ったことを。
 手の甲への接吻は、恭順と崇敬の証。

(ようやく、ようやく長年の願いが叶う時が来たのだ)

 仲間に気づかれぬよう、ユストは瞳に鋭い光を揺らめかせ、うっそりと微笑んだ。




 美吉が大村に現われたのは、雷蔵から遅れること1日のことだった。
 二月ほど前、年が変わったころに分かれたばかりだというのに、再びばったり遭遇した二人は、嫌な予感に襲われた。
 二人が揃って何もなかったためしがない。むしろ何か起こるに合わせて、互いに吸い寄せられている感じさえあった。
 美吉の用事はと言えば、鉄を鍛えることである。

 医者である一方で鍛冶師でもある美吉は、各地に自分だけの工房を持っていたりする。それは概ね人の入らぬ神域の中であったりして、特に製鉄や砂鉄に関わりの深い地方に多い。こういった地方の神域はほとんどがもれなく火の神、金の神を崇めたものであるから、美吉には都合がよいのだ。通常そんなところで鉄を鍛えるどころか、人が踏み入るだけで神罰が下ると畏れられているものだが、彼にはそういう心配はない。そもそも神罰云々自体迷信に近いところもあるのだが、万一本当に強い神の力に満ちた場だったとしても、美吉に神罰は下らない。『認められ』ているからだ。

 神から、神域における鍛冶を認められている。
 だからこそ美吉の作る金物は、特別だった。
 卓越した細工や技のことではない。それらは生まれながらにして持っていた才能に過ぎない。
 一番大きいのは、彼が鍛えたものは悉く霊威を宿すことだった。小さな耳環一つとっても、森羅万象の気に共鳴し、影響を及ぼすことのできる呪具となる。

 その気になれば神器さえ鍛えることができるだろうが、それは本人があえてしようとしないため、一度として創られたことはない。美吉はいつもわざと曇りのある玉鋼を選んでいる。それだけでも十分効力を持つが、もしも一切混じり気のない純粋の玉鋼を選んで業物一振りでも鍛えようものなら神が宿ってしまう。そうなると神威によって何が起こるかわからない。「金」は戦と死を司り、最も凶暴凶悪の気だ。耳飾りくらいならば大したことはないが、大業物は誰も知らぬ神域奥深くか、結界のしっかりした社に封印するかせねば、宿った神霊がやがて荒魂となり暴れ出す。それなりに霊力を宿した人間であれば扱えるが、徒人が持てば強すぎる神気と金気に中てられ、命を削ることとなる。それは面倒であるし、そもそも必要ともしないから、美吉は創らない。
 彼が鍛えるのは、せいぜい己のための鍼や短刀、手裏剣、苦無などといった医具や武器、ついでに雷蔵の得物だった。雷蔵も事情が事情なため、武器を消耗する生活をしている。その上この二人はわりと頻繁に遭遇するので、雷蔵が依頼し、美吉は会う度に手渡すことにしていた。

 そして今回である。美吉は肥前国に在する神域地で鍛冶をするつもりで来ていた。これまで大村に工房はなかったのだが、今回初拠点として造ることにしたらしい。それで雷蔵とばったり出会ってからすぐ神域に向かい、鍛冶屋造りから潔斎と精神統一(意外とこれが重要らしい)、鍛錬にいたるまで総計5日籠り、今ようやく戻って来たというところであった。
 二人はとりあえずそのまま通りを後にし、雷蔵がしばしの逗留所にしている無人寺で一息入れることにした。

「ほいよ、頼まれていたやつ」

 思わぬ衝撃からようやく立ち直った美吉は、工具入れの中からごそごそと布袋を取り出すと、雷蔵に渡した。中を確認すれば、十字手裏剣、苦無にその他暗器諸々。

「いつも悪いねぇ」
「いいさ。こういうやつは先に型に流すから、実際あんま手間かかんねぇし」

 量産型だから質は落ちるが、どうせ消耗品なので構わないだろう。それでも他忍の持ち物よりずっと精度は高かった。
 いくつかを素早く装備し、残りを荷の中に押し込めながら、雷蔵はふと片目を抑えている美吉に目を向けた。

「もしかして左目、調子が悪い?」

 美吉はハッとしたように手を離した。自分でも無意識の行動みたいだった。
 一瞬だけ迷うそぶりをして、それからバツが悪そうに顔を逸らす。

「鍛冶した後はどうしてもな。こういう時ばかりは珥璫(みみかざり)もあまり効果がない」

 己の耳朶を撫でながら、どこか諦めた口調だった。

「診てみようか」

 美吉は黙って目を閉じた。何も言い返さず素直に言う通りにしているところをみると、口で言っているよりも心配らしい。
 雷蔵は真向かいに座り直し、右掌をその左瞼の上に翳した。
 じっと探るように手に集中して、確かに、と息をつく。

「……少し緩んでいるね」
「やっぱり?」

 反応からして、美吉自身にもかすかな自覚があったらしい。
 恐らくあの四ツ輪衆の一件がきっかけであろう。
 あの時は寸前で辛うじて押さえ込んだが、生じた「歪」が戻っていないのだ。

 ―――危ういぞ。

 古馴染みからの別れ際の忠告が、雷蔵の耳の奥に蘇る。
 とはいえども、自分の手の施せる範囲は決まっている。

「上から封印を強化しておこう」

 雷蔵は袷のうちから〈秘伝〉の書を取り出した。生きたものに働きかけるには、天ノ巻の方が向いていた。美吉の持つ地ノ巻はどちらかというと死に関わるもの向きで、美吉の体内に満ちている死の気である金気を封じている。

「『解紐』」

 瞳を閉じ(かじり)を唱える。目的の術だけを体内から巻物に移し替える。これから行う術は強力なため、身体に納めたまま行うには負担が大きすぎる。

「無は()を生ず、一は()を生ず、二は()を生ず―――

 文言を唱えながら、小指の先を噛み切る。滲んだ血で、瞼の上に描く。

「三は万物を生じ、万物は無へと帰す」

 『水』という字が完成する。

「万物の始まりは()、万物の終わりは()。火に剋され水上り、火に剋ちて水下り、以って天地回巡す」

 以降から、不意に美吉には雷蔵の詠唱する語の意味がさっぱり通らなくなった。不明な音の羅列に聞こえるのは、最初からこの呪が字に置き換えられる音ではないためだ。美吉が始まりの部分を解することができたのは、ひとえに〈秘伝〉地ノ巻にも同文があったからに他ならない。同じ〈秘伝〉継承者でも、共有せぬ文言については聞きとることができない。よくできている、と今更ながらに美吉は思う。
 眼裏にひんやりとした波動を感じる。
 長い文言の結びまできて、再び脳が自動翻訳をした。

「故に水は火を剋し、火は(かね)を剋し、金は水を生ず。鎮めよ鎮めよ」

 術が成った瞬間瞼の文字が沁み込むように消え、同時に身体を押し包んでいた不安定感が溶解し、左目の奥にわだかまっていた疼きが消えた。
 『鍵』がかかったのだと即座に実感する。

「おお、すげえ。全然違うわ」

 己の手を見下ろしながら美吉は感嘆した。
 雷蔵は巻物を戻しながら、

「とりあえず強化ついでに五行の巡りをよくしておいた。まあ元の封印が強固だからそうそう壊れることはないけど、なるべく気をつけた方がいい。『それ』は結局、君の精神状態に左右されるから」

 つまりどれだけ上塗りしても、基台である美吉自身が揺らげば、封印も揺らいでしまうということだった。

「わかっちゃいたけど、やっぱ厄介なもん引き受けちまったなぁ」

 左目を抑えながら、昏い表情で笑う美吉を、雷蔵はただ黙然と見返した。
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